『 あなたは「難しいことを分かりやすく説明」出来ますか?~池上解説を身に着ける方法~ 』を 読んで ・・・
自分なりに 心に 響いた部分だけを 抜粋して 要約した 。
“難しいことを分かりやすく説明できた場合、そのコンテンツはテレビであろうとウェブであろうと極めて高い価値を生む。”
「 難しいことを分かりやすく解説する 」。
その意味する所は 実は 極めて深い。
「分かりやすい」と「簡単」は全く意味が違う
分かりやすく説明できるのであれば、取り上げるネタは難しければ難しいほどいい。
「 難しいことを分かりやすく 」は その落差が大きいほど 意味がある。
ウェブであればその記事を読むのはネタに興味を持つ読者だけだ。
ネタに興味がある人であれば分かりやすく解説をすれば必ず読んでくれる。
難しいネタは積極的に扱うべきだ。
原則として、文章は短いほど読みやすい。
文章を書いている本人は記事の内容をすでに理解しているので、説明不足の文章を書いていても、不足している箇所は脳内で補完してしまう。結果的に分かりにくい文章になる。
文章を自身で見直す際には一晩おくと良い
頭が完全に「執筆モード」になってしまって、自動的に脳内補完されてしまう状況を一度リセットするためのテクニック
ケネディとニクソンが初めてテレビ討論を行って勝負を決定づけた要因など、授業のような内容ではなく「面白い」内容も入れ込んで行く。
「面白い」からこそ最後まで読まれ、結果として勉強になった、というのがマネーやビジネスなどの真面目系コンテンツの理想形
所感:
これは かなり昔から 行われていて 、仏教の 始まりの頃 、つまり お釈迦様 、ゴータマ・シッダルタ の 方法 、対機説法 だと 思う 。
お釈迦様 その人自身の 教えは 、「あなたが 現実だと思って苦労していることは 、実は あなたが 今まで生きてきたことに基づいて 自分の 頭の中で 作り上げた 架空のものなのですよ 。」と いうことだと ぼくは 思う 。
架空 は 無い ということ では ない 。
小説や 映画のように 存在する 。
色即是空 は 中国語である が 、この空 は 架空の 空だ 。
色は 現象 、目に 見えるもの 。
そのことを 目の前の 人に 理解してもらうために 、その人に 一番わかりやすい 、一番興味を持っていることを例に しゃべっていく ・・・
ということ だと思う 。
ゆえに 仏教に 教義は ない 。
かたじけない 。