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【自己紹介】iroha nunoya / 家、牛100頭いる🐄🧤

皆さま、はじめまして🌷

いつもお読みいただいている方々、
ありがとうございます🌻

この度、改めまして自己紹介させていただきます
iroha nunoya/イロハ ヌノヤと申します🪽

このnoteをご覧いただき、
誠にありがとうございます😌

早速ですが、
iroha nunoyaナニモノなのか…

客観的に私のことを知っていただければ・・・!
との想いから
簡単に自己紹介をさせていただきます。

目立ったことをしたり、
自分から自己主張をするのは得意でないのですが
勢いそのままに書いてみます・・・(⑉• •⑉)...♡


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1 )あえて「ゆるっと」生きるをする😌


2 ) 「さなぎライフ」を楽しんでみる🦋


3 ) 「自分の頭で考える」をする🧠


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■自己紹介

生粋の道産子!極度の人見知りな生い立ち🗺


誕生:2001年生まれ
出身:北海道
血液型:O型
性格:HSS型HSP×INFJ-A
家族構成:父母妹弟

生粋の道産子です。
実家は酪農業を営んでおり、
牛は100頭以上飼育しています。

日常茶飯事のお産。
搾乳舎で愛犬と🐶

小さい頃から、
動植物に囲まれて生まれ育った私。

はシベリアに向かって飛び立つ白鳥
は小麦と牧草ロールが一面に広がる野畑
は越冬のためのてんとう虫の大移動。
は凍てつく寒さと一面の銀世界

春。雪解け進む小道を散歩。
夏。東京ドーム358個分の地元スポット。
秋。姫りんごの収穫と猫🐈
冬。美しきかな、ダイヤモンドダスト。

小学生の時は全校生徒約10名
複式学級と呼ばれる、2学年合同の教室で、
黒板を半分に区切って授業が展開されていました。

圧倒的に同年代の人や大人と関わることが少なかった私は、
見事に井の中の蛙として立派に成長し、
家族以外の人との話し方が正直よくわからなくなりました。

極度の人見知りで、臆病で、繊細で・・・

静かな北海道での暮らしは刺激が少なく、
ある意味で私は幸せ者だったのかもしれない。
恵まれていたんだな、と今になって知るものです。

そんな四季と共に、高校3年生の3月まで
私は北海道で過ごしておりました。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「聞いてない🤯!」サプライズな人生の転機・幕開け

人との出会いが全て」 この言葉に帰結する。

大学進学を機に上京し、
獨協大学経済学部国際環境経済学科 
に入学した。

センター試験では
日本史97点(1問だけ間違えた・・・)
を運よく叩き出し、
ぼちぼちの出来の164点くらいだった英語と、
60点くらいで足を引きづった現代文が、
絶妙にバランスが良かったのだろう。

凡人の私でも、
なんとかボーダーラインに乗せることができたのである。

他にも合格をいただいていた、
都留文科大学文学部比較文化学科との
進学を最後まで迷った。

最後に私は、東京のネズミにはなれないけれど、
埼玉のネズミとして大学デビューすることを
夢見て上京したのである。

そして大学時代の出会いは、

「この人、凄い・・・!」

私の心がビビビと揺さぶるような
「出会い」
という名の
ビッグなサプライズをこれでもかと、
わたしに仕掛けてくれた。

井の中の蛙の心の中に、大きな稲妻が直撃したのである。

卒業式には学科副総代を務める。

その出会いとは・・・

🌟大学生の時の出会い↓

1⃣1年5組 必修語学クラスの同期🗣

2⃣「書をたしなむ人に悪い人はいない!」
   独断と偏見で入部した書道研究会🖌

3⃣バイト先で出会った、      
TOEIC920点の2個下のボーイ
👩🏻‍❤️‍👨🏻

それぞれ簡単にご紹介すると・・・

①1年5組 必修語学クラスの同期

ちなみに、ゼミの専攻は経営戦略✌


→めっちゃみんなかわいかった・・・
井の中の蛙マインドで入学して驚いたのは、
みんなの自己肯定感の高さ。
インスタに自分の写真や日常をアップするのは
当たり前のようだった。

中には、You TubeにVlogを投稿していたり、
インスタで好きなことの発信をしていたり…

色んなタイプのインフルエンサーが
もうすでに1年5組にはいたのである。

みんな自分の個性を尊重し、大切にし、
受け入れ合う環境が整っていることに私は衝撃を覚えた。

田舎と都会。それは私にとって
相当なカルチャーショックであった。

②独断と偏見で入部した書道研究会

雄飛祭で「蒼穹」と書いている私。


→大学生になったことだし、
新しいことを始めてみたい。

だけれども、飲みサー!とかウェイ!
みたいなのは苦手だし・・・

そんな私が目を付けたのが「書道」の団体。

「書をたしなむ人に悪い人はいない」
との推測の元、
個性豊かな先輩や同期、
後輩に恵まれた。

そして私は2年間、
気づいたら幹部を推薦され、
断れずに気が付いたら会計を担っていた。

この経験は、
後の自分を支えるマネジメント力の
土台作りに一役買ったように感じる。

あの時、会計を引き受ける覚悟を決めた自分を
心からの拍手と共に称えてあげたい。

バイト先で出会ったTOEIC920点の、2個下のボーイ

思い出沢山のバイト先。出会いに感謝𓍯


→彼との出会いはインパクト強かった。
普通の人の顔して、全然普通じゃなかった。
私にはそう思えた。

「能ある鷹は爪を隠す」ってこういうことなんだ…って
身をもって感じたし、
もう会うことはないけれど
陰ながら応援している人。

語りえぬ魅力が詰まっていて、
ほんのわずかな期間だったけど
出会えたこと自体がラッキーでした。

まあ、そんなことはおいておいて、

これらの出来事も貴重な大学生活の
ワンシーンに過ぎないのだが、
なんと社会人となってからも
人生の嬉しい悲鳴は連続した。

🌟社会人になってからの出会い↓

1⃣マッチングアプリで出会うはまさかの東大卒!      
現東大院生
🥼🧪

2⃣社会人スクールで
有名著者さんの読書イベントに参加
🕵🏼️

自分がすごいわけでも何でもないのに、
自分のことのように自慢気に語る自分は
「何かを勘違いしてる人」
みたいに思えて居心地が悪い。

だが、「すべてのことに意味がある。」

今回、私はそっち寄りの視点に立って、
これらの出来事を振り返っていく。

①東大院生との出会い

さすがの東大院生。「パラボラアンテナ」の話が面白かった📡


→新しい出会いを求めて
マッチングアプリを始めた22歳、5月。

彼は素性こそ自らは明かさなかった。
しかし、どんな人か知るきっかけがあれば…と
私がこっそり検索エンジンで
名前を調べていたら
知ってしまった驚愕の事実・・・。

彼、めっちゃすごい人じゃん・・・。

世界を舞台にしっかりと名を残している、
「本当にすごい人」だったのです。

しかし彼は言った。
僕は怠惰に生きることにしたんだ。」と。

23卒、無名の会社員。
放たれたその言葉の威力は今も忘れられない。

上には上がいるから、完璧を手放す潔さ

とも感じとれたし、

何1つ戦場に立ってもいない私が
早々に戦線離脱するのは違うんじゃないか…」

様々な解釈が私の中で木霊した。

そんな余韻を今も私の中に残した、彼。

本当に大切なことは何か。
ストイックとユーモアさ。
バランスのとり方を私は考えさせられた。

社会人スクールで
有名著者さんの読書イベントに参加
🕵🏼️

22歳9月。

しっかり自分と向き合いたい。

何者でもない自分の可能性を信じたい。

そんな背景から、
私は自分に大きな自己投資をした。

約100万円を自分に投資し、
あえて自責で、茨の道を歩む覚悟を固めた。

そんなわけで、
両親には事後報告になってしまったが、
とあるビジネススクールに入学した。

そうでもしないと、
弱い自分に負けそうになるから。

8ヶ月のプログラムで
コンテンツマーケティングを学ぶ中、
縁あって「朝活読書会」という名の、
有名著者さんのオフラインイベントに参加した。

1人は「針貝有佳」さん。
デンマーク人はなぜ4時に帰っても成果を出せるのか?
の著者さんである。

もう1人は「山中哲男」さん。
相談する力」の著者さんであり、
大阪万博の事業を取りまとめるなど、
事業創造家として活躍されている。

1100万部の編集者「長倉顕太」さんとの対談
という形で行われた朝活読書会では、
著者さんのリアルな熱量や考え方に圧倒された。

「かっこいいな」と思う大人に、
22歳の段階で出会えたことには
意味があるのだろう。

この経験を活かして、私も世の中に人に
何らかの形で良い影響を与えられる人
でありたいと、改めて心に誓った。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

■発信の経緯

私にできることって何だろう…🌱

私はゆくゆくは地元北海道で、
SDGsの活動に貢献したいという夢がある。

実家は酪農業ということもあり、
家業を引き継ぎつつも、
人口減少や高齢化、後継ぎ不足
といった問題を抱える
日本の食料基地の未来を
支えていきたいのである。

さらにさらに欲を言えば・・・
((エッセイストのように生きたい!💃))
((というか、エッセイストになりたい))

松浦弥太郎さんが好き。

そんな中で、
大きくてワクワクする夢の実現に向けて
今の私には何が足りないんだろう・・・と
繊細さんの強みである「洞察力」を呼び起こし、
活躍されている人の経歴を分析してみた・・・

すると・・・

一概には言えないが、
多くの人には実績の下積みがあった。

きっと、
どこの馬の骨かもわからない
やつには娘はやらん
」みたいな理論が、
ビジネスの世界にもあるのだろう。

「ナニモノ」かがはっきりと
していない状態では、
門前払いされることが世の常である。

ということを、
22歳の8月にして気づいてしまったのである。

じゃあどうしたらいいのだろう。

学があるわけでもないし、
大手企業に在籍しているわけでもないし。

そんな中で思い浮かんだことの一つが、
リスキリング」だった。

学び直したい…。

そんな中で、
先に述べた縁あったビジネススクールにて
マーケティングを学び直し、
自分の人生の棚卸を進める中で、
自分は「かなり繊細である」ことに
ようやく気づいたのである。

HSP」という言葉を自認できるように
なったのは、実は社会人になってからである。

やや話が長くなったが、発信の理由。

私にできることって何だろう…?

この答えは、かつての自分と同じように
悩んでいる人のチカラになること。

悩みを全面的にサポートし、
問題解決に導くこと。

なのではなかろうか。

との思いから、現在は、
HSPさん向けパーソナルコーチ
としても活動している↓


一人一人の生きづらさが解消された日本が、
より明るく、輝きに満ちた時代に
なりますように。

そのために今、
私にできる一隅を照らしていきたい。

実名発信の理由は〇〇💫

私、目立ちたくないんです。

こんなことを言うと、
「じゃあなんで実名でnoteやっとんじゃい!?」

と一同に総ツッコミを入れられそうだが、

真相は全く別のところにある。

それは・・・

私自身、特に高校生までは
自分を表現することが極端に苦手だった。

学校に行っても、
誰とも話さない日がざらにあったり、
体育の時の2人1組は毎回苦痛だったし、
お昼ご飯を一人で無言で食べることも良くあった。

そんな私が23歳の今、
当時からは想像もつかないような発信活動に打ち込める理由。

それは・・・
「自分が自分らしくあることの喜び」
をもっと沢山の人に知ってもらいたいから。

一人日光旅。外国人に声をかけて📸

ここでも、
先ほどご紹介した東大院生の話を持ち出すが、

彼は、私と同年代でありながら
「しっかり」と「他の何にも流されない」
「確固とした自分」 
を持って今を生きていたのである。

そのようにして、
自分が自分を表明していることに動じないさま
とでも言うのだろうか。

その在り方が、当時の私のからすると
「カッコよかった」のである。

残念ながら恋愛には発展しなかったが、
人として魅力的だったのである。

そんな人に自分もなりたいと思ったし、
尊敬している両親が長女である私に
計り知れない愛情を込めてプレゼントしてくれた
iroha nunoya」の名前で、

私は私のチカラで自分の人生という舞台を
謳歌したいなと思ったのである👀✨

また、こうやって元!極度の
田舎者×繊細さん×自己肯定感0だった私が
実名発信をすることによって、
私が東大院生から汲み取った人生の極意を
私も同じようにお裾分けできる人でありたいな。

と考えている。

そんな背景もあって、私は私であり続ける。

これ以上自分に負けない…覚悟と責任🤝

社会人1年目。
私は私が何をしたいのか、全く分からなくて、
自分のキャリアに迷宮入りしていた。

自分なりの地図が無かったのです。
それは迷子になって当然なのだが、

ずっと「我、何者か」
自分自身が分からないまま
社会人として世の中の大海原に放出されるのが
怖くて、耐えられなくて…

そんな経緯もあって社会人1年の9月頃から
私は覚悟を決めた。

わたし、ちゃんと生きる」と。

神社で自分との約束を立てる時間も好き。

遡ると、23卒。
麹町のOLとして新卒切符を
手に入れた2023年4月。

当時の自分にぴったりの「事務職」
という役職は気づけばいつしか窮屈に
なっていた。

それはまるで子供の靴

「自分らしい」「自分にピッタリ」は
更新されていくもの
なのだとその時気づいた。

そして、これまたびっくり。

まさかの現在ではセールスの現場で
通信機器を販売している。

なぜなら、マーケティングとセールスの視点は
いつの時代も消え失せることのない不朽不滅の
最強のポータブルスキル」になるという意見に
私は激しく共鳴したから。

VUCAとか老後2,000万円問題とか・・・
正直、世の中は世知辛く感じる時もあるし、
私だって逃げ出したくなる時がある。

そんな時、万事の妙薬「思考力」があれば
どんな時でも自分自身が腐らずに、
前を向けると感じたから。

この私なりの直感は、
行動に起こすのが早ければ早いほど
後の自分や、周りの人に対しても還元できる
プロフィットが大きくなると感じた。

したがって、
23歳。覚悟を決めたのである。
自分との約束はもう破らないと決めた。

「知は力なり」「時は金なり」。
初心を忘れない。
沢山の人に幸せを届けられる人に私はなる。

そう心した。


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1)大切な人に感謝したい時に🪸

2)自分の言葉で話せなくなった時に❤‍🩹

3)一生懸命になりすぎている時に🪴

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■今後の展望

北海道で酪農を支える

私の実家は北海道で酪農を営んでいる。

今になって感じるのだが、
北海道って360度パノラマで絵画の世界みたいに
美しい空が広がっている🖼

一本道が画になる。
尊い夕焼け。

当たり前の話の名だが、東京に住んでいると、
公共財であるはずの空すらも、
360度見渡せる場所に住みたいとなると
富裕層のみに許された娯楽と化している。

「なんだそれ」「聞いてないぞ」

実は今、そんな現状に
わたしは静かに憤っている。(笑)

だからこそ、私が生まれ育った北海道。
豊かな自然に囲まれた、幸せだった幼少期が
今も鮮明に蘇る北海道の情景は
守り抜きたいのである。

私自身、
あまり大きなことを言うと疲れてしまったり、
気が抜けたりしてしまうので
言及するのはほどほどにするが、
感謝してもしきれない地元の魅力を
一人でも多くの人に知ってもらいたい。

そう考えたときに、
私は酪農家として早くて年内。
遅くて来夏には腹をくくって終の棲家・北海道で
サードキャリアを歩んでいく予定である。

街のSDGsの取り組み・立案に貢献する

私は、一番大きなところでの夢は
「世界平和」「人としての在り方追求」
を掲げています。

ただこんなことを言うと、
あまりに抽象的な概念過ぎて、
もうひと段階だけ抽象度を下げる必要があるだろう。

そうなったときに思い浮かぶ概念が
「SDGs」「ウェルビーイング」「Hygge」
の3本柱が考えられる。
※「Hygge」→デンマークの言葉。
心地よい状況を表す。

実のところ、
大学での所属もSDGsに特化した
学科だったので、
潜在的に私と相性がいい考え方なのかもしれない。

驚くべきことに、私の生まれ育った町は、
人口5,000人ほどの小さな町にも関わらず、
かなり先進的なSDGsに対する取り組みが
国からも評価されている。

そんな偶然のご縁もあってか、
将来的には何らかの形で
持続可能な社会の実現に向けて
20代の今、培っている最中の
視点や見識を活かして
地域にも貢献・還元できる人材でありたい
と願っている。

この点においては、
まだ自分の中でも設計が抽象的なので
日々の気づきと成長の中で
解像度を上げていきたい分野であることは
言うまでもない。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

■最後に

ここまでお読みくださいました皆さま、
誠にありがとうございます
😌

勢いそのままに書いていたら
うっかり6,500字程
ペンが走ってしまいました💦

最後にお伝えしたいことは1つだけ。

私は誰よりも未熟で、要領が悪くて・・・
何者でもない凡人なのです。

それでも、凡人なりに
ようやく私が私らしくいられることの幸せ

を見つけることができました。

まだまだ道半ばの23歳が書き綴るには、
拙い部分もあったりする
自己紹介ならびに将来設計
にはなっておりますが、
お読みいただいた誰かの心を照らす言葉が
残せていたら本望です
🕊

⊹ ࣪˖ ┈┈ ˖ ࣪⊹ ┈┈⊹ ࣪˖ ┈┈˖ ࣪⊹⊹ ࣪˖ ┈┈ ˖ ࣪⊹ ┈┈⊹ ࣪˖

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これからも精進いたしますので、
温かい目でお見守りいただけますと幸いです🌸

最後までお読みいただき、
誠にありがとうございました!
そんな貴方に幸あれ!!🎀



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