*小説 猫のような君は【前】
世の中には目に見えないものを言語化することを得意とするタイプがいる。
アーティスト気質の人は分かるかもしれない。
言葉にできない代わりに、文字や歌、絵画にしたり、あるいは芸術の域を超えて武道で自己表現するようなイメージだ。
歴史に名を残す芸術家の作品にはそれを納得させるものがある。
まさに言葉で言い表せられないものを感じるのだ。
朝から何故このようなことを考えているのか。
目の前で寝ている彼女がまさにそのタイプだからだ。
彼女はさっきのタイプでいうと文字タイプだろう。
話すよりも文章にして表現するのが得意らしい。
実際彼女の文章には引き込まれる力がある。
さらにそれを彼女本人が発言すると、言葉に重みが加わって納得させられる。
(これに関して本人は「吸引力?どこのメーカーの掃除機ぐらい強いの」と真剣にメーカーのサイトを調べようとしていた)
同じ文章でも、話す相手によって深みが大きく異なるのはあながち間違いではない。
その差は豊富な人生経験からくるものだと会社の先輩から教わったとき、まさかと思った。
その疑念を見事払拭したのが彼女だった。
彼女は不思議な人だ。
全員が右を向いているのに、左を向いている。
雑談でにぎわう雰囲気に溶け込まない。
同じ空間にいるのに彼女だけ異空間にいるような感じ。
誰とも話さないわけじゃない。
業務上において必要最低限の会話はしている。
実際彼女の仕事ぶりは申し分なく、特に会議や取引先の資料作成の出来は高い評価を得ている。
くどいようだが彼女の話を耳にするのはあくまで仕事の話。
だいたい似たような話が出てくる。
「いつも一人だよな」
「暗いわけじゃないけど淡々とこなすから話す隙がないというか」
「プライベートの話とか全然聞かないな」
「いいんじゃないか?仕事きっちりこなしてくれるから」
だいたい誰かが彼女の仕事スキルを言ってお開きのパターンになる。
これを上司が使うと遠回しに「口ばかり動かしているお前らは彼女を見習え」という意味を含んでいる。
好んで使うあたり彼女への信頼度は高いようだ。
――――――――――――――――…
駅に着くと改札前で多くの人が立ち往生している。
改札に入ってすぐに引き戻す人やスマホを掲げて掲示板を撮る人(運行状況をSNSにアップして知らせるのだろう。律儀な人だ)、はたまたひたすらスマホに夢中の人などが自分の視界にいる。
もう見慣れた光景だ。社会人以前から経験している。
最寄りの路線が運転見合わせで電車が動かないとか。いわゆる遅延というやつだ。
運転再開は1時間後か。それで済めばまだいい。
タイミングが悪いと本当に災難だ。別件で乗り換え先が遅延となると待ち時間も帰宅時間も延びてしまう、とか。
生憎自分はそれを考慮して今の家を見つけた。おまけに閑静なエリアでアクセスが良く遊びに行くような場所からも近い。家賃もお手頃。
我ながら物件探しには満足している。
穴場を知っているだけで物件探しはだいぶ楽になった。
自分の住宅情報はこのあたりにしてどこかで時間を潰すか。
そうと決まれば早く場所を決めないと。
同じ考えの人たちに先を越されてしまうと、駅から近いお店はすぐに人で溢れてしまう。
居座り先はあっさり決まった。
自分の不動産運の良さがまさかここで発揮されるとは。
駅チカで席数の多いファミレス、ネット環境良好。
さらに驚くなかれ。
なんと噂の彼女が運を運んできてくれた。
注文して役目を終えたタブレットを元の場所に戻した。
視線を目の前の彼女に向け、遅ればせながらお礼を述べる。
「ありがとう助かった。今さらだけど相席していいの」
彼女は何も言わず頷いた。
彼女がいなかったら自分は未だに外から店内を一瞥してすぐに他の休憩所を探し回す一人になっていた。
それくらいここは多くの人が駅から出て真っ先に向かうほど立地がいい。
自分は運が良かった。
偶然外から見える席に座っていた彼女と目が合い、軽く会釈し少し時間を空けて彼女は店員に声をかけて店内に入るよう促してくれた。
四人席に向かい合って座るなり、すぐにタブレットを渡されてすっかり挨拶が遅れてしまったのだ。
「目が合ったとき雨に打たれた子犬みたいな顔してたから。濡れてる子犬は入れてあげないと可哀想じゃない」
「そんな顔してた?」
「なんとなく。それか安楽の地を求める放浪民」
「相変わらず独特な言い回しするよね」
以前の自分ならこの後「仕事でも言ったらいいのに」と続けて言っていただろう。
それは言わない。彼女がそう言われるのを好まないからだ。
見た目はきっちりしているように見えて本当は気分屋。
言葉を選んで論理的に話すより、感覚で思いつきで言うほうが正しい。
その感覚で話すのも誰かを傷つけない言葉を瞬時に選び、ユーモアに富んでいて面白い。
仕事では真逆でロジカル人間っぽい感じでよくスイッチを切り替えられるものだと感心している。
例えるならそう。普段は気ままにしているのに気分で飼い主にすり寄る猫のようだ。
運転が再開するまで猫が心を開くまでの話をしようじゃないか。
再開は予定より長めになってもらえるとありがたい。
To be continued...