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周東 美材『未熟さ」の系譜』

☆mediopos2760  2022.6.8

日本で「成熟」が求められなくなり
「未熟さ」が愛されるようになったのはなぜだろう

現代日本の「お茶の間の人気者」である
「未完成なスター」の「未熟さ」を愛でる文化は
いつ生まれたのだろう

ジャニーズ・宝塚・女性アイドル・・・
「アイドル」は「未熟さ」ゆえに愛される

「子どもを中心とする近代家族」の
いわゆる「お茶の間」とそれへの願望は
明治以降に生まれ
大衆メディアと結びつき
独特な消費空間を生成しながら
「未熟さ」を愛でる文化が育くまれていった

たとえばこんなふうに・・・・

日本では定期的にといってもいいほど
童謡や天才子役がヒットするが
それは大正時代のレコード業界が仕掛けたことがきっかけに

宝塚が未婚女性だけの歌劇団なのは
鉄道会社がファミリー層を郊外に誘致するためだった

日本の芸能プロダクションがタレントを「養成」するのは
戦後のテレビ業界草創期に生まれた特異なシステムだった

日本のロックバンドが王子さまの衣装を着るのは
ザ・タイガースの歌詞を童謡雑誌の作詞家が書いていたから

アイドルの成長を「推す」文化は
「スター誕生! 」の企画者・阿久悠が
新人に「未熟さ」を求めたからだった

そうした日本独特のエンターテインメントは
完成された技芸や官能的な魅力ではなく
成長途上ゆえの可愛らしさやアマチュア性を愛好するものだ

日本のポピュラー音楽の歴史が
「未熟さ」において成立してきているのは
「メディアの変化という変わりやすい側面」と
「理想の家族像や「子ども」に関する
価値意識という変わりにくい側面」の相乗効果によるものだという

「家族や「女・子ども」の世界」は
批評家がホンモノを求める類いのポピュラー音楽の「正史」からは
むしろ軽視されてきた領域だったとさえいえる」のだが
「1920年代と1960年代の
日本の社会変動のなかの」価値意識の変化や
経済的な一定の豊かさによって
「子ども」は消費の主人公へとなっていき
それが新たなメディアと結びついてきたのである

今や消費社会の中心にいるのは「女・子ども」である
そこで「成熟」は求められない
求められるのは「未熟さ」ゆえの愛玩であり
アンチ・エイジングへの偏執も同様である
そうして日本的な「未熟さ」は再生産され続けてきたが
それが今後変わっていく可能性はあるのだろうか

本書には書かれていないが
最近興味深く感じているのがアイドルの高齢化である
そして「お茶の間」もすでに死語に近くなっている

1960年代以降当時の若者たちがつくりあげた
マスメディアのなかでアイドルは常に若く「未熟」だったが
時代を経るごとにアイドルもアイドルのまま高齢化していく
そしてそれなりにそこにかつてとはまた異なったかたちでの
「成熟」の可能性も見えてきているのかもしれない

いまだ「未熟さ」の系譜は続いているが
あらたに登場するアイドルの年齢も
かつてほど若くもなかったりする
そしてかつての高度経済成長の時代ではもはやなく
衰退期を迎えているとさえいえるなかでこそ
スローフードのように「成熟」が求められていくようになれば・・・

■周東 美材『未熟さ」の系譜』
 (新潮選書 新潮社 2022/5)

(「まえがき」より)

「日本のポピュラー音楽文化には、世界的に見ても稀有な特徴が存在する。その特徴とは「未熟さ」である。たとえば、卓越した歌唱力や官能的な魅力ではなく、若さや親しみやすさによって人気を得る「アイドル」、ジュニアからのデビューが話題に上り、歌も芝居もニュースキャスターもこなす男性タレント集団「ジャニーズ」、入学試験の結果発表の様子が毎年報じられ、未婚女性だけでレビュー上演する「宝塚歌劇団」など、いずれの音楽文化も「未熟さ」を基本的な特徴に含んでいる。

 歌い手の成長過程自体がひとつのパフォーマンスとして示され、成長の途上であるがゆえに表現される可愛らしさやアマチュア性が、応援されたり、愛好されたりする。実力の高さや技芸の完成度は、必ずしも人気の条件とはならず、むし敬遠されることすらある。このような「未熟さ」を基本的な特徴とするポピュラー音楽は、日本社会では「なんとなく昔から当たり前のようにあったもの」として存在し、その成立過程やルーツなどがことさら意識されることもない。しかも、「未熟さ」という特徴は、ポピュラー音楽に限らず、マンガやアニメ、ゲームやインターネット、さらには甲子園野球大会や箱根駅伝のようなスポーツなど、さまざまなメディア文化でも幅広く散見する。

 だが、「未熟さ」に特徴付けられたポピュラー音楽が日常の一部となり、それどころか国民的な広がりうぃみって支持されることさえある社会というのは、世界のなかでもほとんど類例がない。ジャニーズや宝塚は、日本社会では自明な存在であっても、いざ外国語に翻訳しようとすると、そのイメージや存在理由を正確に伝えるのはなかなか困難だ。しかし、それだけに、これらのポピュラー音楽には、日本社会の性格が刻印されているともいえる。アメリカ社会の文化や歴史を考える際に、ブルース、ジャズ、カントリー、ロック、あるいはミュージカルといったポピュラー音楽を欠くことができないのと同じように、近代日本社会について考えるために、ジャニーズや宝塚などのポピュラー音楽は格好の考察対象となるのだ。

(…)「未熟さ」を基調とする日本型ポピュラー音楽は、最近の西洋音楽の流入、テクノロジーの転換、新たな情報産業の確立や業界再編といった近現代日本が直面したメディアの変容を契機として生まれたものであった。だから、日本のポピュラー音楽が抱え込んできた「未熟さ」の来歴を明らかにしていくことは、私たちがなぜこのような日常に囲まれて生きるようになったのかを考え。近現代日本を問い直していくことにほかならないのである。」

「ポピュラー音楽の歴史を考える際に、団欒する家族という、いわば「女・子ども」の世界を主題にすることは、異例であるかもしれない。それは盛り場、ダンス・ホール、ストリート、ライブ・ハウスのような、従来の評論や研究が関心を寄せてきた表舞台ではないし、「ホンモノ」を求める批評家、熱狂する群集、体制に牙を剝く若者にふさわしい居場所でもない。家族や「女・子ども」の世界とは、ポピュラー音楽の「正史」からはむしろ軽視されてきた領域だったとさえいえる。

 しかし、ジャズであれロカビリーであれロックであれ、先端的な音楽がより後半に普及していくには、音楽通の玄人や不良少年ばかりでなく「女・子ども」からの支持を得ることは不可欠だった。家庭の子女や「茶の間」は、市場拡大を狙う音楽産業にとって重要な戦略的ターゲットだったのであり、とりわけ1920年代前後と1960年代から1970年代にかけての時期にその重要性はより際だっていた。これらの時期において「茶の間」は、日本のポピュラー音楽の創作・流通・消費の仕組みを支える要となり、日本のポピュラー音楽が「未熟さ」という特徴を備えていく素因となった。ゆえに、ポピュラー音楽を通じて近代日本とは何であったのかを明らかにするうえで、近代家族や「茶の間」というキーワードは、重要な手掛かりとなるのである。」

(「終章 「未熟さ」の系譜」より)

「近代以降の日本社会は、さまざまなメディアの変容に直面しながら、「未熟さ」を基調とするポピュラー音楽を繰り返し生み出してきた。レコードによる新曲創作の機運を導いていったお伽過激と童謡、都市とコミュニケーション空間の変動のなかで花開いた宝塚、米軍基地を後景にしてテレビ芸能界の主役となったナベプロやジャニーズ、エレキギターをかき鳴らしながらも王子さまへと塑像されていったグループ・サウンズ、そして、業界再編と消費社会化の只中で「スター誕生!」のカメラの前に立った少年少女たちというように、日本のポピュラー音楽は、メディアの変容に晒されるたびに、幼く未完成で、茶の間のマスコットとなるキャラクターを繰り返し生み出し、家族の理想像に寄り添ってきたのである。

(…)

 日本のポピュラー音楽には、時代を超えて共通する一定の特徴を見出すことができる。それが、(…)「見軸差」への偏向である。近代以降の日本社会では、歌唱力の高さや表現力の豊かさではなく、幼さや可愛らしさや未完成であることが強調される歌手たち、稚拙ではあっても親しみやすさを感じさせる歌手たちが次々に現れては、茶の間の人気者として愛好されてきた。個々の楽曲やタレントたちの流行に栄枯盛衰はあるとはいえ、幼く未完成なものへの偏向は、一貫して保持され反復されてきたのである。

(…)

 日本のポピュラー音楽の歴史は、メディアの変化という変わりやすい側面と、理想の家族像や「子ども」に関する価値意識という変わりにくい側面の、ふたつの側面からとらえることができる。この〈変わりやすいもの〉と〈変わりにくいもの〉の相乗によって、「未熟さ」を基調とする日本型のポピュラー音楽が反復されてきたのである。」

「団欒や「子ども」に高い価値を見出す心性は、いうまでもなく近代家族の理想像に由来する。」

「しかし、こうした家族や子どもをめぐる意識は、古来より一貫して日本の芸能のなかにあったものではなかった。1920年代以前に成立した日本の諸芸能にとって、こうした家族の理想像などまったく無縁のものであった。歌舞伎俳優に嫁ぐ女性をわざわざ「梨園の妻」と呼ぶのは、その生活が「普通の」家族生活とは違うと考えられているからであろうし、歌舞音曲の伝統を担ってきた芸妓の生活も、近代家族の生活のあり方とは違い、18世紀末から明治期にかけてアイドル的な人気を誇った娘義太夫もまた、「理想の娘」でも「もうひとりの家族」でもなかった。芸能はむしろ、家族の日常生活とは無関係なところに生まれる。ハレの場の特別な楽しみであった20年代前後の童謡や宝塚は、こうした伝統からは意識的に距離を置くことで成立した近代的なポピュラー音楽だったのである。」

「それにしても、なぜ日本のポピュラー音楽は、創作の過程においても消費の過程においても、家族の規範、とりわけ「子ども」に関する価値意識を必要としてきたのだろうか。(…)この問いに対するこたえとしては、子どもが異文化受容の緩衝装置の役割を担ってきたこと、そして、「子ども」が聖なる価値意識の中心を担ってきたこととというふたつの理由を指摘し、日本のポピュラー音楽の反復構造を可能にした条件について考えてみたい。」

「20世紀のあらゆる地域の大衆文化にとって、「他者としてのアメリカ」は、重大な問題として浮上していった。世界各地の大衆文化が、「アメリカ」という他者を見つめ、これをどのように理解し、変形し、そこからいかに自己の文化を立ち上げていくのかを問われたのである。そうした世界状況のなかで、日本社会は「アメリカ」を優越的な鑑としながら、ほかのどの地域よりも熱心に受容し、「アメリカ」との関係を通じて、「日本」という自己を再構築してきた。そのなかで、日本のポピュラー音楽は、「未熟さ」という特定の方向性を選択しつつ独自の文化を生み出し、同時に「ありえたかもしれないほかの可能性」を捨象していったのである。」

「1920年代と1960年代の日本の社会変動のなかで、価値意識が変容し、また、経済的にも一定の豊かさがもたらされたことで、「子ども」は消費の主人公へとせり上がっていく。(…)純粋無垢であるべきだという言明と、教育をうけ大人に成長しなければならないという言明といった。相互は違反的なダブル・バインドを抱え込んだ存在であり、子ども理想とは結局のところ到達不可能なものである。しかし到達不可能だからこそ、いつまでも追い求められ、強固に維持され、消費社会と結び付くことで不断に欲望されてきたのだ。」

「こうした「未熟さ」の帝国は、これからも不動なものだろうか。(…)〈変わりにくいもの〉であるとはいえ家族や子どもをめぐる規範に変化が見られるならば、別の局面に移行する可能性はあるだろう。あるいは、アメリカという他者との距離が相対化されるならば、新たな文化創造のあり方を生み出すかもしれない。これらの可能性を考えるためには、家族規範を支えてきた経済や人口動態やジェンダーという条件を問うことや、沖縄や韓国とアメリカの関係を問うことは有効となるだろう。そうしたオルタナティブを想像するためにも、本書が示してきた日本的な「未熟さ」の再生産構造の歴史は問われなければならない。」

【目次】
まえがき
1章 童謡――天才少女が「あどけなく」歌うわけ
2章 宝塚――女生徒たちはなぜ髪を切ったか
3章 渡辺プロダクション――テレビがタレントを供給する仕組み
4章 ジャニーズ――ミュージカル少年がバク転をするまで
5章 グループ・サウンズ――エレキが生んだ「王子さま」
6章 スター誕生! ――オーディション番組と虚構の少女たち
終章 「未熟さ」の系譜
あとがき

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