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ジェイムズ・ヒルマン『魂のコード』

☆mediopos-2446  2021.7.28

ジェイムズ・ヒルマンは
河合隼雄や井筒俊彦とも近しい
ユング派の分析家である
(「ユング心理学と東洋思想」と題されている
一九八三年の鼎談も残されている)

今回再刊された本訳書『魂のコード』で
ヒルマンは「どんぐり理論」を提唱している

私たち一人ひとりには
運命の声が書き込まれた
一粒の「どんぐり」があるという理論である

わたしたち一人ひとりの「魂」は
「生まれる前から独自の守護霊(ダイモーン)を
与えられている」というのである
それを「どんぐり」というメタファーで表している

その守護霊(ダイモーン)が
「生まれる前から」「与えられている」ということは
わたしたちの生は
遺伝や環境で決められてはいないということだ

もしわたしたちの生が
遺伝や環境で決められているとすれば
「わたしは遺伝子のコード、先祖からの遺伝、
トラウマを与える体験、両親の無意識、
偶然の社会的な条件などが作り上げた
筋がきを生きていることになってしまう」

経験主義的・科学主義的な視点からすれば
「魂」という
実体のわからないものについて語ることはできないから
人間心理を扱う場合にも
「からだ」になんらかの影響を及ぼす
遺伝や環境に還元する以外の方法を見出すことはできない

その方法では
なんらかのトラウマが原因となって
現在の心理状態になっているととらえるしかないし
補償理論のように弱さや劣等感をひきがねにして
強さや優秀さに変えるといった捉え方しかできない
環境への反応という視点からしか
心理の原因は捉えられないので
ほんらいの魂の自律性は出てこないのだ

わたしがいまある姿は
親が環境がそうだったからであり
すべてはそこに還元されてしまうのである
そのとき「わたし」は
もはや「わたし」ではなくなってしまう
「わたし」がかげがえのない存在であるならば
それを遺伝や環境以外に見出す必要がある

ヒルマンは
「魂」には「運命の声が書き込まれた
一粒のどんぐり」が与えられているとして
さまざまに説得力のある例を挙げながら論じてゆく

ソクラテスもダイモーンの声に従って生きた
たとえその声が直接聞こえなかったとしても
ソクラテスはソクラテスを生きていっただろう

わたしたちの時代にはそうしたダイモーンの声は
かつての神々が私たちの内面となっているように
わたしたち一人ひとりの深みのなかから
響く声として感じとることしかできないだろうが
わたしたちは遺伝や環境によってではなく
独自の「呼び声」によって生きているはずだ

■ジェイムズ・ヒルマン(鏡リュウジ訳)
 『魂のコード』
 (朝日新聞出版 2021/7)

「人生は理論では説明しきれない。何かが、遅かれ早かれわたしたちをある一つの道へと呼び込んでゆく。その「何か」は、子供時代にやってくることもある。ふってわいたような衝動、あらがいがたい魅惑、思いがけない曲節−−−−。そんな一瞬がまるで啓示のように、あなたにこう訴えかける。これこそがわたしがやらねばなたないこと、これこそがわたしが手にしなければならないものだ、そして、これこそわたしがわたしであるために必要なことだ、と。
 この本は、そんな運命の呼び声についての本である。」

「運命の声が書き込まれた、一粒のどんぐりが人にはあるのだと想像してみよう。」
「わたしたちの人生を退屈なものにしているのは、わたしたちの人生への理解のしかただ。
「そこでまず最初に、現代人が人生をどのようにとらえているか、そのパラダイムをはっきりさせねばならない。人生とは、遺伝と環境の相互作用であるという−−−−本当にそうだろうか。そこには何か本質的なものが欠けている。あなたがあなたであると感じさせる、何かが欠けているのだ。もしわたしが、遺伝的なものと社会的な力のせめぎあうの産物でしかないという考え方を受け入れたら、わたしは何かの単なる結果になってしまう。わたしの人生が、遺伝子の情報、両親がしたこととしなかったこと、またはるか昔の幼少期の経験などによって読み解かれていくにつれ、人生記はますます犠牲者の物語となってゆく。わたしは遺伝子のコード、先祖からの遺伝、トラウマを与える体験、両親の無意識、偶然の社会的な条件などが作り上げた筋がきを生きていることになってしまう。」

「そこで本書は、簡潔に、召命、運命、そして性格の天賦のイメージを取り扱う、これらがすべてで「どんぐり理論」を形作る。どんぐり理論では、一人一人の人間は生きることを要請されている個性、また人生の中で実現される前からすでに存在している個性をもっているのだと説く。」

「わたしたちひとりひとりの魂は生まれる前から独自の守護霊(ダイモーン)を与えられている。それがわたしたちがこの世で生きることになるイメージやパターンを選んでいるのである。わたしたちの魂の伴侶、ダイモーンは、そこでわたしたちを導いている。しかし、この世にたどり着く前に、わたしたちは彼岸で起こったことをすべて忘れ、白紙でこの世に生まれ落ちたと思いこむ。しかし、ダイモーンはあなたのイメージのなかに何があるか、そしてそこにはどんなパターンがあるのかを忘れはしない。あなたのダイモーンはあなたの宿命の担い手でもあるのだ。」

(鏡リュウジ「訳者あとがき(一九九八年版)」より)

「この「魂」とは何か、はっきりと言うことはとても難しい。ヒルマンもしばしば引用する、古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの言葉を借りれば「どこまでいっても魂の境界を見定めることはできない。」だからこそ、魂とは何か、定義することはできないのだ。それでもあえて、魂とは何か語ろうとするなら、「体と心をつなぐもの」とか「出来事を経験に深めるもの」というほかはない。あいまいでがっちりとつかむことこそできないが(だからこそ科学や心理学はこの魂を対象とはしてこなかった)、しかし人は誰でも、この「魂」が自分にあるということをどこかで感じているのではないだろうか。
 従来の経験主義的、科学主義的な心理学がつかみ損ねてきた、人間や人生の内奥にある「何か」を、あえて魂という定義不可能な言葉を使うことによって羽ばたかせる大胆な手法、これこそ、ヒルマンの真骨頂であろう。ヒルマンの語りは、単なる記述や理論の展開ではない。むしろ、挑発であり、喚起であり、常識的な見方の背後に隠れた、それこそ「魂」を解放する戦略なのだ。その手法こそ、ヒルマンを理解する上での難しさであり、またヒルマンの魅力でもある。そうしたスタイルについては、「永遠の少年」の元型が背後にあるというヒルマン自身の自己言及が何よりも雄弁に語っている(・・・)。果敢にも固い常識にブライトな知性によって挑戦するヒルマン。しかし、彼の言葉遣いは、しっかりと西洋の知の伝統に根ざしており、そのスタイルにおいて永遠の少年と老賢者はほとんどアクロバットともいえる見事さで、堅く手を結んでいる。」

(河合俊雄「解説 どんぐりと守護霊」より)

「本書は、ユング派の分析家で、特にこころの個人的なところを超えた側面を強調した元型的心理学を推進し、ユング以降で最も影響力のある心理学者・思想家であるジェイムズ・ヒルマンのベストセラーの翻訳である。日本でも樋口和彦と河合隼雄に大きな影響を与え、また本書にも見られるように美を強調し、ユング心理学にありがちなこころの全体性への統合ではなくて、多様なイメージを尊重する多神論的な心理学を展開した。そのために、非常に日本文化に親近感を覚えていて、何度か来日している。」

「ここでヒルマンが主張する「どんぐり理論」とは、自分の中には生まれつき一粒のどんぐりがある、つまり生まれ持った運命のようなもの、その人の守護霊のようなものがあるというものである。まさに個人を超えたものが、備わっているのである。それは遺伝によっても、育てられ方という環境によっても決まるものではない。(・・・)近年の心理学・心理療法は、遺伝や過去における体験によってパーソナリティや様々な問題を説明する傾向が強いのに対して、ヒルマンはそれを徹底して論破していくのである。このあたりに、魂というものが何にも還元できず、自律性を持っているとする彼の心理学の真骨頂が見られる。」」

(鏡リュウジ「訳者あとがき」より)

「今、SNSを見ていて飛び交うのは、「エビデンス」「効果測定」「ファクト」「統計」「可視化」「ランキング」といった言葉たちだ。この忙しく、変化に富んだ、そして不安な時代の中では人々は合理的で、金銭的にも時間的にもエコノミカルな問題解決のための方策を求めている。それは確かに大事な、そして必要なことではあるが、その一方で、人々のこのニーズに応えようとするあまりに、あたかも全てが操作や計画が可能であるかのような言説があふれてはいまいか。そしてそこから少しでも期待が外れるようなことがあると「犯人探し」「原因探し」がはじまる。場合によってはその「犯人」を集合的に徹底的に叩きのめすということさえしばしば起こっている。」
「ヒルマンがやろうとしているのは、僕たちを支配している即効性や操作性の呪縛から僕たちの「魂」(これもまた一種のメタファーだ)や人生を解放し、羽ばたかせることだろう。それも、驚くべき西洋の知の伝統への造詣から自在に材料を引き出すことによって。読者はヒルマンのイメージ喚起の鮮やかな魔法に酔いしれることになる。その魔法の中で、けして実体としてつかむことはできないが、確かに存在すると感じられる、人生のかけがえのなさが浮かびあがるのを味わうのである。
 ヒルマンとも親しかった河合隼雄は、「なんらかの『だまし』なしに『たましい』を語るのは不可能である」上に「危険である」と述べておられる。まったくその通り、「魂」とは本来、とらえどころのない曖昧なものである。錬金術の格言に「冥きものをより冥きものによって」語るというものがあるが、本来曖昧なるものは曖昧な形で語るほうが正確なのではないだろうか。」

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