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上山安敏『ブーバーとショーレム ユダヤの思想とその運命』/ルドルフ・シュタイナー「ユダヤ教」(『神仏と人間』)

☆mediopos3257  2023.10.18

イスラエルの建国とその後の歴史は
ここにきてまた新たな局面を迎えようとしているが

ブーバーとショーレムという
二人のユダヤ教神秘主義の思想家は
一九世紀末から戦後までのあいだの
シオニズムに深くかかわっていた

そこには宗教と政治
ナショナリズムと普遍精神の葛藤が
色濃く映し出されているが

その二人の思想的な確執・闘争などもふまえながら
それぞれの思想を理解し
さらにユヴァルのような
ショーレムへの批判を行っている「新しい歴史家」の
動向などにも目を向けることは

現在起こっている深刻なまでの
イスラエルとガザの現状を理解するにあたり
メディア等の一面的な報道だけからでは見えてこない
その背景にあるものの一端に光を当てることでもある

上山安敏『ブーバーとショーレム』は
一〇年以上まえの二〇〇九年に刊行されたもので
直接的な政治動向に関する解説本では見えてこない
根っ子のところに光を当ててくれている

いうまでもなく
イスラエルとシオニズム
ユダヤ人そしてユダヤ思想は
イコールでむすぶことはできない
むしろイコールでむすぶことは
現実に起こっていることへの理解を阻害してしまう

ほかの戦争もまたそうであるように
そこで起こっている政治的なそれは
シオニズムという仮面の背後で
あるいはシオニズムを利用しながら
お金や利権そして権力の行使などが
複雑に絡み合った策謀に由来している

そして多くのメディアは
その背後にある支配的な力の影響のもと
極めてバイアスのかかった仕方で
その姿を一面的な構図のもとで伝え
それを事実として報道するばかりである

フェイク映像さえ活用されている現在
どこに事実と真実があり
何が現実に起こっているのか
実際のところを正確に理解するのはむずかしい

そのためにこそ視点を固定化するのではなく
常に複数の視点から光をあてながら
その総合として現実を理解しようとする必要がある

本書の副題には
「ユダヤの思想とその運命」とあるが

著者の上山氏は執筆中に
「ユダヤ人とユダヤ的なるものの今後に、
どのような運命を告げているのだろうか。
ユダヤ思想が向かう方向とは何か」と
問い続けてきたという

以前ルドルフ・シュタイナーのユダヤ人理解について
気になって少し調べてみたことがあった
(講義の当該の箇所の引用を参照)

シュタイナーは
シオニズム運動は不可能だとし
その運動は荒涼とした反動的なものだと言っている
そしてユダヤ人の今後については
「ユダヤ民族の使命は果たされ」た
これからは「同化」していく必要がある
ということをクールに示唆していたりもする

しかしシュタイナーの死後
第二次大戦とホロコーストが起こり
イスラエルが建国されることになり
パレスチナとの紛争が起こったのはなんとも・・・

さてウクライナ以上に
常に火種となっている中東だが
今起こっている戦争において
ユダヤという仮面を被っているであろうイスラエル(政府)が
「ユダヤ人とユダヤ的なるもの」を
どのように方向づけるかに注目しておきたいと思っている
(ユダヤ教徒たちの多くは戦争に反対し
パレスチナ人との融和を求めているようだが)

おそらくそれは人類の今後に
大きな影響を与えることになるだろうからである

■上山安敏『ブーバーとショーレム/ユダヤの思想とその運命』
 (岩波書店 2009/11)
■ルドルフ・シュタイナー「ユダヤ教」
 ※GA353[Die Geschichte der Menschheit und die Weltanschauungen der Kultur Völker]
 (シュタイナー(西川隆範訳)『神仏と人間』風濤社 2010/11)

(上山安敏『ブーバーとショーレム』〜「はしがき」より)

「ブーバーとショーレムの二人が、共通の目標を掲げ、後代にその思想を伝えながらも、ユダヤ教神秘主義の理解においてその系譜を二分するほどの対抗者となったのはなぜか。そして、その背景には何があったのか。

 この時代を年譜風に参照すれば、ゲオルゲ・クライスに集まった人々や、グスタフ・ランダウアーら、諸思想がまさに綺羅星のごとく輝いた世紀末ドイツ文化を享受しつつユダヤ知識人たちは、青年運動やロマン主義運動に参加していった。しかし次第に、解放と啓蒙の代価として要求された「同化」の危機を潜り(やがてはユダイズムの解消に連なる危機)、東欧ユダヤ人の間に澎湃として興っていた、ユダヤ人の「離散(エグザイル、ディアスポラ、ガルート)の終焉」を究極の目標とする文化シオニズムの運動へと傾斜していく。

 ブーバーとショーレムの二人は、ともにシオニズムの結社バル・コホバに敏感に反応した。一九歳年長のブーバーは、このときすでに指導者であった。やがて、一九二三年に、ショーレムは第三アリアーとしてエルサレムに移住し、ブーバーの方はナチス政権下のドイツになお留まることになる。ローゼンツヴァイクらと自由ユダヤ学院において教鞭を取るなどの活動をしていたブーバーがイスラエルに入るのは、一九三八年「推奨の夜」事件の後である。二人はそこからヘブライ大学の同僚となる。

 二人の軌跡は、まさにあざなえる縄のごとしと形容したくなるほどなのだが、「原ユダヤ人」「真正なユダヤ人」の意識を共有する者として、単にユダヤ教神秘主義においてのみならず、思想的にもイスラエルの精神的支柱となり得た人物といいうる。ところが、この二人はさまざまな局面で意見を異にし、衝突を繰り返した。政治的には第一次大戦におけるブーバーの参戦の意思表示に対するショーレムの拒否、イスラエル/パレスチナの二民族国家案をめぐるブリット・シャロムでのブーバーの活躍とショーレムの側の離脱などが挙げられる。宗教においては、ユダヤ民衆の歌と踊りに霊感を得、ハシディズムに生涯にわたって愛着を持ち続けたブーバーに対して、キリスト教カバラに対抗し、ヘブライ語による真正のユダヤ教カバラの復元を、文献学を通して目標とし続けたショーレム。さらには、異教的・二元論的グノーシスのユダヤ教へと影響をめぐる解釈の対立もあった。そして、黙示録的メシアニズムに対して示した二人の対照的な態度や、イエス・キリストへの態度の相違なども挙げておかねばならない。

 二人はともに、ユングの主宰したアスコナでのエラノス会議、「東西宗教の殿堂」と形容された会議において講演している。ショーレムの講演は、一九六二年と一九六六年、ブーバーはすでに晩年を迎えていたが、そこにおいてショーレムは、ブーバーのハシディズム理解を攻撃する。ショーレム自身がエルサレムに移住した一九二三年を境に、ブーバーはハシディズムにいっそう重きを置くようになり、実存哲学にモトヅkユダヤ教理解に堕したのだ、と指弾したのである。」

「戦後世代のイスラエルの歴史家は、ホロコーストや反ユダヤ主義の犠牲者であるとの意識かた抜け出し、新しいイスラエル人とパレスチナ人との関係を構築しようとし、キリスト教を鏡像として、ユダヤ人の立場からの和解の神学を求めようとするのである。したがって、この時期のドイツの歴史家論争とは著しく趣を異にしている。こうした態度は、キリスト教の論難と、ユダヤ教の側の弁護論との、長い歴史的なせまぎあいの中から生まれたユダヤ人特有の知恵といっていいものであろう、と考えている。

 ショーレムが「新しい歴史家」たちから指弾されたのは、その妥協を許さない同化に対する峻拒、弁護論からの離脱、エグザイル終焉の論拠などであるが、ドイツのリベラル・プロテスタントとの共生の不可能性を具体的にかつ明確に宣言した上で、イスラエルの建国とそれを支える歴史への回帰を固く守り抜いた者を挙げるとすれば、後代の評価は別としてショーレムを措いて他にはいないだろう。

 最後に「新しい歴史家」たちの立場へのカウンターパートとして、イェルシェルムに触れておこう。『ユダヤ人の記憶————ユダヤ人の歴史』を著し、近代の歴史叙述を堕落した代替信仰に過ぎないと見なしていた、その論の存在感についてである。イェルシェルムこそは、ショーレムの衣鉢を継ぎ、国教を越えてアウトサイダーを志向しつつ普遍を求める「新しい歴史家」たちに対峙しうる思想家であった。

 文脈を変えていえば、イェルシェルムは、「オリエンタリズム」のサイードや「脱構築」を掲げるデリダに対して、いわばフロイトの『モーセと一神教』をアゴラとして堂々と立ち向かうにふさわしいユダヤ思想家であろうと考える。

分厚い層をなして堆積した記憶と歴史を潜ることなく、抽象的な次元で新しい「普遍」に飛び移ることは。次の展望を開く道ではないのではないか。理念として独り歩きする超越的な価値としての普遍と、記憶をまさぐることで立ち上がってくるナショナリズムをはじめとする経験的な価値としての普遍、いま求められるのはこれらのいずれでもなく、二つをいわば両極としてその中間と周縁に位置するいまだ語られざる価値であり、知られざる普遍の語り口なのではないか。ユダヤ思想史とは、まさしくこの世界史的な課題を強く掘り込んだ三つどもえ、四つどもえの葛藤の歴史である。そこでは思想の課題が常にリアルな死と隣りあっているということから、精神史の命運を先取りする、予言ともいいうる様相が隠されていると思うのである。」

(上山安敏『ブーバーとショーレム』〜「第二章 ブーバーの神秘主義 2 キリスト教とブーバー/4 ショーレムとブーバーの衝突〜ハシディズムをまぐる対立」より)

「ハシディズム解釈をめぐって、ブーバーとショーレムの間に起こった対立とはいかなるものであったのであろうか。あたかも精神分析の世界でのフロイトとユングの対立のように、ブーバー派とショーレム派の間での論争はいまだ決着がついていないのだ。」

「二人の間の対立の中心は。ハシディズムとカバラとの連続の問題、さらにはハシディズムとグノーシスとの関係の問題を抱えているだけに、そのままユダヤ教の性格に関する理解に関わっている。」

「ユダヤ教神秘主義の共同研究者であった二人は、始めの頃ハシディズムとグノーシスとの連続発展説を考えていた。しかし、ブーバーはこの連続説に反対する見解を「大マギド」という論文院おいて発表し、そのことが対立の発端となった。(・・・)論争は年を追って激しさを増していった。カバラ研究から出発したショーレムは、カバラとグノーシスとを結びつけ、ブーバーとは反対に、ハシディズムをカバラ的グノーシス主義がその内部で弁証法的に発展したものとして理解していた。ここにおいて二人の間の、ユダヤ教の歴史的運動の中でのハシディズムの位置づけと評価が大きく食い違ってきたのだ。

 ショーレムは、ハシディズムにはあまり共鳴するところがなく、そもそも二人の間の齟齬はそこに起因していた。歴史的資料の原典に基づき、学問的に忠実に操作し再現していくショーレムにとってカバラの神秘主義こそが、一三世紀のリーリアのカバラ、一七世紀のシャブタイ主義、フランク主義、そして東欧のハシディズムへと、内部における弁証法的発展によって生き続けていると考えていたのである。ユダヤ教の持つメシアニズムの最も活性化した形がシャブタイ主義であり、その革命的躍動に比べればハシディズムは静寂主義に過ぎず、すでに「無力化」したものとみなされたのである。こうしたショーレムの立場は、ブーバーにしてみれば自己の拠点を揺り動かされることに等しかった。

 そのうえ、グノーシス評価については真っ向から対立していた。ブーバーが、グノーシスをヘブライズムに対抗する外敵としれのヘレニズムと考えて、反グノーシスの立場を貫いたのに対して、ショーレムはグノーシスに一神教を再活性化する力を認めていた。すなわち。グノーシスはユダヤ教神秘主義の歴史全体の中で異端的反立法主義に陥る危険を持っていたが、ブーバーとは逆にショーレムは、そこにむしろ非合理的神話を注ぎ込むことによってポジティヴな評価を与えていたのである。この点は、後のユダヤ教学者に承認されたか否かは疑問であるが、ユダヤ教の一神教にあっては、グノーシスの二元論的原理はキリスト教のようには異端視されず、一神教の下にその内部の闘いとして生き続けたのである。ショーレムは、一七世紀のシャブタイ主義神学のなかにある極端なグノーシス主義が、ユダヤ教神秘主義の全歴史の論理的な極地であったと考えていた。」

(上山安敏『ブーバーとショーレム』〜「あとがき」より)

「執筆している期間、新聞雑誌などのメディアを通して、イスラエル軍のガザへの侵攻や、発生し続ける難民の悲惨な運命が伝えられた。それらを読むにつけ、ユダヤ民族がヨーロッパの歴史において受けた迫害を、あたかも反転させて加害者となったかのように、他民族への獰猛な抑圧者に変貌してしまったのか、と改めて痛切に問わざるをえなかった。中世以来、神の罰を下されたものとして救済を待ち望み、ディアスポラを受け容れた民族、近世の啓蒙と解放の後に高まった反ユダヤ主義によって迫害され、ワルシャワを除いては抵抗らしい抵抗も試みることなく、ナチスによるホロコーストに遭遇した民族————繰り返しポグロムにさらされた被害者であったはずの民族が、なぜ・・・・・・。

 そればかりではない。今日の中東は、紛争の火種であり、世界中で噴出している民族対立の原発点でもある。ユダヤ人問題とは何なのか。ここに現れている世界史的な逆説のメカニズムとは何であるのか。誰しも問わずにはいられないであろうし、また解きえないであろうこの問題を前にして、たちすくむ思いであった。」

「歴史とは、このようにしてつくられるものか、という思いが私にはある。啓典宗教の民として記憶(トラウマ)を周期的に反復し、儀礼による記憶の永続的な再生を企ててきたユダヤ人の歴史を読むとき、私にはいつもそのことが思い出されるのである。ブーバーとショーレムの思想の関係、さらには新しい世代と彼らとの断層について思いをめぐらしている間、ユダヤ人とは抑圧され、その存在が潜在化され、それによって消え去ったかにみえる民族の記憶を、当の抑圧者の側の資料から読み取ろうとする知の遺伝子を持った民族である、との思いが消えなかった。」

「もとより私の限られた視野に入った文献情報によって、雑駁な整理を許していただくとすれば、一九世紀末から二〇世紀へのユダヤ思想史には次のような構図が描けるのではないだろうか。ショーレムやイェルシェルムのように、ユダイズムの「啓示」を核としたユダヤ・アイデンティティを守り抜こうとするインサイダー派と、ユダイズムを内向きに閉じ込めずに外に向かって解放することで、和解を求めようとするアウトサイダーはとの対立とせめぎあいである。後者のアウトサイダー派の研究は、多文化主義や女性史のためのユダヤ研究などに結実するが、彼らの中でもとりわけ私の注意を引いたグループは「新しい歴史家」と言われる人々であった。彼らは、シオニズム自体が「液状化」している今日、信条としてはシオニストであることを、あえて公言して憚らない。」

「ショーレム、イェルシェルムに対抗する一派として、本書で取り上げたのは、キリスト教とユダヤ教にまたがるユダヤ史学を母胎にした、モーシェ・イデル、イスラエル・ユヴァル、スザンナ・ヘシェルらの「新しい歴史家」たちである。「子の宗教」でありながら支配してきたキリスト教の資料(新約聖書)に、「親の宗教」でありながら支配され奴隷となったユダヤ教徒が踏み込み、主人であるキリスト教の主張の根元を掘り起こす潜在力を、そこから発掘しようとする「歴史を逆なでに読む」方法————それは、ユダヤ・アイデンティティをいったんは放棄することを要求する。そして、キリスト教との和解の途を用意することになる。これこそ、ショーレムが悪魔であるかのごとく嫌った、アブラハム・ガイガーが採った方法であった。ガイガーは、本来はユダヤ人には許されなかった新約聖書に立ち入り、そこに言われる偽善者=パリサイ派を、ユダヤ人イエス=パリサイ派に組み替えたのである(一九八五年。これについての詳細は前著『宗教と科学』第五章参照)。この説が、ヴェルハウゼン以来、キリスト教聖書学を支配してきた「化石化した後期ユダヤ教」観を「初期ユダヤ教」という見方に替える動きを推し進めたのであった。このことは、ようやく我が国の学会でも共通認識となりつつあるようだ。

 (・・・)この方法を採れば、それまでユダヤ人の常識とされてきた「物語」が次々と打ち破られることになる。その途をたどった一人、ユヴァルは、ユダヤ人迫害の震源地である儀礼殺人と殉教史の研究において、ユダヤ人側の暴力性を暗示することになったが、さらに本書の脱稿後、「イスラエルの国からのユダヤ人のエグザイルという神話」というユヴァルの論文に出会った。(・・・)

 イスラエル国家の建設が、二〇〇〇年にわたるユダヤ民族のエグザイルに終止符を打つという信念は、広く共有されている(イスラエル国歌の一節にも謳われている)。

(・・・)

 「神話の虚構性」を問おうとするユヴァルのモチーフは、イスラエル国民にとっては自虐的とすら思われる。しかしこれは、現代のイスラエル人が、パレスチナ難民の問題をとおして他者との関係に深く苦悩していることと、密に絡まり合っているのである。例えば、一九四七−四八年のパレスチナ人の居留地からの「逃走」の責任を、アラブ世界とパレスチナ人指導者たちに負わせ、自分たちが罪を犯したわけではない(彼らは自由意思で「去った」のだから帰還権はない)とする一部のシオニストの言説と、ユダヤ人がその被害者としての第二神殿破壊とエグザイルの開始とを結びつける神話を信じる(それゆえに、自分たちにはエルサレムに帰還する権利がある)という言説とは、パラレルな関係にある。

 自分を、イスラエル国歌の存在の必要を自覚したシオニストであるが、ナショナルな「大きな物語」に支配されてきたシオニストの歴史記述に背を向けたイスラエルの歴史家である、と規定するユヴァルは、ブーバーとともにショーレムが「バル・コホバ」に接近して以来、懐き続けて来た思想的な核そのものの信憑性に疑問を投げつけたのである。」

「他者との若いの道筋を必死に探ろうとする、新しい世代の動向は、ユダヤ人とユダヤ的なるものの今後に、どのような運命を告げているのだろうか。ユダヤ思想が向かう方向とは何か。執筆中、そんな問いが脳裏を離れなかった。本書の副題に、「ユダヤ思想の運命」と付したゆえんである。」

(ルドルフ・シュタイナー「ユダヤ教」〜「シオニズム」より)

「私の友人のシオニストは、パレスチナに行ってユダヤ王国を建設する、という理想を私に話したことがあります。彼はユダヤ国家の建設に関わり、いまパレスチナで重要な地位に就いています。

 私は彼に、「そのようなことは、今日では時代に合っていない。今日では、個人個人が人種・民族・階級などの区別なしに結びつけることが時代に合っている。今日では、各人が区別なしに結びつける、というプロパガンダを掲げることができる。だれも私に、シオニズム運動に参加するように要求することはできない。君たちは全人類から、また一部を分離する」と言いました。このような簡単な理由から、シオニズム運動は不可能です。この運動は荒涼とした反動的なものです。この運動の推進者たちは、奇妙な反論をします。「人々は普遍的・人間的なものを求めておらず、すべてが民族性に基づいたものから発展すべきだと要求している、ということが判明したのだ」。

 この対話を行ったのは、一九一四年から一九一八年の大戦争の前です。人々は普遍的・人間的原則をもはや求めず、民族の力を発展させようとしました。それが大戦争へと人々を導いたのです。こうして、ユダヤ人も欲したものから、二〇世紀最大の不幸がやってきました。」

「「ユダヤ民族は人間の認識の歩みにおいて自らの使命を果たしたか」という問いには、つぎのように言う必要があります。「彼らは使命を果たした。一神教を生み出す特別の民族が存在しなくてはならなかったからだ」。

 しかし今日、精神的認識そのものが必要です。ユダヤ民族の使命は果たされました。ユダヤの使命は、もはや人類史の発展に必要ではありません。唯一正しいのは、ユダヤ人が他民族との混合をとおして、他民族に編入されることです。」

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