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梅原猛・市川亀治郎『神仏のまねき』/梅原猛・松岡心平『神仏のしづめ』/山本ひろ子『摩多羅神』

☆mediopos-3118  2023.6.1

四代目市川猿之助の悲しい事件があった

歌舞伎のことには疎いものの
猿之助の存在には
若き市川亀治郎の時代から注目していたこともあり
たしかなかたちで復帰されるよう心から祈っている

亀治郎に注目するきっかけになったのが
ここでとりあげている梅原猛との対談で
あらためて読み返してみることにした

この対談は平成十七年十二月二十一日と
平成十八年一月二十八日・三月十六日の
三回にわたって行われたもの
四代目市川猿之助は1975年〈昭和50年〉生まれなので
当時はまだ三十歳

亀治郎はクレバーな知性と
深い直感力をもった優れたワザヲギ(役者)
常に「攻め」の姿勢で
「守りに入らない」でいられる「勇気」の必要性を語っている

つまり「あらゆるものを知っていなければいけないし、
あらゆるものを学」ぶことによって
「〝もの〟に瞬時にして乗り移れる直感、感覚」をもち
「この世ならざる存在へ変身する」呪力をもって演じる
というのだが

梅原猛曰く「理性的な亀治郎と、
神がかっている亀治郎の二人の亀治郎がいる」といい
亀治郎自身としては
「完全に霊が乗り移ってくるタイプ、憑依型」なのだという

亀治郎は「どこか孤独で寂しさを漂わせ」ながら
「孤独に耐える力があった」最澄という人間が好き」で
「独りで、静かにい」ながら
「密なるもの」の「声を常に聞こうという姿勢」を
もっているというのだが

一神教の神を味方にして
そうした孤独に耐える西洋のあり方に代わるものを
梅原猛に問いかけたところ
梅原猛は「怨霊」だ答える

その「怨霊」という答えに対して
亀治郎は「怨霊を鎮魂するという行為」を口にする

怨霊を鎮魂するといえば
まさに「能」の世界であって
「歌舞の神・芸能の神とも仰がれ」るのは
「摩多羅神」である

「摩多羅神」は
亀治郎が共感をもつ最澄の開いた
天台宗系の寺院の常行堂という仏堂にゆかりの神で
常行堂の外でも秘密結社的な
イニシエーションの本尊という役割を演じてもいるが
その摩多羅神の出自についてはよく知られていない

梅原猛によれば
「この神は日本産でも中国産でもインド産でもなく、
中央アジアの方からやってきた」
「どこかディオニソスに繋がっている」神である

亀治郎(四代目市川猿之助)はワザヲギとして
そうしたディオニソスに憑依され
怨霊を憑依させ鎮魂することで演じていることになる

その怨霊の鎮魂は
「神がかっている亀治郎」として
ワザヲギの舞台上の演技のなかで成立するのだが
同じ身体をもちながら
そこからはなれた日常のなかでは
「理性的な亀治郎」を可能にすることが求められている

現代はかつての時代とは異なり
芸能やスポーツなどの世界でも
日常的なレベルにおける道徳的なありようが
過剰なまでに求められているところがある
つまり「二人の亀治郎」が
かつてよりも厳しく求められるようになっている

ある意味でそうしたありようこそが
現代的なイニシエーションとして
求められているともいえるのだろうが
なかなかに困難な課題ではあるようだ

■梅原猛・市川亀治郎『神仏のまねき』
 (梅原猛「神と仏」対論集 第三巻 角川学芸出版 2006/10)
■梅原猛・松岡心平『神仏のしづめ』
 (梅原猛「神と仏」対論集 第四巻 角川学芸出版 2008/6)
■山本ひろ子『摩多羅神/我らいかなる縁ありて』
 〔春秋社 2022/8)

(梅原猛・市川亀治郎『神仏のまねき』〜「第一幕 ワザヲギの呪力/神降る場・神がかる肉体」より)

「市川/先生は直感が大事だとおっしゃっていたんですけど、まさに僕もそうです。先生は僕に「古典を勉強せなあかん」とおっしゃいましたが、僕が役者として古典を勉強する方法は、梅原先生の学問の方法をそのまま真似ているわけです。例えば、「この役をお願いします」って言われると、まずは、先輩方がやってらっしゃるものを全部学びます。そして書物に全部当たります。その次が懐疑です。
 歌舞伎界というのは、先人たちから伝えられてきた型は、全部正しいということになっているんです。だけど僕はそこで疑って、先輩が長年継承してきた型でも、本当にこの役の精神を表しているんだろうかと疑う。疑って疑って、それが今まで伝えられてきたのにはそれなりの理由があるわけですから、それも考え合わせた上で。
 間違ったものは間違ったものとして、きちんと吟味して、そして正しい型を構築したい。型を構築して、自分なりに作り上げてゆく。しかしながら演劇というのは論理も大事ですけど、論理を超えたところの「摩訶不思議」なところも大事だと思います。あまり理屈で芝居をすると冷たいものになってしまいます。
 それで自分なりに役を構築して、自分で納得したら、一遍全部忘れるんです。で、しばらく三日間くらいぼうっとしていると、パッとひらめくんです。「あ、これで行こう」って。それで舞台を務めると、だいたい納得いく形になり、それは学問の方法とまったく同じだと思うんです。ひらめきなんです。でも「原典」は大切です(笑)。
梅原/やはりね、直感が大事なんです。
(・・・)
梅原/私は直感が鈍いのはダメだと思います。だけど直感だけに頼るのは危ない。
市川/危ないですね。
梅原/理性がいるんです。芸術家というものは火のような創造の情熱と、水のような冷たい理性の両方を持っていなくてはならない。冷たい理性でいつも自分を眺めている目がいる。それを世阿弥は「離見の見」という。」

「梅原/亀治郎君が目指すところのワザヲギはどういうものですか。
市川/それはもう昔とは時代が違いますから、何でも呼び寄せなければいけないと思います。どのような役でもできなければいけない。そういう〝もの〟に瞬時にして乗り移れる直感、感覚が必要です。それにはあらゆるものを知っていなければいけないし、あらゆるものを学ばなければいけない。そういう意味で言うと大事なのはやはり「感覚」ですね。」

「市川/創造者というのは晩年、守りに入ってしまう傾向が強いようです。
梅原/それは駄目だね。
市川/守りに入らないために、いつまでも攻めでいるには勇気が必要です。
梅原/勇気は必要。学者でも芸術家でも勇気は必要なんです。
(・・・)
市川/学者で勇気と言うと、例えば西洋の学者は、一神教だと唯一絶対の神がつまり真理で、神と自分個人というような一対一の契約になる。契約というか、神に対峙する自分であるから、自然と勇気が湧いてくる。しかし日本人というのは唯一絶対の神というのを持ってないから勇気が育ちにくい環境にある。その中にあって先生の勇気というの・・・・・・先生の神、西洋の唯一神に代わるものは何なんでしょうか。
梅原/怨霊だと思う。怨霊が憑いているんだ。」

「市川/勇気と関連して思うんですけど、僕は最澄という人間が好きです。最澄にしろ法然にしろ、大きいことを成し遂げる人はどこか孤独じゃないですか。肖像に描かれた最澄さんを見ても、どこか孤独で寂しさを漂わせている。だけど孤独に耐える力があったと思うんです。
梅原/孤独に耐える力が日本人には足りない。西洋人にはあなたが言ったように絶対神があるから、神さまが味方だから強いことが言える。
(・・・)
市川/やはり「密なるもの」、静かな声はざわざわしていたら聞こえないんで、独りで、静かにいること。それで好奇心を持ちつつ・・・・・・そういう声を常に聞こうという姿勢ですね。
 ただ日本人って、今の若い世代は特に孤独に耐えられないですね。
(・・・)
 耐えられないと変てこな神を求めて、怪しげな宗教に走ることになるんですね。
(・・・)
 今の若い世代が孤独に耐えうるために、西洋でいう一神教の神のような、そういうものに代わるものは先生、例えば何だと思われますか。(・・・)
梅原/それこそ怨霊が一番いいんだけどな。(・・・)
市川/でも怨霊を鎮魂するという行為に向かえばいかがでしょう。
梅原/そう、鎮魂です。」
(・・・)
市川/俳優の、ワザヲギの持つ呪力の一つは、変身です。この世ならざる存在へ変身する。これは仏教で言う、例えば即身成仏に近いような、自分にないものに変身するという、そのことによって自分が救われる、みたいなものだと思っています。これも一種の鎮魂でしょう。役者に限らず人には誰しも変身願望というものを多少なりともあると思います。」

(梅原猛・市川亀治郎『神仏のまねき』〜「第二幕 ワザヲギの運命/神に見せる・神を魅する」より)

「市川/我々は役者であって、語り部です。ものを「カタる」というのは演劇の基本だと思います。
梅原/理性的な亀治郎と、神がかっている亀治郎の二人の亀治郎がいると思うけど、それはいつ変化できるものですか。
市川/常にでしょうね。同じ存在の中に常にある。先生も僕も一緒だと思うんですけど、熱中しているのと、非常に冷めている自分とが同居している。
 僕は役に近づいてゆくというタイプではなく、完全に霊が乗り移ってくるタイプ、憑依型です。でもなかなか降りてこない(笑)。
梅原/降りてこない時がある? 僕はものを書くときは確実に降りますね(笑)。
市川/先生の方が役者に向いてるんです(笑)。
梅原/例えば亀治郎さんは舞台に立った時に乗り移るかもしれないけど、僕は飛行機の中でもどこでも乗り移ってる。
市川/そこは役者との違いですね。役者というのは乗り移る時期を選べるんです。だから「ワザヲギ」なんです。
梅原/自分から呼ぶわけですね。」

(梅原猛・松岡心平『神仏のしづめ』〜「第一章 能の力/怨霊鎮魂劇」〜「能とディオニュソス」より)

「松岡/私は先生の〝もの〟に対する姿勢にとてもすごさを感じています。それから仏教、先生に仏教と能の話を聞きたかった。さらに欲張って哲学です。先生のディオニソスてきなるものを知りたかった。
 ギリシア人が考えいたゾーエーという永遠の生命がディオニソスの祭の中で噴き出してくる、それを芸能にしたのが能だと思うんです。そういうディオニソス的芸能としての能に梅原先生が魅せられているのかもしれないですし、私もそこがポイントかなと思います。
梅原/ニーチェの『悲劇の誕生』も結局ディオニソスの霊に魂が憑かれて書いた、いや書かされた書であると言えます。
松岡/『悲劇の誕生』について、私はまだまとまった考えを持っていませんが、ギリシアの仮面劇がディオニソス祭祀のあたりから出てくる流れと、日本の能という仮面劇が多武峰などの常行堂修正会で行われる摩多羅神の祭祀のあたりから出てくる流れは重なっていると思います。
梅原/私は、摩多羅神は暴れる神、荒々しい神と感じました。広隆寺の牛祭は摩多羅神の祭ですが、この神は日本産でも中国産でもインド産でもなく、中央アジアの方からやってきた、そういうニュアンスや匂いがしまう。どこかディオニソスに繋がっている。詳しくは調べていませんが直観的にそう感じます。それがいったいいつからきたのか。すでに秦河勝の時代からきていたのか、それとも円仁によって移入された浄土念仏とともに平安時代にやってきたのかわからないがまったく不思議な神です。
松岡/例えば現在のディオニソス研究では、中央アジアからやってきたと言われるのはディオニソスの持っている圧倒的な他者性というのか、外から訪れる客人(まれびと)としての神のことだという解釈も出てきているようです。つまり特定の地域からやってきたと言わなくても、もっと古いギリシアの古層、あのあたりの土地の古層の神が、新しい植民都市を造ってギリシアが世界に伸していこうとする時に噴出してくるという考えでもいいと思います。
梅原/おっしゃる通りです。能をディオニソスの演劇として捉えるのは私はたいへん面白い考え方だと思う。」

(山本ひろ子『摩多羅神/我らいかなる縁ありて』〜「第一章 摩多羅神と夢の女人————壇上遊戯としての恋」より)

「「摩多羅神」という奇妙な名前をもつ神がいる。どちらかと言えば、真言系よりは天台宗系寺院の、それも常行堂という仏堂にゆかりの神で、現在でも日光山・毛越寺などの常行堂に祀られている。」

「摩多羅神は謎のヴェールに覆われており、その由緒・出自は杳として窺い知れない。おぼろげながらわかるのは、日本古来の神でもなく、教典に記された仏菩薩でもないことだ。中世の叡山では、慈覚大師円仁が唐より帰朝するとき、船中に示現し、「わたしは障礙神である。わたしを奉斎しない者は浄土往生を遂げられないだろう」と告げたと伝えられている。
 また摩多羅神はダキニ天や大黒天と同体とみなされたが、そのことは逆に、すでに中世にあって摩多羅神の実態が判らなくなっていた消息を物語る。「マタラ」という異風な名前をもつ神・・・・・・原・摩多羅神は、どうやら外国からやってきた「異神」であったらしい。
 摩多羅神の神秘性をいっそう際立たせるのは、その祀られ方である。あまりにも霊力が強く、秘匿すべき性質の神だったからか。阿弥陀仏の背面や堂内の隅に秘密裏に祀られた。つまり、摩多羅神は、一般の信者が参拝するような神ではなく、あくまで常行堂と堂僧らのための「深秘」の本尊であったのである。
 摩多羅神は、そのおそるべき降魔の力で、修行や念仏行事において天魔・天狗のたぐいから行者を守った。行者は、己れの超能力を高めるためにも、摩多羅神のパワーを仰いだと思われる。」

「やがて摩多羅神は、歌舞の神・芸能の神とも仰がれるようになる。それを端的に示すのが、鼓を打ち歌う摩多羅神を中尊に、左右に踊る二童子を配した、摩多羅神曼荼羅図だろう。
 つまる摩多羅神には、(一)修行の本尊、(二)歌舞・芸能の本尊という、ふたつの属性と働きが認められる。
 ところで摩多羅神がその霊力を発揮したのは、常行堂でも修行や法会だけではなかった、常行堂の外で、秘密結社的なイニシエーションの本尊という役割を演じていたのである。
 中世叡山の天台宗は、密教の潅頂作法にならいつつ、口伝法門という特殊な世界を形成していた。(・・・)
 この玄旨潅頂の本尊とされたのが、摩多羅神と眷属二童子である。」

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