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20240706(「春風を斬る」を読んで)

幕末~明治期に活躍した山岡鉄舟を題材にした伝記小説である。図書館でハードカバー版を借りたのだがとにかくデカくて重くて、主に通勤中と仕事の昼休みに本を読む私は持ち運ぶのがとても苦痛だった。ただでさえクソ重い社用PCをリュックに入れて毎日会社と家を行き来しているので。

話が逸れたがこの作品は山岡鉄舟の生涯と彼が生きた時代の出来事が描かれている。主人公は山岡鉄舟だが歴史上に名を残す人物が多数登場する、所謂群像劇のような要素も備えている。恐らく多少の脚色もあるかと思われるエモいエピソード(=西郷隆盛との交流)も盛り込まれている。
俗っぽい表現をするならば大河ドラマの原作に非常に適した小説であると言えよう。失礼な邪推ではあるが作者の神渡氏はもしやそれも視野に入れて執筆したのではないかとすら思ってしまう。私はこの作品を是非大河ドラマ化して欲しい。
小綺麗なジャニーズタレントや若手俳優ではなく見た目にもある程度貫禄があり、豪胆な山岡の人となりを余すことなく表現出来る、実力のある俳優さんを起用して貰いたい。

余談だがこれを書いている現在、翌日には東京都知事選の投開票がある。近頃めっきりXを開く事が少なくなったのだが、恐らく今頃はイデオロギーを振りかざした言葉の殴り合いで祭りみたいになっている事だろう。
選挙前に限らず大きな法改正や政治家の不祥事など、SNSでは事あるごとに政治論争が勃発する。本来国民が自由に政治について議論を交わせるというのは健全であり喜ぶべき事なのだが、私はことXで政治ポストばかりしている人々を露骨に軽蔑している。恐らくこれは私に限った話ではなく、そういう人は結構居るのではないだろうか。
政治的ポストをする人々を何故軽蔑するのか、と発言している当人達は不可解に思うかも知れないが、
見りゃ分かんだろ論理的とも建設的とも到底言えないような罵倒や政治家に対する人格攻撃がうんざりする程飛び交ってるのをあれだけ見せられてどうして軽蔑されないと思ってんのか寧ろそっちが説明してみろと言いたい。
意見とすら呼べないクソみたいなノイズでSNSを地獄にしておいて政治について真面目に議論してるつもりなら笑わせんなって話である。

でも、そんな政治に非常に関心のある皆さんと、幕末期に政治活動に関わった人達の本質は実は同じなのではないかと思っている。
幕末のあの時代にSNSがあったら、英傑として語り継がれている人達も、もしかしたら現代人同様に醜態を晒していたのではないだろうか。
未来が不安になるような出来事が起こった時に「このままでは駄目だ、この国の政治を変える必要がある」という、行動原理となる考えは恐らく昔の人も現代人も同じなのである。
ただ、現代はSNSというお手軽な手段があり昔は無かった。無かったから彼らは実際に行動した。武家社会に生まれ武士道という価値観のもとに育ったから当然のように命のやりとりもした。
だから本当に政治が変わったのだと思う。言葉だけではなく行動し、沢山の血を流したから。
革命の為に人が死ぬ事が美徳だなどと言うつもりは毛頭無いが、現代人は手段がお手軽故にどんなに声がデカくてもそこに実行力が伴わない。だから誹謗中傷まがいの言論に終始するだけで何も変えられない。覚悟が無いから。(たまにおかしな方向に行動力がある奴も出て来るが)現代人の政治論争が薄っぺらく見えるのはそういう事だ。実際に見ていないから美化されがちなだけで、恐らく昔の方が高尚だった訳ではない。差異は「文明のギャップ」程度のものだ。

さて、山岡鉄舟という人はどうだっただろうか。当時の若者らしく攘夷という思想に感化されながらも安易に時代に流されず、幕臣としての矜持を忘れなかった。明治維新において徳川家と江戸を守る事に大きく貢献し、明治天皇から絶大な信頼を得ながらも名声や権力に執着を見せず、それ故に多くの人望を集めたこの人は、例えあの時代にSNSがあっても手を出さなかったのでは無いかと思う。
何しろ禅道のもと生涯精進し、ついには寺まで建立した人である。俗な手法で政治を変えようなどという軽薄な発想はおそらく山岡には無いだろう。


※みんなのフォトギャラリーから、佐竹健さんの画像をお借りしました。
ありがとうございます。

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