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それぞれの立場

最近、当事者側からの視点で書いていることが続いていたかと思います。
実は、仕事で支援者である職場の人たち、または支援者交流会で支援者同士会ったり話したりする、
そういう場においての違和感が大きいです。

少し前に、支援者のほうが視野狭窄に感じられることもある、と書きましたが、

きっと、当事者は自分の今の状況をなんとか変えたいと思って、必死に色々探したり、情報を得ようとしたり、本を読んだり…

例えば私の関わっているひきこもりの界隈だと、居場所だったり、発信している人やサイトだったり…
当事者には詳しい人が多いのに、

支援者は自ら探したというのではなく、交流会などで見た、聞いた、知った情報くらいな方が多い気がします。驚くほど色々なことをご存知ない方は多いです。

相談の職場でも、職員は傾聴や相談の技術などにはとてもとても細かいのに、
例えば、依存症や自傷行為、虐待などに関する本を持っていって置いていても、あまり読まれている感はなく、
またやはり実際の情報などに疎い、そのことを疑問にも思っていない方が多いように思います。

状況よりも気持ちを聴く、そこに徹するように指導されるので、
情報は必要ないと思っているかのようです。

私は元々、様々な社会問題、生きづらさ、その中で当事者がそれぞれにどのように生きているか、
このような福祉の仕事をするよりもっともっと前の学生時代から関心があったので、
(今考えれば、社会学者がよかったのかもしれない。学生の頃はインタビュアになりたかったですが、そんな仕事が成り立つと思わないから、編集者など夢見ていました。)
本をたくさん読んできたり、足を運んでみたり、動画や記事を見たり、

情報を得ようと思っているわけではないですが、多分とても情報量は多いと思います。
当事者の方々ととても話が合います。

世の中には、とても様々な生き方があり、困難があっても、それをかわしたり、抜け道や突破口を探したり、力になる人と知り合ったり、知恵を与えてくれる本と出会ったり、紛らわすための何かを見つけたり、

試行錯誤しながら、また転んだり起きたりしながら、自分の道を手探りで探して生きていくこと、そこに意味や醍醐味があるのではないでしょうか。

「本人がなんとかするしかないので、本人が自分と向き合うように、
肯定も否定もせず、むやみに情報を与えず、本人の心を掘り下げていく」
そのような方針の相談対応を訓練されてきましたが、

もちろんそれが大切であることも重々承知してはいますが、どうもバランスに欠けているのではと感じています。

当事者、支援者、そして家族という視点もまた異なっていると思っています。
家族の視点についてはまた改めて書きたいと思います。


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