note 記事 、『 夏目漱石が「I love you」を「月がキレイですね」と訳した理由 』を 読んで ・・・
自分なりに 響く部分を 抜粋して 要約 。
“読みやすい文章を書けるかどうかの違いは「私はあなたを愛しています」のような、日本語のようで全く日本語になっていない表現に違和感を覚えるかどうか、つまり読解力の有無にある。”
「和訳文」であり「日本語」ではない。
執筆能力は読解能力で決まる
自分で書いた文章に違和感があれば書き直す……これを繰り返すだけで他人の力を借りずとも文章は各段にレベルアップする。
書く能力と読む能力はイコール
なぜ日本人なのに日本語を書けないのか?
自分が書き手に対して初回の添削指導をする際には、本文を真っ赤に直したうえで3,000文字の記事に対して同じく3,000文字くらいのアドバイスを付け加えて本人に戻す。人に見せられる文章を書くにはそれくらい徹底的な指導が必要となる。
何の訓練も受けていない子どもをピアノの前に座らせて、さあ自由に弾きなさいと指導したり、子どもをプールに突き落として、さあ想像力を働かせて泳ぎなさいと指導するような無茶な講師はいない。ただ、作文だけはそれに近いおかしな指導が行われている。皆が作家やライターを目指すわけではないが、これでは日本語の能力が上達するはずもない。
作文は特に苦手だった。
正しい手法や根拠が全く示されていないにもかかわらず、テストでは点数をつけられるという矛盾に納得できていなかったのかもしれない。
すでに文章力の有無は有能かどうか判断されれる材料となっている一方で、正しい日本語を書く訓練を受けている人は極めて少ない。
専門家として独立している人が対象だが、ヘタクソな文章書くとそれだけで馬鹿に見える、そんな文章を人に見せる位なら何も書かない方がマシだと伝えている。
所感 :
筆者 、中嶋よしふみ さんの 「 I love you . 」の 「日本語」としての 訳を 聞きたい ・・・
漱石の訳とされるものの 「採点」は あるが 、本人の 訳がない のは ちょっと 読んでて 不満だ 。
ぼくの訳 : 「 きみのためになる事なら なんでもしたい って気持ちに なっちゃってる ・・・ フラれた方が いいかな ? ・・・」
「 月がきれいですね 。」が 本当に 漱石の 訳なのか どうか の検証が なく 、巷間 流布している ・・・ という所から 突っ込んでいかないのは 、他の部分の 文章の切れの良さからすると 違和感 。
自分なり に とりあえず 、web 上だけでも 調べてみたい 。
似たような 話として 連想したのが 「 To be , or not to be , that is the question . 」( シェイクスピア「 ハムレット 」) の 訳として 「 生きるべきか 、死ぬべきか 、それが問題だ 。」とされている と 思い込んでいたことが ある 。
調べてみると web 上の記事に出てるだけでも いろいろな 対訳が 100年以上に わたって あったらしく 、その 一つ一つ に 注目していくと 、その背景に 広がってくる ものは とても 興味深いものが あると感じているからだ 。
追記 :「 月がきれいですね 。」の 根拠について ・・・
web 上で 検索してみた感じでは 、漱石自身が 言ったと 確認できる一次資料はなく 、典拠不明 ・・・ の様子 。
→ 「 夏目漱石と月が綺麗ですね 」
「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証
夏目漱石がI love youを「月がきれいですね」と訳した説はガセ?出典をめぐる検証が興味深い
かたじけない 。