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虚構を生み出す力

エディタさえ決まっていれば、もう小説を書く準備はできているかと思います。しかし、そう簡単には書けないものです。そのため、一歩ずつステップアップしていく必要があります。

では最初のステップは何かというと、「虚構を生み出す力」の獲得です。この講座の今回の記事では、そのことについて説明します。

死なないため生存バイアス

「生存バイアス(生存者バイアスとも)」って知っていますか? よく「成功者の話は偏っているから話半分で聞け」という文脈で語られることが多いのですが、実は生存バイアスの有用な側面は見落とされがちです。

生存バイアスという概念の始まりとして紹介される事例として、戦闘機の話があります。ある時、戦闘機の装甲を強化することになりました。強化する箇所は、戦場から帰還した戦闘機を調査し、最も被弾の多い箇所にしました。一見すると順当な流れです。

しかし、ある数学者がそれにストップをかけ、なおかつ全く反対の主張をしました。「被弾のない箇所を強化しろ!」と。なぜなら被弾の多い箇所は多数被弾しても帰還できるわけで、致命的ダメージにはなっていないからです。そして同時に、被弾のない箇所は一発でも被弾したら帰還できなくなるほどの致命的ダメージになると示しているからです。結果として数学者の提案が受け入れられました。

このことから、「基準を通過したものだけをサンプルにすると偏った答えを導き出してしまう問題」として「生存バイアス」という概念が広く知られるようになりました。それこそ「成功者の話は偏っている」と語る際に持ち出されるほどに。

それも正しいのですが、あくまで全体を見る分析的な視点からの捉え方です。つまり、事後判断で使うための考え方です。しかし生存に関することですので、生存をかけた事前判断でも大いに役立ちます。

生存をかけた事前の判断で、しかも自分が生存に適さない可能性が大いにあるという視点で捉え直すなら、生存バイアスは「生存者と同じ問題を解決していたら死ぬ」という問題です。しかし、自分が生存基準に満たなかったとわかった時に、生存バイアスについて考慮する人は多くないように見受けられます。それどころか、そういう時ほどキラキラした生存者と同じ方法を選択して死にがちです。

小説の生存バイアス

生存バイアスの問題は、小説でも言えることです。小説を書き続け、創作者として生存し続けるには何が必要か、と多くの人が考えています。そうして調べると、プロ作家等の優れた創作者の多くが「読むこと」の重要さを説いているのが目に入るでしょう。

でも騙されちゃいけません。そもそも突出した才能を持つ創作者たちの多くは「書くこと」に大した問題を感じていません。一発の被弾で致命的ダメージを負う箇所は無傷なのです。だから必然的に「読むこと」に問題を感じ、繰り上がりで最優先となった「読むこと」の問題を乗り越えることが成長に繋がっているのです。そして経験から「読むこと」の重要性を説きます。

では「書くこと」に問題があった人はどうなったのでしょうか? そう、生存していないのです。書けていないのですから、創作者としては生存していないのです。そして生存していない人の声は、なかなか届きません。

しかしよく考えてください。読めなくても書ければ小説は完成します。書けなかったらどれほど読めても小説は完成しません。どう考えても「書くこと」が優先です。書けなきゃ終わりなんです。なのに書けなかった人が簡単に書ける人と同様に「読むこと」を優先したら、それは「死への羽ばたき」です。まさに「生存者と同じ方法を選択したら死ぬ」という問題が発生しているのです。(「死への羽ばたき」を検索すればどれほどの無茶かサクッと理解できると思いますが、めちゃくちゃグロい昆虫実験なので検索非推奨です)

ですから「書けない人」にとって、「小説を書くにはたくさん読むのが一番大事」は生存バイアスが生み出した罠です。せめて「ある程度書ける人なら」という但し書きが必要でしょう。「書くこと」に問題があった人を無視する前提なら正しいのですが、「書けない人」にも楽しく書かせたいマシュマロちゃんとしては受け入れることができない前提です。

ただ、生存し続ける限り、「書くために読む」という行為がどこかで必要になってくるのは確かです。実際これを読むことだって、「読むこと」に含まれる行為です。しかしその行為の価値は、確実に書けて生存における致命的問題が解消されて初めて生まれます。だからまずはたくさん読めなくたっていいんです。とにかく書ければいいんです。

すべては虚構ありき

小説として何かを書くというとき、それは事実を書くわけではありませんから、虚構を書くということになります。つまり「小説を書く」という行為は、「虚構を生み出す」「虚構を小説にする」という2つの要素から成り立っています。

さらに言うと、小説にする技術があってももとになる虚構を生み出せないと小説は完成しません。そのため「虚構を生み出す力」こそが生存を分ける要素で、本当の最優先事項です。虚構を生み出すことより優先すべきことなんてないのです。だからこれから小説を書くという人は、まずはとにかく虚構をたくさん生み出せるようになればいいと思ってください。

「虚構を生み出す」と言っても、別に小説じゃなくたって構いません。小説未満の文章でいいのです。文章じゃなくたっていいでしょう。要は作り話であり、「事実ではないこと」を生み出せれば何でもいいのです。

ただし、何らかのアウトプットをしたほうがいいでしょう。人間の頭は多くを一度に思い浮かべられないので、妄想しているだけだと少ない情報量で堂々巡りをしてしまいがちです。どんどん形にして外に出していって頭の中からも出してくことで、虚構は生み出され続けます。

書けなくなったら作り話から

虚構を生み出すことが最優先というのは、小説を書く人すべてに通じる話です。そのため、何かにつまずいて小説が書けなくなってしまった人も、まずは虚構を生み出す力があるか確認することが有効であると思われます。確認と言っても、要は作り話が思いつくかどうかです。適当な嘘日記でも書いてみましょう。

つまずいてしまったすぐあとに、今まで通りの高さのハードルを越えるのは難しいことです。ですからまずは最初のハードルである虚構を生み出すことから始めるべきです。安定して虚構を生み出せることを確認してから、次のステップに進みましょう。

もし嘘日記すら書けないとしたら、それは「自分にはできない」と思い込んでしまっているせいかと思います。脳の機能に問題がない場合、5歳程度の知能があれば脳は嘘を生成できるはずだからです。質はどうでもいいですし人に見せる必要もないので、とにかく生み出してください。

「虚構を生み出す」に問題はなく、「虚構を小説にする」でつまずいている人もいるでしょう。その場合は、この講座で技術的な問題も多く扱うので、それで手助けできたらと思います。

ホモ・サピエンスと虚構

虚構を生み出すことに、特別な思いを抱けるような話もしておきたいと思います。

歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏は著書『サピエンス全史』の中で、「ホモ・サピエンスは虚構を認知する力を獲得したことで他の種を圧倒した」という旨を述べています。ここでいう虚構は「事実ではないこと」全般で、「神話」のような架空のストーリーや、「コミュニティ」のような物体ではない概念や、「偶像」といった物体に込められた特別な意味などを指します。

それまでの人類は、「群れ」という単位で暮らしていました。知能も身体能力もサピエンスを超越していた可能性がある、別の人類「ネアンデルタール人」も同様でした。群れは主に血縁者で構成されており多くても数十人程度で、動物園のサル山のような規模です。

しかしあるときサピエンスにだけ認知革命が起こります。目に見えるものだけじゃなく、虚構を認知できるようになったのです。虚構を認知できるということは、抽象的思考ができるようになったということです。問題を解決するアイディアを練ったり、計画を立てたりすることも可能になりました。

そのことは群れの形を大きく変えました。群れは「神」という概念への信仰や「部族」のようなコミュニティ意識により、直接的な血縁に依存せずまとまるようになりました。そうなると、構成人数も大きく増えました。「一族の中の強いオスの影響力が及ぶ数十人」という上限はなくなり、数百、数千という規模も可能になりました。

こうして抽象的思考をする大規模集団を構成できたことこそ、サピエンスという種が地球上で圧倒的繁栄を成し遂げた要因だというのです。人類が他の動物と一線を画すようになったのは道具や言語などによるものかもしれません。ですが、地球上にはサピエンス以外にも道具や言語を使う「人類」とされる種はたくさんいました。その中でもサピエンスだけが生き残れたのは、虚構を認知できたため、種の保存を脅かす問題に抽象的思考を用いて集団で立ち向かえたからです。虚構を生み出す力は、創作者どころかサピエンスの生存をも分ける要素だったのです。

つまりは虚構を生み出す力こそがサピエンスのサピエンスのたる力なのです。あなたはサピエンスでしょうか? だとしたら青春を謳歌? 人生を謳歌? そんなちっぽけなことを謳歌して満足している場合じゃありません。その手で虚構を紡ぎ、サピエンスを謳歌しましょう!


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