見出し画像

*小説 私の後悔【後】


本編


扉に人の影が映っている。
その影はそのままノックした。
私は返事をすると扉が開いた。



どこにいても気が休まらない日々でした。


本来安全基地であるはずの場所はもちろん、どこも自分を受け入れていないような不安と不信感を募らせていた頃です。

気づいたらその人は近くにいました。

名前は知っている。

それくらいの印象しかなかった。
そこで直感が働きました。

きっとこの人も偽りの自分に惹かれて近づいたのよ。
過去に自分の思い通りにしようとしてきた人達のことを思い出しました。
そういった人たちの前ではできる限り隙を与えないようにしなければならない。

そうしないと付け込まれて、また負の連鎖に陥ってしまう。
幸いこの時期の私は常に神経をすり減らしてしたので、問題ありませんでした。

そう思ったはずなのに。

いつもの違和感はどこにいったの。

おかしなことに嫌なざわめきはありません。それどころか安心感を覚えました。 

不思議な人。時折視線を感じても気にならない。
どこに居ても視線を感じて外を歩けなかったあの苦しみとは全く違う。

はじめて味わったこの感覚に私はどうすることもできませんでした。



後にそれを愛だと知りました。

心身ともに辛いときにあの人の何気ない言葉に救われました。もう偽りの自分を演じなくていいと言われているように感じました。

偽りの自分を手放そうと決めてから長いリハビリ期間が始まりました。


じっくり自分と向き合いました。

葛藤に苛まれましたが、過去のそれと比べたら大したことありません。
思えば自分は異様に周りの目を気にしていました。周囲が求める人物像を壊してはいけないと必死に演じていました。 

重たい鎧を脱ぐにはかなりの時間を要しました。

傷つけられないように纏った一心同体の存在を簡単に脱ぎ捨てるのはとても覚悟が必要でした。

けど、そうしないと何も始まらないのは知っています。

一気に鎧を脱ぐのは難しいので、小さなことから始めることにしました。

怖くなったらまた身につけても構わない。だって長年身につけていたもので安心感がありますから仕方のないことです。

演じていた自分が苦手としていたことをやってみました。中でも、「分からないことを聞くこと」に挑戦しました。

不安、恐怖、嘲笑といったネガティブな思いが頭の中を渦巻いていました。

行動に移したときは肩透かしを食らったものです。世間はこんなにも優しいのね。

同時に今まで自分は小さな世界に苦しんでいたのかと悲しい気持ちになりました。

今まで手にしていい時間をどうして犠牲にしないといけなかったの。

本当の自分を取り戻そうと始めた頃は、悲しみに明け暮れることが多かったです。

悲しくても打ちひしがれて立ち直れないものではなかった。「これからは自分次第で変えていけるもの」と前向きになれました。


──────────────…


病室に入ってきた男性は、丸椅子をベッド付近に引き寄せて座った。

「こんにちは」

「どうも」

「ちょうど良かった。お茶が飲みたいな」

「ちょっと休ませてほしいな」

「少しだけね」


一言も話さないまま時間だけが過ぎる。
目線を天井から彼に向けると一瞬躊躇う様子を見せたが、やがて腰を上げて静かに病室を離れた。
残念。私の「ちょっと」は短い。

まだ全てを話せていないから。ほんの少し時間がほしい。


お待たせしました。帰ってくるまでには終わりますから、水を差すようなことにはなりませんのでご安心を。


過去の自分との決別を経て、ようやく本当の自分の人生が廻り始めました。

一歩踏み出す前に私は過去に培ったものを全て捨てました。

もう本当の自分に必要のないものでしたから。

とても「体」が軽かった。

満身創痍だったとは思えないくらいでした。

これから先の未来は自分自身で創り出せばどうにでもなる。その思いを胸に日々前進しました。

ゆっくりと目の前の景色が変わりました。

戦場のような荒れ果てた地から、彩りのある豊かな世界へ。

下を見ることしかできなかったあの日。
今は空を仰いで世界はこんなにも美しいと覚える日々。

ずっと求めていたものをようやく手にすることができました。

そう、手にしたのです。

手にしたはずなのに。
どれだけ変えても「心」が満たされない。

きっかけをくれたあの人が脳裏をよぎる。

何も言えずに過去と一緒に捨てたはずだったのに。

何も言えなかったのは、言ったら芽生えた気持ちが溢れそうだったから。

あの人と共に過ごす光景が浮かぶと同時に恐怖が押し寄せた。

漠然とした不安。
生き地獄のような過去がフラッシュバックした。
奪われてきた可能性や時間。
カゾクから受けた傷を今度は自分が傷つけてしまわないかと。
私といたら不幸にしてしまうかもしれない。

何かを得る代償として人は何かを手放さなければならない。

私は奪われることが恐くて何も言わずに去りました。

これが私が唯一後悔したこと。



ん?

あれ?どういうことだ?

この流れだとさっき出ていった人は誰なんだ?

正真正銘あの人ですよ。
実際何も言わずに去りましたから。


あ。そうこうしているうちに帰ってきましたね。
今から皆さんに正解を聞いてもらいましょうか。


「ほい」

「ありがとう」

「相変わらず自分のペース乱さないな」

「それはそっちもでしょ」

「駅で突然声かけてきた人には負けるわ」

「分からないことは聞かないと困るじゃない。あの駅広くて近くに駅員さんいなくて迷子になってたから」

「あれだけ広いとなあ…工事前のときはまだ歩きやすかった。その足の怪我、あそこでやったんだっけ」

「そうそう。エスカレーターが人でわんさかしてたから階段使ったけど、その日雨で階段が濡れてて滑ってそのまま落ちた。足って簡単に折れるんだって」

「選ばれた人間にしか分からないなそれは」


怪我で退院するまでの間、天井を眺めて振り返っていました。
仕事に追われる日々でなかなかできませんから。
良い機会でしたね。


本当の自分はかなりマイペースです。
突然近くの人に声かけたりするもので「意外とアグレッシブですね」と驚かれたり。

かと言ってお近づきになろうとする人がいれば淡々とした態度で必要最低限の会話で一線を引いています。

行動力もありましたね。
頭であれこれ考えて身動きが取れなかった過去の自分はどこへ行ったのやら。

見た目が落ち着いているので、いわゆるギャップが激しいという対象だそうです。
限られた人にだけ自分の素を知ってくれたらそれでいい。

変わりましたね、自分。


「そちらも偶然会った相手によく連絡先聞けましたね。見るからにしなさそうなのに」

「ここで逃したらもうないと思って。交換したのはいいものの、なかなか連絡来なかったな」


そうです。連絡先を交換しただけで全く連絡しなかった。
フラッシュバックに苦しむ最中で昔と同じことが起きたらどうしようと。

長い時間考えた末、少しずつ打ち明けることにしました。

戸惑いがあったと思います。

結果、言わずもがなこのようなお気楽な関係に。

「………満たされたな」

「何が」

「ひとり言ですけど」

「そうですか」


白黒の世界しか知らなかった自分に、二色が混ざり合ったグレーを教えてくれた人。
感謝しかない。



長いこと話したらすっかり日が暮れていたわ。


「退院までにまた来るわ」そう言って彼は病室を後にした。

病室にまた静寂が戻った。

今日はここまでね。

限られた時間で今度は何を思い返そうかしら。



END.



後書き


はじめまして。柳昴琉といいます。

小説はもう10年以上前に始めましたが、大半はメールの専用フォルダに妄想の産物を保存して自己満足に浸っていました。
自己表現を自由に発信できるnoteとお会いして「ここだ!」と心の中でおしゃべりした産物を載せることにしました。

noteを立ち上げたのはいいものの、「さてどうしようか」とあれこれしているうちに投稿までかなり時間がかかりました。
加えて内容は決まっていたものの、いざ書こうとすると数行、あるいは言葉を少しだけ書いて下書き保存を繰り返す日々でした。

傷ついた心を癒すのは他の誰でもなく、自分が癒すことになります。
ですが、そのきっかけをくれるのは自分以外の誰か。
狭い世界から抜け出したときは恐怖の一言に尽きましたが、世間はこんなに優しいのかと実感したときは見える景色がガラッとしました。

グレーってとても難しいと思います。
自分にとってはグレーでも、相手にとったらそれは黒かもしれない。
環境や関係性によって白にでも黒にでもグレーにでもなる。

大切なのは「自分と相手の色が違っても人それぞれだから仕方ないよね」と
頭の片隅にしまっておくことではないかと思いました。

少しずつですが小説を書き上げたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。

柳昴琉

この記事が参加している募集

スキしてみて