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行人 (著)夏目 漱石 「神経質な兄さん」と「市場を超越した論理」

異色アナリスト 小説

 投資は自己判断、この言葉をうるさく感じる人はたくさんいると思います。一方、株式投資やトレードに関する雑誌やインターネット上の情報で、アナリストが推奨している銘柄をひとつひとつ吟味して悦に入っている人もいます。

 選挙やオリンピック、IRといったイベントが控えていれば、それを見越した株価予想が気になるところです。みんなこぞって分析をします。表層的な事象から深掘りをして、経済波及効果を提示している人もいれば、一点突破の理論を展開して分析している人もいます。当然ですが、いくら予想をしてもその通りにはなりません。

 ~までに値上がりする株、予想株価レンジ、~は買ってはいけない、読んでみてその背景を自身で検証することが重要です。予測の基礎となる算定式や材料が公平であるか、数字の根拠は恣意的に用意されたものではないか、ここをクリアにしなければなりません。

 過去の予想が的中しているかは、実際に確認してみればすぐにわかります。

 彼らアナリストは慈善事業ではありません。そもそもアナリストでもないのかもしれません。

 そんな情報や思惑が錯綜する中、とんでもない理論を展開して投資家やトレーダーにアプローチをしてくるアナリストがいます。

 例えば、世界経済的に好材料の情報が発表され「日経平均は年末までに10%以上上昇する」という予想があるとします。市場全体が盛り上がっているにもかかわらず、異色アナリストが本当に理解できない理論でそれを否定する場面です。その否定の内容を何度噛み砕いてみてもうまく飲み込めません。しかし、いつのまにか飲み込んで腹落ちしています。

『行人』に登場する兄さん一郎は、頭の構造が常人より幾倍よくできています。彼はその明晰な頭脳からとんでもない理論を展開します。ただの逆張りで破綻していると感じさせない奇妙な説得力があります。

あらすじ
妻お直と弟二郎の仲を疑う一郎は妻を試すために二郎にお直二人で一つの所へ行って一つ宿に泊まってくれと頼む……。知性の孤独地獄に生き人を信じえぬ一郎は、やがて「死ぬか、気が違うか、そうでなければ宗教に入るか」と言い出すのである。(解説・注=三好行雄)

引用元:(著)夏目 漱石 (作品名)行人 (岩波文庫)


 私は、著者の小説の中でこの『行人』が特に好きで何度か読み返しています。初めて読んだときの感想は、あぁこの著者は学校の教科書には載るべき人ではないな、と思いました。誤解をして欲しくはないのですが、これは賛辞です。学校の教科書はある程度の範囲があり、この作品はその範囲を飛び越えていると感じたからです。それまで私は『こころ』『坊ちゃん』『三四郎』『硝子戸の中』と読んできましたが、それらの作品群と比較しても著者の本質的な良さが理解できました。

 その「良さ」の中核が”一郎兄さん”というキャラクターです。一郎兄さんは、いわゆるインテリ気質なので、知識量も豊富です。それにも増して、物事の本質を見極めようとする知的探究心が強く、自ら考えその検証をしようと試みないと気が済みません。口だけの人間ではなく実行力もあるのです。それが周囲にいる常人からは当然理解されずに(理解しようとも思わない)苦悩は続きます。


 弟の二郎からは「もう少し馬鹿になったら好いでしょう」と言われる始末です。

 この小説は、一郎兄さんの苦悩に支配され暗い雰囲気が全体を覆っているように思うかもしれません。しかし、私はその悲劇の中に喜劇を感じる所があり悲観的にならずに読むことができました。

 証券会社が公表しているアナリストレポートには、一郎兄さんのような超越理論をしているアナリストはあまりみかけません。おそらく証券会社側からの検閲が入っているからでしょう。

 現在(2020年8月時点)では個人的なアナリストもインターネット上や雑誌で発信する機会が増えています。個別銘柄であれば財務諸表から分析されたROE、PBR、PER、配当性向等から、外部要因である業界や世界の景況を考慮して予想していればそれほど違和感は生まれません。

 そうではなく野生の一郎兄さんのように妙に納得するような超越理論を提示する猛者もいます。もはや常人の私が読めば理論は破綻している印象を受けます。それでも、彼らには確固たる裏付けがあるような自信があります。

紹介文

「御前メレジスという人を知っているか」と兄が聞いた。

「名前だけは聞いています」

「あの人の『書翰集』を読んだ事があるか」

「読むどころか表紙を見た事もありません」

「そうか」

--略--

「メレジスって男は生涯独身で暮らしたんですかね」

「そんな事は知らない。またそんな事はどうでも構わないじゃないか。しかし二郎、おれが霊も魂もいわゆるスピリットも攫つかまない女と結婚している事だけは慥たしかだ」

引用元:(著)夏目 漱石 (作品名)行人 (岩波文庫)


 プライドが高く、自身の考えに揺るぎない自信を持っている人間は、他の人の意見を寄せ付けません。知らない情報は、どうでもいい、とるに足りないものだ、そう切り捨てます。

 アナリストの株価予測は、実際にどの程度の的中率か検証してみた報告が多々あります。アナリストが上昇すると予想した銘柄、下落すると予想した銘柄が数ヶ月後にどうなっているか? その結果、どちらも上昇していた、という笑い話があります。

 的中率や、もっともらしい理論も統計学も、現在進行形の株式市場の前では無意味なのかもしれません。

 そんなときに、自信満々で市場を超越したとんでもない理論の持ち主の意見に耳を傾けてしまうことがあるのでしょう。一郎兄さんのようなアナリストの登場を心待ちにしています。 

著者紹介
夏目漱石
1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生れる。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表し大評判となる。翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。’07年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。1916年、最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。

引用元:(「BOOK著者紹介情報」より)


こんなトレーダーにおすすめ
・仮説検証タイプ
・アナリスト推奨銘柄保有者
・独自投資理論タイプ

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