無責任な言葉。
「大丈夫だよという君の言葉は 1番大丈夫じゃない」
生前に父が好きだった歌手。
私も良く聞かされていた。
たくさんのCDが、今もクローゼットの中で眠っている。
どの曲も、女性の感情を綴ったとても良い歌詞。
20-30年前の歌なのに、今も通じる共感。
歌を聴いていると、
当時のことを思い出してしまう。
懐かしさを感じると、
悲しくなる。
だからあまり聴かないようにしている。
音楽の力はすごい。
眠っている記憶を呼び戻す装置。
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言葉はたいてい「無責任」と感じる。
いや、それは文章だって同じ。
他人に向けた言葉は「責任」を持たない。
正確にいうと「仕事」では、
「責任」が発生する場面が多々あるかもしれない。
「時間をお金に変えている場面」以外について、例えば「ご飯/遊び/眠り」etc.
これは人間にとって多くの時間である。
プライベートな時間。
これらの場面に発する言葉や文章は、
ほとんど責任がないと思っている。
ただ、例外として「結婚しよう」などの、そう言った約束事は別。
言い換えると、そのほとんどが「無責任」ということになる。
私がなぜ、このように強く感じるのか。
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私はよく相談するたびに、
「大丈夫大丈夫!」「時間経てば忘れるよ!」「切り替えよう」「引きずっちゃダメ」「無理しないで」「あまり悩まないで」
などの助言をいただく。
とてもありがたい。
はげまされるし、おちつく。
それとは別に、それらの言葉だけを切り取って考えてみる。
他者から発するそれらの言葉に、「責任」はあるのだろうか。
例えば「無理しないで」という言葉。
もしその思考に沿って生きていったとする。
その場面で無理をしなかったことが、
将来無理できなくなるかもしれない。
そうした場合というのは、当たり前だけど
「そのときに言葉をかけた人に責任はない」
と考えるのが普通だ。
生きていくことに対する責任は
最期まで自分にある。
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普段、何気ない言葉を発したり貰ったり、
文章に起こしたり目で見たり。
色々な外的な要因が、
その人自身の土壌となる。
人間は「無責任」という土壌の上に立っている。
その土壌の塊は、意外と強固で壊れない。
大丈夫
壊れないよ
受け取り方さえ間違えなければ、ね。
つづく。
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