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愛と死(著)武者小路 実篤

ダブルトップ銘柄 小説
「二つの山」と「恋愛の行方」
 物語がこの後どのように展開されるのか、という予測をしながら小説を読むことがあります。キャラクターの行動やある出来事がきっかけになって話の筋に仮説を立てます。株価のチャートであれば、出来高やその銘柄に関するIR情報が出たり、決算発表等で変動します。チャートだけを分析して投資やトレードをしている人がいます。

 ある条件に合致するようなチャートになれば、様々なテクニカルなシグナルが点灯し、トレンドが形成されます。明確に強いトレンドが形成されれば、その後の株価がどのような値動きになるのかは予想がしやすくなります。経済の知識がそれほどなくても、トレンドに乗ればうまくいくときがあります。

 トレンド形成として代表的なシグナルのひとつにダブルトップがあります。株価が上昇し続けた高値圏から、少し下落し、また上昇します。そして前につけた高値を超えることができずに下落していく場合に、チャートの形がMのような形になります。そうしたときに大きな下落トレンドが形成されます。

 今回の『愛と死』の内容には、強烈なネタバレが含まれます。ですから、これ以上の情報を入れたくない人はここで引き返してください。

 この小説を語る上でネタバレは不可避であり、しかし語りたくなるような筋があり、人物が登場します。

あらすじ
友人野々村の妹夏子は、逆立ちと宙がえりが得意な、活発で、美しい容貌の持主。小説家の村岡は、野々村の誕生会の余興の席で窮地を救ってもらって以来、彼女に強く惹かれ、二人は彼の洋行後に結婚を誓う仲となった。ところが、村岡が無事洋行を終えて帰国する船中に届いたのは、あろうことか、夏子急死の報せであった……。至純で崇高な愛の感情を謳う、不朽の恋愛小説である。

引用元:(著)武者小路 実篤 (作品名)愛と死 (新潮文庫)

 著者の小説は『友情』から入りました。おそらく多くの人がそうだと思います。感想はというと清々しいほどの直線的な物語、です。現代の複雑な構造の小説と比較すると「ベタ」という印象でした。

 一方、『愛と死』という小説はどうでしょうか。私の感想はやはり「ベタ」でした。しかもこの小説のタイトルが『愛と死』です。それを前情報として読み進めていくわけであり、どうしても「愛」と「死」という先入観が生まれます。それに新潮文庫の場合、裏表紙のあらすじを読めばほとんどこの小説のストーリーラインはわかってしまいます。

 ヒロインの夏子はまず器量が良いそうです。それが彼女の最大の魅力ではありません。堂々と臆するところがなく、陽気でありながらシニカルを含んだユーモアさえ持ち合わせています。主人公との会話や手紙でもテンポがよく、気の利いた台詞を返していきます。正直なところ主人公と釣り合いがとれていないとも思えるほど、夏子の存在が大きく描写されています。

 感情のストーリーラインは株価のチャートと類似点があります。高いところまで登りつめた感情曲線は、調整を入れなければいずれ破綻します。あらすじにあるように、主人公の村岡と夏子が出会い、恋に落ちるその瞬間が一番大きな山場だったのかもしれません。そこから愛を育み、婚約まで辿りつき主人公が海外に出るあたりで調整が入ります。しかし、徐々に帰国が迫り結婚が現実味を帯び始め、感情が高まってきたあたりで夏子の訃報に触れます……。

 そこからは奈落の底に落ちていくだけです。 


「本当に早く半年たつといいのですね」

「本当にどんなに嬉しいでしょう。その喜びを百倍するために西洋へ行くようなものです」

「帰るためにゆくのだとおっしゃったわね。あの言葉の本当の内容がわかるのは、あの席にたった一人きりないと思いましたわ」

「その一人に僕は生命をささげます」

 夏子は何の意味もなく冗談を言った。

引用元:(著)武者小路 実篤 (作品名)愛と死 (新潮文庫)

 ネタバレをされても問題なく面白い小説が武者小路実篤の技量なのです。『友情』を読んでいたのでこの『愛と死』でも予測した通りに物語が進行し、そのまま終わりました。きっちりと要所々々でフラグが立ち(シグナル点灯)、トレンドが形成されました。それでも著者の小説は読む価値があり、王道の素晴らしさを理解することができます。

 株価が思った通りの値動きをすることはありません。しかし、本当に強いトレンドが形成されたと感じたときには、それには逆らわずに順張りをすることに決めています。

著者紹介
武者小路実篤(1885-1976)
東京・麹町生れ。子爵家の末子。1910(明治43)年、志賀直哉らと「白樺」を創刊、「文壇の天窓」を開け放ったと称された。1918(大正7)年、宮崎県で「新しき村」のユートピア運動を実践、『幸福者』『友情』『人間万歳』等を著す。昭和初期には『井原西鶴』はじめ伝記を多作、欧米歴遊を機に美術論を執筆、自らも画を描きはじめる。戦後、一時公職追放となるが、『真理先生』で復帰後は、悠々たる脱俗の境地を貫いた。1951(昭和26)年、文化勲章受章。

引用元:(著)武者小路 実篤 (作品名)愛と死 (新潮文庫)

こんな人におすすめ
・テクニカル分析タイプ
・スイングトレーダー
・順張りタイプ

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