「マスク似合うね」が「ブス」よりも傷つく理由。

 『あなたが今まで、容姿について人から言われた言葉の中で、最も記憶に残っている言葉はなんですか?』

 そう問われたら、私は5年ほど前に言われた「ムシコちゃんはマスク似合うね」という言葉がすぐに浮かぶ。
 もしあなたがこの言葉を言われたらどう思うだろうか。褒められていると感じて嬉しい?それとも悲しい?ーーー私は後者だった。

なぜなら、
「マスクが似合う=マスクを外したら醜い」と解釈してしまったからだ。

 そして今もその言葉を引きずっている。もちろん、「傷ついた言葉」なら他にもある。しかし、心に深く刺さったのはこの言葉なのだ。そんな捻くれた解釈をせずに言葉通り受けとればいいじゃない、なんて言われるかもしれないが、そうはいかないから苦しんでいる。
 だから、どうしてこの言葉が今も忘れられないのか、二つの理由を考えてみた。

一つ目の理由は、
その言葉が私のためだけに放たれた言葉だからだ。

 例えば、ただ単に「ブス」と言われただけならそこまで傷つかなかったと思う。ノーダメージかと言われれば違うが、「ブス」は抽象化されているし、悲しいことに聞きも言われも慣れているから受け流しやすいのだ。AbemaTVには『おぎやはぎの「ブス」テレビ』なんてものがあるくらい、「ブス」という言葉は世に溢れている。

 しかし、「マスク似合うね」という言葉はどうだろうか?
 それは、けして抽象的な言葉ではなく、真っ直ぐに私個人に向けられたものだ。「ブス」と違って私のためだけに発せられた言葉だ。そして私はその言葉を「マスクを外したら醜い」と言われていると解釈した。つまり、「マスク似合うね」は私のために創造された言葉であり、それゆえに私は自分なりの解釈を施し、「勝手に」傷ついたのだ。これが、一つ目の理由だ。   

 誤解がないように補足をしておくが、ここでは「ブス」という言葉を比較対象として出しているだけであり、この言葉が人を傷つけないわけではない。私は、「マスク似合うね」のほうが傷ついたと言うだけで、その言葉でも人は十分傷つくのだ。その言葉を推奨しているわけでもないし、使わないに越したことはない。これは全て、「私の場合はね」という話だということを忘れないでほしい。

 では、次の理由を話したいと思う。

二つ目は、
その発言をした人に悪意がなかったからだ。

 この「悪意がない」と言うのが頗る厄介なのだ。
 先ほど例に挙げた「ブス」という言葉には、 “一般的に” 悪意が込められているし、「お前を傷付けてやろう」という発言者の意思がそこにはある。それに、傷つけるために使う言葉であるから、その言葉が本心かどうかは関係ない。ブスだと思っていなくても、相手を傷つけるために「ブス」と言うことはできる。

 しかし、「ブス」と違って「マスク似合うね」と言う言葉に悪意はない。むしろ相手は褒めてくれようとしている。ちゃんと思っていないと出てこない言葉。だからこそ、その言葉は私に刺さったのだ。

 だってそれは、
「悪意」から生まれた言葉ではなく、
相手から見た「事実」から生まれた言葉

なのだから。


分かりやすいように、また別の実体験を挙げたいと思う。

 私は友人に「自分の容姿に自信がない」と打ち明けたことがある。心のどこかで「ムシコはかわいいよ!」なんていう甘い言葉を期待しながら。しかし返ってきた言葉はありきたりながらも私の心をぶっ刺した。

「みんなムシコの顔じゃなくて性格が好きなんだよ」

 この言葉に悪意はなかった。
 相手は真面目に私を励まそうとしてくれていた。「顔じゃなくて性格」というのは、相手から見た「事実」から生まれた言葉だ。この言葉は、相手は意図せず、私の容姿が醜いことを事実として肯定した上で慰めている。この言葉は私に事実を、現実を突きつけたのだ。だから深く深く私の心に刺さったのだ。

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 思い返せば、私自身も同じようなことをしてしまったことがある。
 小学生の頃、私は母親と祖母と3人で暮らしていた。母親が働きに出ていたため、家事は祖母が全てやってくれていた。そんな祖母に私はこんなことを言った。 

「ばぁばって、メイドさんみたいだね。」 

祖母は、泣き出した。当たり前だ。今では最低なことを言ったとわかる。しかし、その時の私は少しも悪気なんてなかったのだ。私は、「メイドさんって可愛くてお料理もお掃除もなんでもできて、すごいなぁ」なんてすら思っていたから、「メイドさんみたい」と、言ったのだ。
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 ここから導けるのは、「悪意がある言葉」よりも、悪意のない言葉の方がよく刺さるということだ。そしてその刺さった言葉はなかなか抜けない。また、刺した本人は大抵の場合それに気がついていない。これは決して、刺した人が悪い、と言いたいわけではない。私が言いたいのは、

私もあなたも
無意識に誰かを刺しているかもしれない

               ということだ。


 さて、私はここまで、「どうして傷ついたか」について述べたが、「どうしたら傷つかなくてすむか」については述べていない。それは、どう考えても、私は相手の言葉を自分なりに解釈して、傷ついてしまうから。

 このことを踏まえた上で、私にできることは、相手を傷つけないように気をつけることくらいだ。自分が傷つくことを避けられないなら、せめて人を傷つけないようにしたい。言葉というのは最終的に相手の解釈によって良くも悪くも変化する。だから、悪い解釈に導かれないように、なるべくなるべく傷つけないように、言葉を選ぶこと、それしか私にはできない。


 でも、私を含めて、
みんながそうできるようになれば、
いつかは私もあなたも傷つくことが
減るかもしれない。


なんて思いつつも私は心のどこかでわかっている。

きっと私はまた、気がつかないうちに人を刺してしまう。


いままでのように、これからも。




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