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20240527(人付き合いについて考える)

家から程近いところに、時々訪れる居酒屋さんがある。
こじんまりとしたお店で、店員さんは三人。親子で切り盛りしているお店だ。
私が移住者だと話すと色々親切にしてくれて、色々と頼み事をしたりされたり、何かのイベントの時はちょっとした贈り物をやりとりしたり、
ただの客とお店以上の関係としてお付き合いさせてもらっている。
ただ、今年に入った辺りからちょっと色々と思うところがあり、何となく足が遠のいている。

一昨日久しぶりにお店を訪れた。
いつもと変わらず快く迎えて頂き、カウンターで隣に居たお客さんとお話したりして楽しい時間を過ごした。

カウンターの少し離れたところ、一番端に一人で来た男性が座っていた。
出張でこのあたりに来ていると話していた。少し容姿と話し方が特徴的な人ではあった。
店員さんはその人にも「何処から来られたんですか?」とか気さくに話かけていて、私も間に他の人が居なかったので、自分の席に座ったまま少しお話をした。普通に人のよさそうな人で、楽しく話をさせてもらった。
「いいお店ですね、また来ます」と言ってその人は嬉しそうに帰っていった。
私も何となく嬉しい気持ちで居たのだけど、帰った途端に店員さんはその人の容姿や話し方について悪口を言い始めた。
ご新規さんは大事にしないと~、等と冗談まじりに周りはたしなめたけど、
店員さんは更に「お金無いって言ってたし、どうせ滅多に来ないだろう」と言っていた。
それから程なくして私も席を立ったけど、とても嫌なものを見た、やるせない思いで帰途についた。

表向きは普通に接しておきながら相手が居ない所で悪し様に罵る「陰口を叩く」という行為が私が好きではない。
陰口に限らず、他人の悪意に対する耐性が極端に無い自覚がある。
自分に悪意を向けられるのは当然しんどいし、そうでなくても自分の周囲で飛び交っている悪意を見聞きするのもストレスを感じる。
陰口を言う人の心理も分からないし、これほどまでに他人の悪意を厭がる自分の潔癖さも理解できない。

陰口を言う人の心理には色々あるらしいが、今回の場合一番近そうだなと思ったのは、
「女性は特に感情の共有や共感を重視する傾向があり、ストレスを感じたときに他人と感情を共有することで安心感を得ようとする」というものだ。
確かに自分はそういう「女性らしさ」が欠落している自覚があるので理解出来ないのかも知れない。

自分の悪意に対する潔癖さについては、おそらく生育環境によるものだと思われる。
私の親はいずれも心根が清らかな人達だと思う。母が悪意を露わにしたところを私は殆ど見たことがないし、父は色々と残念な人ではあるが裏表がなく、親しくしている人の事を陰で悪く言ったりしたことはない。(寧ろ陰口を叩かれる方の立場ではあるかも知れない)
そんな両親を見て、私は悪意や陰口は「人に向けてはならない」というよりも「向ける必要がない」ものだと思って育ったような気がする。
だからわざわざ悪意を他人に開示する人の気持ちが理解出来ない。下品だとすら思う。汚いものを見せらせたとすら感じる。

客商売だからどんなお客さんが来ても愛想良く接しなければならない、それは確かにストレスなのかも知れない。
だけど私だって一応「お客さん」だし、他の客が悪く言われているのを目の当たりにしたら、
自分も居ないところでは言われているのかも知れない、と考えるし、もし今嬉しそうに帰っていったあの人がこの事を知ったら悲しむだろうな、と想像すると心も痛む。

私は子供の頃いじめに遭っていた。結構長い間。ずっと同級生達の悪意に曝され続けていた。
大人になってからは比較的周囲の人達に恵まれ、幸せな人生を送っていると思っている。
別段神様の存在なんて信じちゃ居ないが、私はあの子供の頃に一生分に近い他人からの悪意を受けて、ある意味それが清算されたのかも知れない、等と楽観的に考えていた。
だけど現実的に考えてそんな事がある筈がなく、普通にこうやって他人の悪意に直面してしまうこともある。
そんな時は自分で自分の心を守るしかない。誰も守ってはくれないし、誰かに守ってもらう義理も無い。
ちょっとした陰口を叩くことぐらい、殊更に咎めるような事ではないのかも知れない。もしかしたら誰でもやってる事なのかも知れない。けど、申し訳ないが少なくとも私はやってないし許容出来ない。
相手にやめて欲しいと言うつもりもない。そんな権利は自分に無いと思っている。踏み込み過ぎである。おそらく彼女には彼女の理由がある。
だったらもう距離を置くしかない。どうしても付き合わなければならない関係ではないのだから。

傍から見ればこんな「些細なこと」で遠ざけられるような、その程度の関係と思われるかも知れないが、
私は今回の事が結構ショックだった。一人で移住して来た誰も知り合いが居ない場所で、出会って親しくなれた事をとても幸運だと思っていた。私は普通に相手のことを慕っていた。相手がどうかは知らないが。
でも理解できないこと、譲れないことを我慢して、自分を犠牲にしてまで私は人と付き合えない。
例えば仕事の人間関係とかなら多少我慢すると思うけど、そうではない限り私が一番尊重するのは自分の心だ。私にとって自分の心以上に大切なものなど他にはない。
だから悲しいけれど、私はこういう事があったらきっとこれからもその人を遠ざけていく。
基本人との交流は大切にして生きていきたいけど、ネガティブな執着をしないために、ある意味ドライでいようと思っている。

※「みんなのフォトギャラリー」から、トウユウジさんのイラストをお借りしました。ありがとうございます。

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