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【短編】明日にいきたくないんですけど

「あなたの居場所はどこですか」
そう聞かれて、答えられなかった。何にも持ってないから、と自分を卑下してみたり、でも心の中では何か人と違うはずと思って、結局は何一つ持っていなかったあのとき。今はどうだろうか。あの時から何が変わったんだろう。知ってることは増えた。けど同じように色んなことを忘れた。経験したことのないことをたくさんした。その代わり、経験していなかった頃の気持ちをどこかに置いてきた。

 私はどこに行けばいいんだろう。どこにいればいいんだろう。呼吸の仕方を忘れたとか、胸が締め付けられるように痛いとか、涙が枯れないとか、ヒット曲の歌詞みたいなことは起こらない。いつも通り朝6時半に起きて、歯磨きして、出かけて、営みが終われば帰り、お腹が減って何か食べ、リンスの替えを買わないとと思い出しながらシャワーを浴びて、通販サイトを覗きながらドライヤーを揺する。そうして、眠くなった頃にぼんやりと考える。ちょっと心が重たくなって、仕方ないから逃げるように眠る。毎日。毎日。毎日。毎日。

 そうやって時間が経った。思い出さない日も出てきた。景色が色彩豊かに戻ってきた。くだらないことに腹を抱え笑うこともある。そうやって日々を過ごせることが、少し悲しい。悲しいけど、街を歩いてる人たちもきっと同じような思いをしたことがあって、それを乗り越えたり向き合ってる途中だったり、実は挫けていたりしてるんだ。だから良いんだ、私も。


今日も、お腹が減った。







 玉ねぎ、ピーマン、マッシュルーム、それと冷凍の小エビ。なければベーコン、ベーコンがなければソーセージ。ソーセージがなければハム。ハムもなければ、小エビを買ってくる。今日は、ベーコンとエビがいるからどっちも使うことにした。
野菜はそれぞれ薄切りにして、サラダ油で炒める。塩をふって甘みを出して、その間にお湯を用意する、できるだけたっぷり。エビは臭みも味わうから、余計な処理はしない。ベーコン、ソーセージ、ハムはできるだけ分厚く切る。お湯が沸いたらパスタを茹でる。1キロ250円の安いパスタ。500グラム340円のパスタは確かに美味しい。でもこの料理に美味しいパスタなんて必要ない。アルデンテも別にいらないから、袋表記のプラス1分茹でる。塩味は適当。小エビとベーコンを野菜と一緒に炒め合わせて、いい感じになったらケチャップを頭抱えるくらい、ウスターソースと醤油をあっ、って思わず声が出るくらい入れる。フライパンの端でケチャップの酸味を飛ばすとか、そんなことはしない。野菜と混ざり合ったって酸味なんて飛ばせる。パスタが湯がったらザルに開けて、油を軽くまわしかけて放っておく。フライパンも火を切っておく。

 ポットで湯を沸かして、キャニスター缶から安い豆を掬いフィルターに落とす。どこ産でどんな挽き具合かもわからない、大手スーパーのプライベートブランド。高い豆に違いを見出すのは10年後でいい。氷を溢れる手前まで入れたグラスに、コーヒーを通していく。ポタポタ、と落ちる黒い液体に氷たちがたまらず縮こまる。グラスの縁ギリギリまで注げたら、パスタの元へ帰るのだ。

 空いたコンロで目玉焼きを作る。高火力でカリカリのやつを。目玉の縁が白身がかってきたら、水を加えて蓋をする。そうしたら放置されたのびのびの麺をフライパンに移し着火。ぐちゃぐちゃと混ぜ、全体が混ざったら丸く広げて、弱火で麺を焼き付ける。これをしなかったら、今までの工程は全て水の泡だ。音を聞いて、しっかり焼き目がついたらひっくり返す。2、3度繰り返したら火を止め、ちっこいバターを入れて最後の混ぜを行う。照りが出たら目玉焼きの火も止めて、盛り付け。楕円だえんの皿に、雑に盛り付けたパスタ。その上に、ちょっと焦げた目玉焼き。表面張力で戦っているアイスコーヒー。しばらく作ってなかったことを、今更思い出した。





「ナポリタンにはさ、絶対にアイスコーヒーだよね」
「意味わかんない、味混ざって変じゃん」
「マリアージュって呼んで」
「うるさ。てかこんなに寒いのにアイスコーヒーってばかだよ」
「アイスじゃなきゃだめなんだって」
「私には理解できないよ」
「そっか」
「そう」
「じゃあいいよ」
「なんでよ」







 ナポリタンには絶対にアイスコーヒー。当たり前だと思っていたのに、その当たり前は誰かにもらったものだった。その誰かはもういないのに、あなたのかけらが私に残っている。ここに、いていいのかな。あの時の私は、間違いなく居場所があった。そこに縋るのは、間違っているのかな。
「あなたの居場所はどこですか」
ハッと顔を上げる。都会の喧騒けんそう、町はずれの静けさ、人々の数、空の広さ、喜び、悲しみ、苦しみ、幸せ、欠乏、やめて、やめて、やめて。


居場所なんてどこにでもありそうなのに、私は今日もすこし居心地が悪い。

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