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自由話法(心の声)でどこまで攻めていいか

以下の記事で自由話法についてあれこれ書きましたが、実際に自由話法レベル4、つまり攻めた自由話法を書こうとすると難しいものです。

そのため、購読者からこんな相談が寄せられました。

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このメッセージの例は、確かにギリギリを攻めています。前述の記事で言う自由話法レベル4ですからね。

では自由話法レベル3に下げたりしてもっと読みやすくしたほうがいいのかというと、そうとも言えません。全体の流れによりますが、勢いがあるならOKでしょう。ただ、ここまでの流れで勢いがついていないなら、ちょっと読みづらいかもしれません。

リスクとリターンの問題

とはいえ、別に読みづらいことが特別悪いわけでもありません。読みづらいことはリスクであって、読者の魂を震わせるという最高のリターンを狙うなら積極的に取っていいリスクです。結局はリスクとリターンのバランスです。

ではこの文章はそういうリスクを取っていい文章なのかと考えると、そういう感じではないように思います。ここは低リスクな形で価値を積み上げ、リスクは物語がもっと大きく動く場所で取るべきではないでしょうか。

読みづらさの原因

しかしまあ「読みやすいほうがいいよ」と言うだけなら誰でもできるので、さらに踏み込んでみます。この文章について細かく読むと、リスク要因、つまり読みづらさの原因は2つあるように感じます。

1つは地の文が自由話法に引っ張られていることです。地の文に主観的表現が多く、自由話法との境界が曖昧です。あくまで三人称を貫きたいなら、地の文を100%でなくとも、もう少し客観的な書き方に寄せるといいと思います。そうすると地の文と自由話法にメリハリが出て、読みやすくなります。自由話法は「引用符を使わないから完全に自由に書ける技術」なんじゃなく、「引用符を使わずに引用符があるのと同じように読ませる技術」なので、自由話法と地の文の違いが際立つほど読みやすくなります。

もう1つは、自由話法を受ける地の文がないことです。要するに自由話法レベル4だからということなのですが、全体的に読みやすければレベル4でも問題ありません。ですが地の文の読みやすさが実現されていない状態でやるなら、やはりかなりのハイリスクです。ですから自由話法の直後で視点人物を主語にした地の文を置き、レベル3に落とせばリスクはそこそこ軽減されます。少なくとも、マシュマロちゃんならなるべく自由話法レベル3以下を維持して書きます。

改善案を考えてみる

ただ、こんな風に指摘することも多くの人ができるでしょう。わざわざやらないというだけで、ある程度の知識があればできそうです。せっかくマシュマロちゃんに送ってくれたわけですし、しかもチョコマロですし、たぶんnote購読者ですし、さらに踏み込んで例文の改善案を考えてみます。

実際の文章で見てみます。元の文章が以下です。

 隣にいる山田は、買ったスポドリをこれ見よがしにゴキュゴキュと飲み干す。空になったそれをにやにやしながら押し付けてきた。すぐそこにゴミ箱あんのに何でよ。どうかしてる。
「残念だったね貧乏」
「……一本ぐらい恵んでよ」
 財布を失くしたのは私のせいじゃない。雑にゴミ箱に突っ込もうとするも、ああ最悪だ。箱は先客で満員、飛び出しているコーラのケツに押し返された。ふはっと忌々しい声が笑う。
「持って帰れば?」
 ぐわっと鈴木の中のイライラメーターが上がった。

これを申し訳ないのですが勝手に変えてみて、リスクを軽減できないか試してみます。もちろん作者のこだわり等があるのはわかりますが、あくまでここはリスクを取るべき場所じゃないと仮定します。ただし、より適切な言葉遣いに直す校正・校閲は特にしません。

まず地の文の客観性レベルを上げてみます。

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