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優先順位は軽さ

若い頃と今(アラフィー)では何が大きく違ってきたかというと、何を言っても「体力」です。これは、身体的なことと精神面、どちらにも当てはまります。

やらねばならないことは、若い頃より増えているのに、体力が続かないから断念する、みたいなことが増えました。例えば、日々の予定の詰め込み方。若い頃は、午前中にアレやって、午後にアレとコレ、夜には飲みに行って、深夜帰宅で早朝起床なんてことが可能でした。今は、1日に予定は多くても2つ。仕事以外は1つの予定が限界。大変残念なことです。

だからと言って、やらねばならないことを減らせる訳じゃないので、そこは知恵を使います。仕事を削るとか(それ、知恵か?!)家事を子供たちに振るとか(これも知恵とは言い難いけど)。少しずつ負担を減らさないとやっていけません。

特に夫が死んでからは、背負っているものが増えました。子どもたちは大きくなりましたが、それでも2人の方が断然楽でした。お金がかかる話も多くなりましたし。私がひとりで解決しなければならないことだらけで、日々疲れます。2人でやるのが当たり前だったことを、いきなりひとりでやれって引き渡された感じと言うと、わかりやすいでしょうか。

少ないパワーで、最大限のことをこなしたい。私の最も苦手とする「効率化」というものに向き合わねばならなくなりました。そして、効率をよくするには、「身軽さ」が重要だということに、気がつきました。

わかりやすいところから言うと、カバン、でしょうか。昔は革のカバンを好んで使っていました。なんでなのかわかりませんが、本革のカバンは大人の証、高級ブランドで自分をちょっと格上げ、みたいな。そんな感じだったのかもしれません。身に付けるもので、自分を大きく見せることができると信じていました。あんなに重いのに。

でも、この年になってくると、自分を大きく見せることの意味を考えます。

自分を大きく見せるって、誰に?何のため?それって、必要なこと?

他の方はどうかわかりませんが、私は確実にそう疑問に思うようになりました。そして、疑問に思ったことを止めるようにしました。だって、その方が楽です。人の目を気にしないってことに繋がりますから。

アラフィーの現在、カバンはほとんどが布製。リュックの出番が圧倒的に増えました。革のカバンは、ほとんど出番がありません。雨の日にも気軽に使えるし、布カバン、最高。

締め付ける服、高いヒールの靴。それらの出番もなくなりつつあります。少し前に  #KuToo運動が巻き起こりましたが、大賛成です。あんな靴でこれまでよく歩いてきたなと思います。かかとに豆を作って流血しながら歩いたり、外反母趾になったり、一体誰のためだったのだろうと振り返ります。

自分の体は、自分で労わる。自分の機嫌は、自分でとる。それらの真の意味に、50歳近くになるまで気が付きませんでした。今の若い人は、効率化とか、そんな周りくどいことを考えるまでもなく、自分の体に正直に、真正面から向き合えることを羨ましく思ったりもします。

でも、まだまだ、誰のためかわからないことを押しつけられたり、窮屈に暮らしている人も多くいると思います。もっと自由に、身軽に生きていい。アラフィーになった私は、堂々とそう思うし、そんな世の中になって欲しい。若い頃は、体力があるから、どうにかこなせちゃうけど、無理はしなくていい。無茶はたまにはしてもいいと思うけど。

年齢を重ねると確かに体力はなくなるけど、そこから先の解放感は、なかなか良いものです。軽さを優先させて、これからも縛られず、自分の道をまだまだ探し続けていきたいと思います。

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