「推し活」について考えてみた

あの堅物な娘が、
推し活を熱心にして
大枚を叩いている。

「毎日、思っているのか?」
と聞くと
「そうだねー。毎日Twitter更新されるし」

SNSの発展により他のファンの方と会話できたりツイートを見ると、
毎日、思っている。

これは恋?
毎日思う事は、
恋じゃなかったのか?

推し活という言葉のお陰か
毎日思っても、よくなったのか?

シブがき隊のファンだったが、
毎日思ってただろうか?

ミュージシャンミーハーとしては、
毎日歌ってる事はあっても、
毎日思ってただろうか。

推し活には、
手づくりのグッズ作り
もあると思う。

昭和な私でいうと、本当にやった事あるのが、
マフラーもセーターも編んだ。
これは、編んでいる間
「ずっと思っていた」という事だ。
これは、重い。

でも、推される職業を選んだ人達には、その重さを受け入れる度量があるという事なのか。

私の場合、恋と勘違いしてグッズではなく、
詩紡いでいるだけなのか。
私の場合、作品として昇華できるので、よかった。

安上がりだしね。

ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?