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三木 清『三木清全集 (第8巻) 構想力の論理』/『再考 三木清―現代への問いとして』/坂部恵「構想力の射程」

☆mediopos-3060  2023.4.4

『人生論ノート』で知られている
三木清の「構想力の論理」は
ロゴスとパトスとの統一を問題としている

これはmediopos-3057(2023.4.1)でとりあげた
坂本龍一と福岡伸一の対談における
ロゴスとピュシスの問題と近しいともいえそうだ

坂部恵は「構想力の射程」において
『純粋理性批判』第一版で
カントがとりあげている「構想力」の問題を論じているのだが

カントは構想力に
悟性と感性とを結合する機能を認めたにもかかわらず
その後その問題は後退しているという

三木清はその「構想力」に関する論文を
一九三七年の五月から雑誌『思想』に発表しはじめる
(『構想力の倫理 第一』は一九三九年に
『構想力の倫理 第二』は没後の一九四六年に刊行)

『構想力の倫理 第一』の「序」で述べられているように
三木清の念頭にあったのは
「客観的なものと主観的なもの、
合理的なものと非合理的なもの、
知的なものと感情的なものを如何にして綜合し得るか」
という問題であった

その問題を
「ロゴスとパトスとの統一の問題として定式化し、
すべての歴史的なものにおいて
ロゴス的要素とパトス的要素とを分析し、
その弁証法的統一を論ずるということが
私の主たる仕事であつた」という

その「構想力の論理」は
「単なる感情の論理、あるいはパトスの論理ではなく、
「形象の論理」」としてとらえられ

「形相学(Eidologie)と
形態学(Morphologie)との統一であり、
しかも行為の立場におけるそれを目指す」という

そして「構想力の論理」における「形」は
「主観的なものと客観的なものとの統一」ではあるが
主客合一であるというのではなく
「主観的・客観的なものを超えたところから」考えられる
「行為の論理、創造の論理」である

三木清は西田哲学の影響を多大に受けてはいるが
西田哲学がいわば「心の技術」であるのに対し
「構想力の論理」にはそこに歴史哲学的なものもふまえた
「物の技術」を対置しようという意図があったようである
(技術の哲学とも関係する)

このように三木清の「構想力の論理」においては
ロゴスかパトスかではなく
ロゴスとパトスのたんなる綜合・統一でもなく
ロゴスとパトスを超えた場所からの綜合・統一がめざされている

「構想力の論理」は三木清の死によって
未完のまま終わってしまっているが
客観と主観・合理と非合理
知的なものと感情的なものを綜合・統一しようとする
その切なる問いは
まさに現代においてこそ
展開させていく必要があるのは確かである

■三木 清『三木清全集 (第8巻) 構想力の論理』
 (岩波書店 1985/3)
■田中久文・藤田正勝・室井美千博編
 『再考 三木清―現代への問いとして』(昭和堂 2019/7)
■坂部恵「構想力の射程」
 (『坂部恵集1 生成するカント像』岩波書店 2006/11 所収)

(『再考 三木清―現代への問いとして』〜
 藤田正勝「三木清の問い―その思索の跡をたどる(6)構想力の論理」より)

「『構想力の論理』で三木が問題にしようとしたのは、「ロゴスとパトスの統一」であったと言うことができる。『構想力の論理 第一』に付された「序」のなかで三木は次のように述べている。「『歴史哲学』の発表の後、絶えず私の脳裡を往来したのは、客観的なものと主観的なもの、合理的なものと非合理的なもの、知的なものと感情的なものを如何にして綜合し得るかといふ問題であつた。当時私はこの問題をロゴスとパトスとの統一の問題として定式化し、すべての歴史的なものにおいてロゴス的要素とパトス的要素とを分析し、その弁証法的統一を論ずるということが私の主たる仕事であつた」。しかしその考察が「余りに形式的」であった点について、つまり、ロゴス的なものと羽と素敵なものの統一が具体的に「何処に見出される」のかということを明らかにすることができなかった点について反省を加えている。そして次のように付け加えている。「この問題を追及して、私はカントが構想力に悟性と感性とを結合する機能を認めたことを想起しながら、構想力の論理に思い至つたのである」。

 人間の内にあるパトス的なもの、感情や情念、衝動などはそのままでは形あるものにならない。それを形あるものに転化する力、「像を作りだす力」である「構想力」(Einbildungskraft)があってはじめてそれが可能になる。そのような意味で、「構想力は単なる感情ではなくて同時に知的な像を造り出す能力である」と言われている。「構想力の論理」は単なる感情の論理、あるいはパトスの論理ではなく、「形象の論理」であった。

 興味深いことに、三木は「構想力の論理」をめぐる考察を通して西田哲学に接近したことを認めている。しかしそれは決して西田哲学と一つになったという意味ではない。「構想力の論理 第一」の「序」においても三木は、西田の「形」の理解の不十分性を次のようにはっきりと指摘している。「東洋においては形は主体的に捉へられ、かくして象徴的なものと見られた。形あるものは形なきものの影であり、「形なき形」の思想においてその主体的な味方は徹底した」。つまり西田が捉えた「形」は、形なきもの(無)を指し示す象徴として、どこまでも主観的に理解されている点を三木は批判したのである。そのような立場から次のように言われている。「東洋的論理が行為的直観の立場に立つといつても、要するに心境的なものに止まり、その技術は心の技術であり、現実に物に働き掛けて物の形を変じて新しい形を作るといふ実践に踏み出すことなく、結局観念に終り易い傾向を有することに注意しなければならぬ。」西田の「心の技術」に対して「物の技術」を対置しようという意図が、三木の「構想力の論理」にはあったと言うことができる。」

(『三木清全集 (第8巻) 構想力の論理』〜「序」より)
 ※以下の引用の漢字表記は現代の仮名遣いにしてある

「前著『歴史哲学』の発表(一九三二年)の後、絶えず私の脳裡を往来したのは、客観的なものと主観的なもの、合理的なものと非合理的なもの、知的なものと感情的なものを如何にして綜合し得るかといふ問題であつた。当時私はこの問題をロゴスとパトスとの統一の問題として定式化し、すべての歴史的なものにおいてロゴス的要素とパトス的要素とを分析し、その弁証法的統一を論ずるということが私の主たる仕事であつた。」

「ロゴスとパトスとの統一を対立物の統一として弁証法的統一と考へることは、たとひ誤でないにしても、余りに形式的に過ぎるといふことは、私自身つねに感じてゐた。(・・・)ロゴス的なものとパトス的なものとは弁証法的に統一されるとしても、その統一は具体的には何処に見出されるのであるか。単なる論理的構成にとどまらないその綜合は現実において何処に見出されるのであるか。この問題を追及して、私はカントが構想力に悟性と感性とを結合する機能を認めたことを想起しながら、構想力の論理に思ひ至つたのである。」

「構想力の論理によつて私は考へようとするのは行為の哲学である。構想力といへば、従来殆どつねにただ芸術的活動のことのみが考へられた。また形といつでも、従来殆ど全く観想の立場において考へられた。今私はその制限から解放して、構想力を行為一般に関係付ける。その場合大切なことは、行為を従来の主観主義的観念論における如く抽象的に意志のこととしてでなく、ものを作ることとして理解するといふことである。すべての行為は広い意味においてものを作るといふ、即ち制作の意味を有してゐる。構想力の論理はそのやうな制作の論理である。一切の作られたものは形を具へてゐる。行為するとはものに働き掛けてものの形を変じ(transform)て新しい形を作ることである形は創られたものとして歴史的なものであり、歴史的に変じてゆくものである。かやうな形は単に客観的なものでなく、客観的なものと主観的なものとの統一であり、イデーと実在との、存在と生成との、時間と空間との統一である。構想力の論理は歴史的な形の論理である。尤も行為はものを作ることであるといつても、作ることが同時に成ることの意味を有するのでなければ歴史は考へられない。制作(ポイエーシス)が同時に生成(ゲネシス)の意味を有するところに歴史は考へられるのである。構想力の論理は形と形の変化の論理であるが、しかし私のいふ形の哲学は従来のいはゆる形態学と同じではない。形態学は解釈の哲学であつて行為の哲学ではない。また形態学の多くが非合理主義的であるに対して、私のいふ形の哲学はむしろ形相学(Eidologie)と形態学(Morphologie)との統一であり、しかも行為の立場におけるそれを目指すのである。」

「ゲマインシャフト的文化は一般にさうであるやうに、東洋文化の理念も形であつたつ云ふことができる。しかるにギリシアにおいては形が客観的に見られ、「概念」を意味するやうになり、かくして近代科学と結合されるに至つたのに対し、東洋においては形は主観主義的に捉へられ、かくして象徴的なものと見られた。形あるものは形なきものの影であり、「形なき形」の思想においてその主体的な味方は徹底した。かやうな形の根底にあつてそれらを結びつけるものは近代科学の理念とされる法則の如きもの、何等か客観的に捉へられ得るものでなく、却つて形を超えた形、「形なき形」でなければならぬ。形は主観的なものと客観的なものとの統一であるといつでも、構想力の論理はいはゆる主客合一の立場に立つのでなく、却つて主観的・客観的なものを超えたところから考へられるのであり、かくして初めてそれは行為の論理、創造の論理であることができる。ただ東洋的論理が行為的直観の立場に立つといつても、要するに神教的なものに止まり、その技術は心の技術であり、現実に物に働き掛けて物の形を変じて新しい形を作るといふ実践に踏み出すことなく、結局観念に終り易い傾向を有することに注意しなければならぬここにそれが科学及び物の技術の概念によつて媒介される必要があるのである。」

(坂部恵「構想力の射程」より)

「  構想力が知覚そのものの構成成分であるとは、これまでおそらくどの心理学者も考え及ばぬところであった。このことのよって来る所以は、一つには、ひとが構想力というこの能力を再生産の作用だけに制限したからであり、いま一つには、感官がわれわれに諸印象を提供するのみならず、それらの諸印象を合成し、諸対象の形象をもたらしさえすると信じられたからであるが、しかし、そのためには、疑いもなく、諸印象の受容力のほかに、さらに何かそれ以上のもの、すなわち、それらの諸印象を総合する一つの機能が必要なのである。

 カントは、『純粋理性批判』第一版の「純粋悟性概念の超越論的演繹」の第三節「悟性と諸対象一般との関係および諸対象をア・プリオリに認識する可能性について」において、「直観の多様なものを一つの形象たらしめる」構想力の把捉のはたらきの根源的なる所以を述べた箇所に付した一つの注で右のように述べている。」

「カント派、ヴォルフ学派の啓蒙主義流の考えにおいて整理された従来の諸〈認識能力〉の大系のたんある静的な序列を逆転せしめたというのではなく、むしろ、構想力による総合の名のもとに、いわば『諸対象の形象』そのものの原初的たちあらわれにかかわる、人間の認識におけるきわめて基本的かつダイナミックな一つのはたらきの次元にあえて探りを入れていた。そして、まさにこの点にこそ、「のちのロマン派の哲学者からハイデッガー、三木清にまで大きな影響を及ぼした構想力のはたらきをめぐるカントの議論の要点が存したのである。」

「感性と悟性は、なるほど(感性的と知性的とを問わず)認識のための多様な素材を与えるではあろうけれども、しかし、それだけで「構想力の超越論的機能」による媒介を欠くならば、一つの脈絡のうちに統一されて対象の形象をもたらすことは絶えてない。形象(Bild)の把捉のためいは。構想力(Ein bildungskraft)による統一のはたらきが不可欠である。しかもここで是非とも見逃してはならないことは、把捉−連想(再生産)−再確認という順序をたどって記述される総合のはたらきは、けっしてこの順序で下から上へと上積みされて遂行されるべきものとしてではなく、むしろ、まったく逆に、いわばこの三つの総合の場を垂直方向に貫きなfがら、それら三つの(とりわけ再確認の)強い構造をより柔軟な弱い構造のうちに包摂する、より基本的かつより包括的な構想力による、より大きな総合のはたらきをまって、諸カテゴリーをア・プリオリな形式としてもちながら、まさにその開かれた垂直の次元を含めた全体的なはたらきの場において、事物の形象を結ばしめると考えられていることである。」

「おなじ『純粋理性批判』第二版のカテゴリーの演繹において、カントが、右にみたような構想力の総合の基本的位置に関する諸説を大幅に後退させ、いまや「我思う」(Ich denke)と等置された超越論的統覚を前面に押し出すかたちで、演繹の議論をあらためて整理し直したとはよく知られている。」

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