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格闘技・武道は悩める男の子の特効薬

僕自身の経験と、息子ふたりを見ていて、男にとって最も人生を左右するできごとは、侮辱に対して抵抗できるか否かであると思っている。特に男は、侮辱に屈する者は学校であれ会社であれ、確実にランクが下がる。そんなことはない、と思われる方は女か、よほど庇護された環境か、侮辱を感じる知性がないかのいずれかであると思う。

気概だけは「舐められたら殺す」という鎌倉武士の心性を持っていなければ、舐められれば一族郎党食い物にされた鎌倉時代からは生殺与奪に関わる深刻度は下がっているものの、個人の心には一生負け犬根性がしみついてしまう。男子は小学生からお互いの試し合いでランク争いを始めている。勇気のなさで侮辱に屈してしまい、忸怩たる思いを抱く悩める男の子に、僕の経験を踏まえて特効薬を処方したいと思う。それは、格闘技・武道である。

余は如何にして格闘技・武道と出会いしか

勘違いする読者はいないと思うが、僕は現代日本において「舐められたら殺せ」と主張したいわけではない。侮辱に屈する姿勢を男が他人に見られることは、現代においても物心両面の不利益をもたらすので、それに対抗しうる気概と勇気、そして自信を養うのに最も適しているのが格闘技・武道であると確信しているだけのことである。さて、少し長い自分語りをさせてもらう。

僕は愛知県の田舎育ちで、運動よりは読書が好きな少年だった。とはいっても喧嘩をまったくしないほど陰気だったわけでもない。まあ普通の田舎の少年だ。それがなぜ格闘技をするようになったかといえば、自分の勇気のなさに自己嫌悪に陥る事件があったからである。

中学1年生のとき、僕の友人が悪めの同級生に公然と暴力を受けていた。きっかけは友人がそのワルにちょっとした陰口を聞かれたことから始まったように覚えている。僕は、止めることも先生を呼ぶこともできなかった。なぜなら、僕自身も以前、そのワルにちょっかいを出して膝蹴りをみぞおちに食らい、ショックを受けていたからである。

結局友人は、ワルの気が済むまで暴力を振るわれた。僕は友人に何も言うことができなかった。たとえ痛い目に遭わされた相手でも、友人の危機に立ち向かうことができなかったことは事実である。自己嫌悪に苛まれながら家に帰ると、運命的なチラシがあった。近くに空手道場ができるというのである。しかも今日からだ。

僕はさっそく見学に行き、その場で入門を申し込んだ。両親には事後報告だったが、母に僕には似合わないと言われたものの反対はされなかった。もちろん理由は言わなかった。それが、今でも愛知県を中心に活発に活動している、日本空手道不動会である。

日本空手道不動会

不動会は、その当時はいわゆる極真ルールのスタイルだった。顔面突きなし、金的蹴りなし、つかみ・投げなしというルールで試合を行う。ここで、僕はめきめきと頭角を現した……とはいかなかったが、下段廻し蹴りの重さを褒められた。読書が好きだった僕が運動で褒められる経験はなかったので嬉しくなり、稽古がある日以外も練習するようになった。

そして、空手を身につけた僕は、友人に暴力を振るい僕に膝蹴りを食らわせたワルを、叩きのめした……とはいかない。そのワルも普段から鼻つまみものだというわけではなく、僕の中に彼への憎しみが掻き立てられなかったのだ。結局、決着をつけることも雪辱をすることもなく、中学校を卒業した。その後、ワルは同窓会に顔を出すこともなく今も音信不通である。

高校に進学してからは、高校の近くにある支部に学校帰りに寄るようになった。空手の体力をつけるという動機で、部活は陸上部に入った。種目は5000メートルと3000メートル障害である。皆が大会で記録を伸ばそうと走っているのに、僕は空手のことだけを考えて部活をしていたのである。部活の同期にそれをたしなめられたこともある。

そんな声は気にせず、高校生になって組手を本格的にやるようになった。組手とは試合形式の練習のことである。師範の中に、綺麗な入れ墨を背負った本物のヤクザがいて「思いきり蹴ってこい」というので思いきり蹴っていた。本当に石柱のようにびくともしなかった。大人に混ざって稽古する高校生は僕を含め四人ほどいて、僕が一番年下だった。

本格的に組手をするようになって、僕は次第に不安にとらわれるようになった。思い出すのは中学校のときのワルである。顔を殴られたらどうするのか。金的を蹴られたらどうするのか。当時の稽古は、防御というものを教わった記憶がない。型の中で、上段受けや下段払いがあったが、それを組手で使う発想は誰にもなかった。

下段廻し蹴りは力を入れて受け止め、中段突きは腹筋に力を入れて耐える。腕で受けるのは上段廻し蹴りだけだった。膝を上げてローキックをカットするとか、外受けで中段突きを流すとかそういうことは教えてもらわず、痛みに耐えかねて受け止めから逃げると、薩摩武士のように「女々か」と怒られた。ナイフで来られたときも腹に力を入れて耐えるのかと思っていた。

高校を卒業して県外に出るまで、僕は不動会で稽古を続けた。顔面・金的への攻撃、対武器、対多数についての技はなく、漠然と不安を覚えてはいたが、戦いに挑むための基本の突き蹴り、鍛錬への意欲と習慣、敵に立ち向かう勇気と闘争心を絞り出すマインドセットなど、生涯の財産をこの時期に発見することができた。特に、相手の攻撃に対して前に出ることは、その威力を減殺しかつ自分の攻撃のチャンスを作ることができる。社会に出てから、最も使うマインドセットになった。

大学は北海道になった。愛知県を中心に活動している不動会は当然ない。僕は、不動会のときに感じていた不安を解消できる技術を教えてくれるところがよかった。そこで見つけたのが、日本空手道無門会である。

日本空手道無門会

無門会は受即攻といういわゆるカウンターを重視する形式が有名だが、試合のルールとしては顔面突き、金的蹴り、捌きによる投げが有効とされている。もちろん、スーパーセーフとファールカップを着ける。スーパーセーフの上からでも殴られると、衝撃波で鼻血が出ることもある。かといって、素手に最も近い感触で殴れるのは今のところスーパーセーフしかないと思う。

無門会の技術体系は、高校生のころの不安を素手に関する限りはすべて解決した。顔面突きに対する受け、胴への突きに対する受け、金的蹴りに対する受け返し、前蹴り・廻し蹴りを捌いて投げる技術。そういったものを、空動作、約束組手、自由組手で段階的に実戦に耐えうる精度に仕上げていく。この技術体系に僕は夢中になり、突きに対する受即攻の動作を在学中に100万回やると決めて、達成できた。では試合でどうだったかと言えば、精神力は褒められたが技術はまだまだというところであった。

しかしながら、道場に通わなくなった今も、空手の基本稽古は8割方無門会で習った技で行っている。それだけ完成度の高い技術体系ということである。残ったのは、対武器と対多数である。無門会でもその技術体系はなかった。大学を卒業し、僕は転勤の多い職業になった。最初の赴任先は山口県である。その職場には合気道部があり、僕は自主練で空手をやりつつ、合気道を習うことにした。

合気会

その合気道部の責任者は、職場の怖い先輩だったので、僕は皆勤賞で参加した。重心の崩しと力の流れのコントロールで相手を制する合気道は、今まで経験したことのない技術だった。しかしなにより、僕の興味を惹いたのは合気道には対武器・対多数の技術体系があることである。

空手しかやっていないときには、短刀や長刀に対して素手と同じような対応しか想像できなかったが、よく考えなくても受けた部位を斬り落とされることしか思いつかない。それで釈然としない不安を心の片隅に抱えていたが、合気道は体捌きで攻撃をかわすと同時に、攻撃で崩れた体勢を利用して制圧の型へもっていく。受即攻の形のひとつであると思う。

今までの空手の経験は大いに役立った。初動の読み、足さばきの要領、相手を崩す力の流れは、空手をかなり応用できた。特に無門会でやった攻撃を捌いて投げる円の受即攻は、合気道にかなり近かった。対多数も、突進する相手の死角に入りながら捌いていくという技術体系があることを知り、ここにおいて僕が中学生のときに感じていた不安はすべて解消された。

合気道に試合はないが、対武器・対多数を想定した技術体系で試合はさして意味のあるものにはならないと思う。システマやグラブマガに試合がないのも同様だろう。型の反復が、対武器・対多数の技術の精度を上げる唯一の方法である。もちろん、試合をする格闘技を否定をしてはいない。

使用する技術を制限し、1対1かつ武器を使用しないという条件を設定することで、その技術の精度をピンポイントで上げることができるし、なにより試合という模擬的な戦いで闘争心と不動心、度胸を養うことができる。

さて、転勤族になった僕は、山口県の職場をわずか2年で異動になった。福岡県に異動した僕は、そこで左膝の靱帯を切る大ケガをした。回し蹴りはもちろん、左脚を軸足にする右の逆突きも、膝が崩れてろくにできない。ほとんど今までやってきた技術ができなくなって、大いにへこんだ。福岡時代は道場を探すことも通うこともできないまま、今度は帯広への辞令が出た。

大道塾

靱帯再建術のダメージも抜けてきて、僕は住居から最も近い空手道場を探すことにした。それが大道塾だった。スーパーセーフを使って試合をし、顔面突きはあるが金的蹴りはなく、投げから寝技が許されていた。やはり以前のような動きはできず、その都度自分の置かれた状況が惨めになったが、それでも新たな技術を吸収することができた。

無門会では正拳突きの距離で対峙することがほとんどだったが、大道塾はそれより近い間合いがしばしば生じる。肘打ち、鉤突き(フック)、下突き(アッパー)、つかんで膝蹴り、タックルを切る方法など、興味深い技術を多く学ぶことができた。

今までやってきた道場と比べて、大道塾は支部が多い。帯広から今度は東京への異動になったが、東京でもすぐに大道塾の支部は見つかった。しかも、支部長同士が全国大会などで顔見知りなので、何の抵抗もなくすぐに受け入れてもらえた。

その後、異動は続き熊本県、また東京、そして愛知県と全国を回ってきた。激職に就いたり、支部がなかったりで、結局大道塾は辞めてしまい、今はどこの道場にも通っていない。しかし、基本稽古は続けている。空手は8割無門会、2割大道塾の基本稽古をやっているし、息子たちの鬼滅の刃ごっこで合気道の足さばきを使って練成したりしている。もう試合に出ることはないだろうが、逃げてはいけないときに戦う態勢をとることはいつでもできる。

格闘技・武道がもたらすもの

先にも述べたが、格闘技・武道を学ぶことによって鍛錬の習慣、闘争心、逃げない自信など、男にとって必要なすべてを習得することができる。侮辱に抵抗できず、自己嫌悪に陥って自信を失っている男の子は、ぜひ何か格闘技・武道をやってほしい。最後に、僕が中学生のときの自己嫌悪を克服できたと確信したできごとを紹介したい。

高校を卒業して1年目、同窓会があった。会場になる居酒屋で、何か騒ぎが起こっていた。見ると、女が男に駐車場に転がされて蹴られている。その女は同窓会に来た同級生だったので、僕はどきどきしながらも近づいていった。当然、男は怒り狂っていて、僕に近づいて睨みつけてくる。僕よりもかなり背が高かった。間合いに入られたので、動きそうになったがこらえた。

「その女は俺の同級生だ。今日は同窓会だ。やめろ」

それだけを言った。間合いに入られているのにそのままでいることが不安で、震えていたと思う。しばらく男とにらみ合っていた。同級生の女が僕に下がるよう言い、僕は男から眼を離さず間合いの外に出た。男に跳びかかってくる様子がないことを確認し、僕は離れた。まだ同級生に暴力を振るうようであればもう話し合いの余地はない、と覚悟しながら。

その後、男は謝ってくれた。僕は、逃げるべきではないときに立ち向かうことができたことに大いに満足した。これで中学校のときの忸怩たる思いをしていた僕ではなくなったと確信できた。もう10年以上前の話だが、いまだに幼なじみと飲むと話題になる。その同級生の女が今の僕の妻ではない。残念ながら。

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