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枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』

☆mediopos2882  2022.10.8

枡野浩一は
「簡単な現代語だけで
読者が感嘆してしまうような表現をめざす
「かんたん短歌」」を提唱して
一九九七年九月二十三日
短歌絵本の『てのりくじら』
『ドレミふぁんくしょんドロップ』の
二冊を同時発売してデビューしたそうだ

そのころは短歌に関心はなく
俵万智の『サラダ記念日』(1987年)でさえ
ほとんど読んだ記憶がない

枡野浩一のデビューもしかりで
そのことをまったく知らずにいて
知ったのは仕事柄見ておこうとおもった
コピーライティングがらみだった

本書にはデビュー二十五周年ということで
いままでの「全短歌」が収められている
しかも発行日がデビューの日と同じ九月二十三日

しかしこうして「全短歌」を読んでみると
枡野浩一の「歌」へのこだわりが見えて面白い

歌集の『ますの。』(1999)のなかに
こんな歌がある

でも僕は口語で行くよ 単調な語尾の砂漠に立ちすくんでも

これが「かんたん短歌」へのこだわりなのだろう
口語ゆえの「単調な語尾の砂漠」
という表現は言い得ている

短歌に興味をもちはじめ
いろいろ読むようになった今でも
口語短歌を読むことは比較的少ない

口語は口語であるがゆえに
「歌」と歌でないことばとの境が希薄で
そこに「韻律」という
歌特有の響きが失われてしまうからだ
けれどもそのなかで
なにかをたしかに歌おうとしている

そうした枡野浩一の歩んでいる道には共感する
新たな道は
ひとり道をゆくものによってしか
つくることができないからだ

特別栞として
俵万智と枡野浩一の往復書簡もオマケでついているが
そのなかで枡野浩一がこう語っているように
「歌人と名のってはいますが、
結社や同人誌に所属したことがなく、師匠がいません。
歌会に参加したこともありません」

群れのなかで
群れの一員であろうとするところからは
おそらくなにも生まれない

『歌』(2012)にこんな歌もある

我々がとあなたが言ったその々に私のことは含めないでね

■枡野浩一
 『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集』
 (左右社 2022/9)

(「てのりくじら 1997」より)

こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう

前向きになれと言われて前向きになれるのならば悩みはしない

振り上げた握りこぶしはグーのまま振り上げておけ相手はパーだ

「お召し上がりください」なんて上がったり下がったりして超いそがしい

「たとえば」とたとえたものが本筋をいっそうわかりにくくしている

(「ドレミふぁんくしょんドロップ 1997」より)

他人への怒りは全部かなしみに変えて自分で癒やしてみせる

「もう二十歳……自覚しなきゃ」と言ったのに「自殺しなきゃ」と伝わる電話

どっち道どの道どうせ結局はとどのつまりは所詮やっぱり

五年後に仕返しされて殺される覚悟があればいじめてもよい

流行が終わるころには新作の発表がある世界の病気

(「ますの。 1999」より)

「ライターになれる方法をおしえて」と訊くような子はなれないでしょう

「言葉にはできない」という言葉はジョーカーみたいにつかいまくって

こわいのは生まれてこのかた人前であがったことのない俵万智

悪口は裏返された愛だけど愛そのものはないと思った

でも僕は口語で行くよ 単調な語尾の砂漠に立ちすくんでも

人間は忘れることができるから気も狂わずに ほら生きている

無駄だからやらないんだね 無駄のない人生なんて必要あるの

政治家は大なり小なり政治家になろうと思うような性格

(「愛について 2006」より)

被害者が四人ゐる家 加害者は一人もゐないやうな気もする

被害者であると解釈したければどんどんなってゆけさうな僕

その嘘をあなたが自分にゆるすなら続ければよい でもそれは嘘

夭折の詩人はみんな才能がなかった 生きて行く才能が

息をする 生きていて今かなしみを味わっている 息をしていく

(「夢について 2010」より)

泣くな泣くな泣くな桝野 それなりに転がる夜もあったじゃないか

死にますが生まれ変わって来世ではだれかのことをまた愛したい

誕生日ありがとう また再会のように初めて会えますように

(「歌 2012」より)

我々がとあなたが言ったその々に私のことは含めないでね

「死ぬくらいなら生まれるな」みたいです 「消すくらいなら書くな」だなんて

「がっかり」は期待しているときにだけ出てくる希望まみれの言葉

まっすぐに批判されたい 宛先も差出人もわかる言葉で

おおロミオ 憎んだことがない者は愛したこともない者だろう

「話せないことについてはおだまり」とウィトゲンシュタインさんは話した

川柳と俳句と短歌の区別などつかない人がモテる人です

嘘つきになろうと思う 嘘をつく世界のことを愛するために

(「虹 2022」より)

正義感あじわいながら気持ちよくいじめたいから起こる炎上

そうでしょう 心の持ちようなんでしょう 心を持つのお上手ですね

「待ち人は来ない」「自分で会いに行け」このおみくじは当たる気がする

(「特別栞:枡野浩一と俵万智の往復書簡」〜枡野浩一から俵万智 より)

「歌人と名のってはいますが、結社や同人誌に所属したことがなく、師匠がいません。歌会に参加したこともありません(句会経験は豊富なんですが)。穂村弘さんとは八回ほど公開の場で長くお話ししていますが、それが例外で、面識ある歌人が極端に少ない状態です。
(・・・)
 拙著は一冊あたりの短歌の数が少なく(文字数の少なさを松尾ススキさんにうらやましがられたことがあります)。今回数冊の合本であるにもかかわらず収録作は三百五十五首です。『サラが記念日』は四百三十余首ですから、それにも満たない寡作ぶりにあきれます。」

(「特別栞:枡野浩一と俵万智の往復書簡」〜俵万智から枡野浩一 より)

群れることを嫌う短歌たちを見ていると、歌人枡野浩一の姿とも重なります。結社に所属→短歌雑誌の新人賞受賞→第一歌集出版→現代歌人協会賞・・・・・・というのが、歌壇的新人のおおむねオーソドックルというか鉄板のルート(はい、私もそうでした)。それに見切りをつけ、ずっと一匹オオカミで歌を詠みつづけ、しかも多くの読者を獲得してきたわけですから、あっぱれです。」

【目次】

てのりくじら 1997
ドレミふぁんくしょんドロップ 1997
ますの。 1999
愛について 2006
夢について 2010
歌 2012
虹 2022
いつか 1989-2022

全著作一覧

特別栞:枡野浩一と俵万智の往復書簡

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