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原作・山田鐘人/作画・アベツカサ『葬送のフリーレン(9)』

☆mediopos2862  2022.9.18

『葬送のフリーレン』がアニメになるらしい
そしてちょうど第9巻目が発売された

その9巻目の最後のところで描かれている
魔族マハトのセリフが
とても印象深いものだったので引いてみた

魔族マハトには
〝悪意〟や〝罪悪感〟といった
感情がわからない

「魔族(われわれ)には、
 人類にあって当たり前の
 なんらかの感情が欠落している」

それに気づいたマハトは
「生まれて初めて
 人類に興味を持った。
 もっと知りたいと願った」

人間は「天使」でも「悪魔」でもない
霊学的には「自由の霊」として
位置づけられもする

エデンの園には
生命の樹と知恵の樹があり
決して食べてはならないと命じられていたが
善悪の知識を得る知恵の樹の実を食べて
アダムとエバはエデンの園追放され
死する存在となってしまう
〝罪悪感〟もそこから生まれた

モーセの十戒というのもある
それが与えられるまで
人類はそれらの「戒」を知らずにいたらしい
そのなかに
「殺してはならない」
「盗んではならない」
といったものもあるが
それらもまた〝罪悪感〟を生む

そして殺すことや盗むことなどを
積極的に行おうとすることは
それそのものが〝悪意〟であるともいえる

魔族にはそうした
〝悪意〟や〝罪悪感〟といった感情が欠けている

ある意味で
天使もまたそうした感情を持ちえないだろう
そして魔族(悪魔)の鏡像として
天使には〝善意〟や〝良心〟といった
感情が欠けているといえるかもしれない

つまりそうした感情は
魔族(悪魔)にも天使にも
自動的に働いていて
それらを「自由」において
働かせることができない
そうでしかありえない存在なのだ

もちろん人間すべてに
あらゆる感情が存在しているわけではなく
それらはみずからが「自由」において
育てていかなければならない

多くの人間は感情を未発達にしたまま
未熟な感情ゆえの愚かな行為を行ったりもするが
どれだけ感情を育てられたかが
人間が人間であるための存在証明であるともいえる

「自由」であるがゆえに
〝悪意〟や〝善意〟をもつこともできるし
〝罪悪感〟や〝良心〟をもつこともできる

そしてそれらの感情を持ち得ることで
みずからをみずからの理想へと育てることもできる

地上では人間を通じて
悪魔と天使が争っているともいえるが
両者の合わせ鏡としての人間でしかなし得ないことを
人間は課題としてもっているのだろう
まさに「自由の霊」として

■原作・山田鐘人/作画・アベツカサ
 『葬送のフリーレン(9)』
  (少年サンデーコミックス 小学館 2022/9)

「実に有意義な話しあいだった。
 〝共存を望んでいるのに
  何故 殺し続けるのか?〟

素晴らしい質問だったよ。
 フリーレン。

その感性の違いを
 理解することこそが、
 人類との共存の道しるべになる。
 そしてそれは
 俺の目指す所だ。」

「好きなだけ
 俺の記憶を見るといい。
 そして共存のために殺し合おう。
 フリーレン。

俺の探し求めていた
 答えを見えてくれ。

切っ掛けは
 本当に些細なことだった。
 それはいつもの日常風景。

魔王様に命じられ
 人類の村を一つ滅ぼした。
 今までに滅ぼしてきた多くの村落の、
 その内のたった一つ。

その村の神父は
 〝悪意〟だの
 〝罪悪感〟だの
 そんな言葉をまくし立てた。

だがその神父は
 今まで殺してきた人類とは何かが違った。

・・・どうした
  突然 黙って。
  命乞いを続けないのか?

・・・そうか・・・
  ・・・わからないのか?
  ・・・なんということだ・・・
  可哀想に・・・

そのとき
 ふとした疑問が湧いた。
 言葉としては知っていても
 俺はその感情を知らないと。

恐怖はわかる。
 怒りもわかる。
 あれは哀しみだ。
 わかる。
 この感情は殺意。
 怒りや憎しみからくるものだ。
 それもわかる。

だが
 〝悪意〟とはなんだ?
 〝罪悪感〟とはなんだ?

魔族(われわれ)には、
 人類にあって当たり前の
 なんらかの感情が欠落している。
 それはなんだ?

俺は生まれて初めて
 人類に興味を持った。
 もっと知りたいと願った。

(・・・)

相手を理解したい。
 この感情も知っている。
(・・・)

俺は人類のことは好きになった。」

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