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(小説5分読書)四辻御堂物語~水龍の巫女と妖狐の罠~(私を呼ぶ声①)無料

夏の星空は時間を気にせず眺めていられるからいい。寒さで手足が悴むこともないし、着膨れたみっともない格好をたまたま通りがかった人に見られることも無い。一晩中、星の散歩に付き添える。
 でも、虫にはうんざりしてしまう。蚊に襲われるのも、よくわからない虫に激突されるのも耐えられない。
 結局、季節に関係無くベッドのそばの窓から片手ほどの数も見えない星を眺める。どうせ、街明かりが朝まで続くこの町じゃどこに行っても一等星くらいしか見られない。それでも、寒くて毛布に包まる必要もないのだから、やっぱり夏の星空がいい。夏の大三角は、今どの辺だろう。
 氷が溶けて、上と下で二層に分かれた残りの麦茶を飲み干して、私はほとんど見えない星空鑑賞を終わりにする。いつか、満天の星を悠々と眺めたい。星座なんてわからないけど、そんなことどうでも良くなるくらいの星空を見たい。長野とかに行けば見られるのかな。
 そんなことを考えつつ、瞼の裏で輝く星々をひとつひとつ撫でているうちに眠りにつく。星と星の間の闇に脳が溶けていくような感覚が心地良い。

「な……さ。なぎ……さ。……へ……って」

 鼓動の異常な早さに目がかっと開く。息も荒い。まだハッキリしない視線を天井に定めて、とりあえず呼吸を整える。
 ここのところ、こんな起き方をすることが増えていた。なぜ目を覚ましたのかはよく覚えていない。夢を見ていたような気もするし、誰かが枕元に立って話しかけてきたような気もする。
 呼吸が落ち着いたところでゆっくりと体を起こし、改めて深呼吸をする。息を大きく吐き出したところで、ようやっと時計を見てまた心臓が跳ねた。完全に遅刻だ。

「なぎさー!起きてるかー!」

 一階から父の声が響く。今更声をかけてきても遅い。いつもそう。父はのんびりしすぎているし、そこにとてもイライラする。なぜ母はこの人と結婚したのだろう。
 理由を聞きたくても、母は居ない。私が七歳の時に居なくなった。きっと帰ってくると何度も父に言われたけれど、私が中三になった今も戻ってきていない。父は探そうとしているようにも見えない。それがまた腹立たしい。それ以上に腹立たしいのは、母のことも父のことも半ば諦めている自分自身だ。

「行ってきます。お母さん」

 小さい私と写っている写真の中の母に自分の気持ちを気取られないように口早にそう告げて、学校へ走る。今日の一時間目は国語だ。担当の天野先生は優しいから遅れてもきっと許してくれるだろうが、内申点は落としたくない。もうすぐ夏休みなのだから、ここで落としてしまっては今までの苦労が水の泡だ。なんとか授業が始まるまでに教室に着きたい。
 息も絶え絶えに走っていると、目の前の踏切がけたたましく鳴り始めた。

「嘘でしょ!?」

 ここは開かずの踏切。一度閉まったらなかなか開かない。バーが閉まるまでに走り抜けようと足に力を込めた時、突然後ろから大声が降ってきた。

「よしなせぇ!」

 たじろぎ、足がもつれてしまう。なんとか転ばずに踏ん張ったものの、踏切のバーは無情にも目の前で通せんぼをして、電車はこれ見よがしに目の前を通過していく。これでもう、一時間目に遅刻確定だ。

「いやぁ、危なかったでやんすねぇ。もうちょっとでお前さん、粉々になってやしたよ?」
「うるさい……」
「え?」
「うるさい!あんたのせいで遅刻確定じゃない!」
「それは八つ当たりってもんでさぁ。遅刻するような時間に起きたのが、そもそも悪いんでやんすよ」
「なっ!」

 そう言われては何も言い返せない。

「この踏切は事故も多い。駆け込み侵入は、お勧めしやせんね」

 のらりくらりと私の怒りをかわしてしまうこの男は、一体どこから現れたんだろう。さっき通った時には居なかったし、何より佇まいの雰囲気が独特すぎて寝起きの脳みそではまず処理が追いつかない。
 着物を羽織っているのに、その下に着るにはちぐはぐなTシャツにぶかっとしたズボン。帯は軽く締めているだけで腰に引っかかっているだけにも見える。いかにも今慌てて出てきましたというだらしない格好だ。それなのにちゃっかりとお洒落なハットを頭に乗せて、靴も高そうな物を履いている。手を着物の袖に入れて歩く人なんて現代にも居るのか。
 服装の次に目が行ったのは、この男の瞳だ。どこか違和感があるというか、まるで人間の瞳のようには見えない。雰囲気が独特なのはそのせいだろうか。なぜだか解らないが、急に不安が足先から登ってきた。

「そう怖い顔しなさんな。取って食ったりしやせんよ」

 肩をわざとらしくすぼめてみせるのが、余計に胡散臭い。

「別にそういうんじゃないけど」
「そんなら命の恩人にもっと愛想良くしてくだせぇ。まるで蛇に睨まれてるみてぇで背中がゾクゾクしてきやがる」
「蛇嫌いなんだ」
「好きか嫌いかで言ったら、嫌いでやんすね。あの冷たい感じが」
「なんで?目とかまん丸で可愛いのに」
「『今時女子』の考えるこたぁわからんことばっかでやんすね」

 わけわからん男に、わけわからん女扱いされるのは心外だ。言い返してやろうとしたら踏切が開いた。おかしい。いつもはもっと閉まっているのに。

「開きやしたよ。これならまだ間に合うんじゃねぇですか」
「言われなくてもわかってる!」
「もう飛び込んだりけっつまずいたりしないでくだせぇよぉ!」

 授業に間に合うかどうかよりも、早くこの場から立ち去りたい。もう二度と会いたくない。

カバンを小脇に抱えてもの凄いスピードで走って行く渚の後ろ姿を、まるで思い出を眺めるような目つきで男は眺めていた。
その輪郭がぼやけて誰ともわからなくなると、急に眼光をきつくして踏切の装置をにらみつけた。先程から、お化けが怖くて隠れている子供のように、装置の周りの空気が微かに揺れている。

「さて、ここいらでおいたしてるって噂になってるのはお前さんのことか。自分が死んだことを信じられないのかなんなのかは知らねぇが、赤の他人まで巻き込むたぁ随分お粗末な魂でやんすねぇ」

 言い終わるが早いか、男は袂から黒ずんだ小瓶を取り出した。形は壺にも似ているが、男は手のひらにすっぽり収まるそれの口を塞いでいる木蓋を取り、真っ直ぐと踏切装置に向けた。

「おぉぉぉおぉぉおぉ」

 上空で吹き荒れる低くこもった風の音のような、何かの呻き声のような、不気味な音が男の小瓶に吸い込まれていった。男の周りに小さな渦風うずかぜができる。風が止むと音も止み、辺りは何も無かったように静かになった。
 また踏切が作動し、けたたましい音と共に電車が風を起こす。そして電車が通り過ぎると、あっけなく踏切は気をつけの姿勢に戻った。

「さぁて、これで一件落着。人間の都合を全部物の怪のせいにされちゃあたまりやせんからね。それに縁も繋がりやしたし。……やっと、ようやっとでやんすよ、みおさん」

 男はまた懐かしそうに、もう見えない後ろ姿の陽炎を見つめた。


次回、
四辻御堂よつじみどう物語~水龍の巫女と妖狐の罠~(私を呼ぶ声②)

??「そりゃ氷の渚だってキレるよ。あんなこと言われたら仏陀だってキレるね」

次話全話


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表紙絵は妹に依頼しました✨
この素晴らしい絵を見た時の僕の感動が伝わるでしょうか!!!!伝わってほしい!!!
最後まで、書き切ります!!

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