ゴールデンカムイ


ゴールデンカムイというアニメを見たことで湧き上がった感情を吐き出そうと思う。


ゴールデンカムイの舞台は幕末〜明治の北海道樺太で、アイヌ民族の血を引く女の子と不死身の武士の2人が隠された金銀財宝を探す旅に出る話だ。


そこで敵なのか味方なのか分からない幕末志士や浪士たちがいっぱい出てきて、銃戦やら頭脳戦やらしながら、お宝争いしていく。


もともと歴史は割と好きな方だったから、ゴールデンカムイの世界にどっぷりハマった。初めてアニメを見た時、幕末歴史モノのパロディということで、銀魂の香りが少ししたけれど(土方歳三や永倉新八が出てくる)、銀魂はなんちゃって幕末だが、ゴールデンカムイはわりと史実に基づいてるのかな?という感じだ。



それもあるが、謎の下ネタ(う◯こやち◯こ、幕末ということで男色っぽい表現や勃起などの言葉の連呼など)でのギャグ路線もあり、その辺りも銀魂っぽさがあった。


ただ、ゴールデンカムイはあくまでも金銀財宝の旅がメインで、ギャグはおまけ。銀魂はギャグメインでたまにシリアス編が入り込むという構造で、ゴールデンカムイのほうが王道の少年誌らしさがある。



ゴールデンカムイのいいところは、出てくる幕末志士たちが、常に敵か味方か分からないというところだ。主人公たちと利害が一致して、一緒に行動していたかと思えば、あるタイミングで裏切り殺し合いになったり、元々因縁のある関係だったことが分かったり。



アニメを見ていて、何度も「お前だったのか!」「嘘だろ!」「いつから内通してたんだ!」と呟いてしまったくらい、おもしろい。



そしてなんと言っても、アイヌ民族の言葉や考え方、食べ物、狩猟などが、かなり詳しく紹介されて、嫌でも北海道に行きたくなる。



中学で歴史を勉強したとき、アイヌ語をノートに書き出して覚えようとしたのが懐かしい。厨二病あるあるだろう。



あつて日本にあった、そして滅びた民族、言語。


外国とはまた違う親近感と、でも日本とは違う価値観を持った人々に、私も会ってみたかった。



北海道には変わった地名が多い。それもほとんどはアイヌ語から由来している。



もし戦争で、日本が北海道や樺太のアイヌを守り、アイヌ民族がまだ続いていたら、なにか変わっていただろうか。


北海道に知らぬ間に根付いている考え方や価値観の中にはアイヌのものがあるのだろうか。


アニメではアイヌ人は濃い顔で、特に主人公の女の子はロシアの血も引いているから青い目をしているが、アイヌ人は本当にそんな顔だったのだろうか。


書き言葉もなく、狩りをして生きてきたアイヌたち。厳しい自然の中で動物を狩り、自然を畏怖畏敬する姿は、本来の人のあるべき姿であると痛感した。


ITや医療など、人の手で様々なことができる社会になったが、この世の誰しもは、自然に打ち勝つことなんて出来ないんだ。



人は生きているのではない、神に生かされているのだ。自分がどう足掻こうと、今、生きているとしたら、それは生きる運命なのだ。改めて、生と死について、自分という存在のあり方について、捉え直すことができた。



ヒンナヒンナ。

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