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昨日ポルノグラフィティさんのLIVEに行ってしれた事。

かつて私が最初に迷い込んだのが、コンサートの仕事がメインの派遣会社でした。
名古屋のサーデーフォークから発注されて、お世話になった派遣会社が派遣してコンサートの仕事をするということです。
わかりますかね?

たぶん35〜39才くらいまでやってたでしょうか。

うちの派遣会社が分かれて、分かれてった方の人について行って、新しく派遣会社を作ったんです。
で、分かれても、サンデーさんからは、古い方の社名でずっと呼ばれてて
いつ伝わるのだろうと思ってました。

それが今日LIVEに行って、関係者入り口のところにずっと立ってたんです。
私も控室に使っていたし、サプリングというチラシ組む仕事もした事もあります。
そしてら、その古い方の会社名で呼ばわれてたんですよ。
よく聞く台詞で。
10年以上も経って。

何が嬉しかったというと、小さい会社だったので、コロナ禍仕事激減して、潰れていないか心配してたのです。
という事は、社長の○○さんが、お変わりなくなくやられてるのは間違いない事はわかりました。社員、アルバイトの顔も浮かびますが。

もちろん会えしませんでした。
ただ潰れてなくてよかったです。
おばさんが若い子達に混じって楽しくやらせていただきありがとうございました。

ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?