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伊藤潤一郎「連載 投壜通信 8.誇張せよ、つねに」 (「群像 2023年 04 月号」)

☆mediopos-3041  2023.3.16

自転車に乗る

いちど乗れるようになったら
乗れなかったころのように
自転車に乗れない状態には戻れない

言葉を話せるようになる
ということも同様で
いちど言葉の「意味」を身につけると
その意味を知らない状態に戻るのは難しい

今回の伊藤潤一郎「投壜通信」では
「「できない」から「できる」への時間は本当に不可逆なのか」
という問いかけがなされている

「私たちがいつのまにか身につけた「意味づけ」という振る舞い」を
反転させることはできないかという問いである

それは「大人が汚した世界を
純粋な子どもが救うという陳腐な物語」のような
幼年回帰的な無垢さへの回帰の称揚ではない

「子どもから大人への発達過程で
「できない」から「できる」へと
不可避的に進んだかにみえた過程を、
さらに「できる」から「できない」へと進め、
その不可逆性を否定する」ことである

言語習得に関していえば
わたしたちはさまざまな試行錯誤を繰り返すことによって
「言語を習得し、意味の世界に参入」し
「自分以外の他者とある程度円滑な
コミュニケーションができるようになる」わけだが
そのことを裏返しにいえば
「みんなの共有物としての言葉にみずからを疎外している」
ということでもある

「純粋無垢な幼年期や自然に戻ることはできず、
不特定多数のための言語の外に出ようにも、
その言語を資源にするしかなく、
不可避的に外部は内部に汚染されている」のである

わたしたちはそんな「恣意性と一般性」をもった「意味」に
「汚染」されながら言語を使わざるをえない

それは身体性についても同様で
私たちは「恣意性と一般性」もった「意味」のなかで
ふるまうことで日々生きている

そんななかで
「できる」から「できない」へと
「意味の手前への前進」をおこなうこと

つねに「はじめて」であること
過去回帰的な「はじめて」ではなく
汚染された「意味の手前」にみずからを「前進」させる
そんな「はじめて」であること

教えられることを覚えることばかりの教育や社会のなかで
自由であり得る可能性への「前進」である

■伊藤潤一郎「連載 投壜通信 8.誇張せよ、つねに」
 (「群像 2023年 04 月号」所収)

「  自転車に乗れる。そのせいで、自転車に乗れなかった頃と同じように自転車に乗れない、ということができない。サドルにまたがってハンドルを握り、両足の踏み込む力を拮抗させながら肩や肘でバランスを調整できるうようになったことで自転車は、自力で意味や価値を引き出せる器械————〝乗り物〟へと質が変わってしまった。関係を結べない環境がただ目の前にある、という世界がひとつ失われたのだ。

 その言葉が目に飛び込んできたとき、いままでの自分の考えの至らなさが身に沁みた。よく言われるように、一度身体が覚えたら忘れないことがあるのは知っていた。歩く、水に浮く、泳ぐ、そして自転車に乗る——たしかな記憶は残っていなくとも、すべてこれまでの人生のどこかのタイミングでできるようになっている。そして、いまでもできる。忘れていない。けれども、「できる」状態の前に戻るなんて考えたこともなかった。できるようになったのだからそれでよし。その程度にしか考えていなかった私のぼんやりした頭は、作家の蒜山目賀田の言葉によって弾みがつき、「できない」から「できる」への時間は本当に不可逆なのかと考え始める。
 蒜山は徹底して「できる」の手前にとどまろうとする作家である。たとえば、二〇一九年に制作された『もちてのほん』を見ると、そこには民家の外壁や木彫りの熊などに「もちて」が付けられた写真が並んでおり、ふつうはそんなものはないはずの場所に「把手」がくっついている。ふだん私たちは、民家の外壁や木彫りの熊に特別な意味を与えてはいない。それらが。敷地を区切る目印(あるいは無断で越えてはならない境界線)やよくある北海道産以上の意味をもつことはほぼない。だが、通常あるはずのない「把手」が付けられると、何気なく目にしているものがちがった姿を見せるようになり、端的にいえば、それらは意味をまだもっていなかった世界へと合図を送るようになるのである。

  なんでもない場所、なんともいいようのない場所であっても、
  持つとこころがあれば関係できるようになる。

  その場所について語るために使える言葉が
  少なくとも少しくらいは、増える。

「もちて」や「把手」とは、私が世界と関係を結ぶための文字どおりの「手がかり」である。それがなければ、私にとって世界はつねによそよそしく取り付く島のないものにとどまるため、私はどうにかして世界への手がかりをつかもうとする。雪道を歩くとき、もっとも滑らず歩きやすそうなところへと次の一歩を踏み出すように、私はみずからの行為を「できる」ようにするために、世界とのあいだの関係を可能なかぎりなめらかにしようと努力する。ひとたび手をかけ、関係を結ぶことが「できる」ようになった世界とは、意味をもった世界といってもよいだろう。むろんこれは、おそらく蒜山も念頭に置いているであろうような発想ではある。「もちて」が握ることをアフォードするように、アフォーダンス理論は知覚者との関係のなかで環境が実在的にもつ意味を明らかにするが、しかし、私たちになじみ深いものに「もちて」を付ける「もちてのほん」の視線はそれとは異なり、私たちがいつのまにか身につけた「意味づけ」という振る舞いをあえて反復することによって、私たちと世界との関係が「できる」で結ばれる手前へと向けられているように思われてならない。
 実際、蒜山の多くの絵には、何ものかとして容易には名指しえない何かが世界との関係を模索するような筆触で描かれているし、何かとして同定できるようなものがそこにあっても、視点の揺らぎがあったり、空間が撓んでいるように思えたり、世界をある一点から把握する主観とは異なるまなざしが感じられる。さしあたりそれを意味の手前にあるまなざしと呼ぶとしても、そのようなまなざしは子どもから見た世界ではけっしてない。たしかに、世界の内に生まれて間もない子どもは、世界とのあいだに意味を生み出せず、歩く、泳ぐ、自転車に乗るといった動作をひとつひとつ習得していく必要がある。しかし蒜山の作品が示しているのは、そうした動作ができなかった子供時代へ帰りたいという単純な欲望ではいささかもない。バタイユやリオタールやアガンベンなど、いわゆる現代思想においても「幼年期」をキーワードとする思想家は多いが、たとえばバタイユを取り上げてみても、その議論はたんなる幼年回帰を目指すものではなく、「幼年期」は「大人」の世界を経たうえで現れてくる場として捉えられている。そもそも子どもの無垢さへの回帰を称揚する言説は、未来の希望を子どもに託す言説と相補的であり(その結果、大人が汚した世界を純粋な子どもが救うという陳腐な物語が量産される)、かつて中村文則が「ベビーエンド」と呼んだ子どもへの安易な期待は、再生産=生殖主義にどっぷりと浸かっている。それゆえに、意味の手前を安易に子どもへの回帰と結びつけるような解釈は、少なくとも私にとっては支持しがたい。絵を描くことを「手作りの膜で自分自身を包み、孤立させるための営み」と述べる蒜山にとって、意味の手前の世界とは、いったんは意味のなかに深くはまり込んだ「大人」が、なんとかそこから身を引き剥がしてはじめて示される世界だろう。つまり、蒜山がおこなっているのは、自転車に乗れるようになった人間を、もう一度自転車に乗れなくすることなのである。子どもから大人への発達過程で「できない」から「できる」へと不可避的に進んだかにみえた過程を、さらに「できる」から「できない」へと進め、その不可逆性を否定する。蒜山の作品にくりかえし触れていくうちに、私のなかに芽生えたのはこうした意味の手前への前進ともいうべき考え方だった。
 ただし、これはそう簡単なものではない。言葉に即して考えてみよう。当然のことながら、子どもはずいぶんと年齢を重ねないかぎり、言葉を不自由なく操れるようにはならない。ラテン語の「インファンス」が「話せない」を意味するように、子どもはみずからの息を意味のある言葉に調整することができないのであり、その点で私たちは誰もがはじめは意味の手前に存在していたといえる。しかし、くりかえしになるが、問われるべきは意味を身につけたあとに意味の手前へと一歩を踏み出すことである。試行錯誤の結果、言語を習得し、意味の世界に参入した人間は、自分以外の他者とある程度円滑なコミュニケーションができるようになるが、それはみんなの共有物としての言葉にみずからを疎外しているからだともいえる。言葉はつねに私の誕生に先行しており、私はみんなが使用している言葉の世界に「入る」というかたちでしか言葉との関係を結べず、言葉は私だけの所有物にはけっしてならない。ラカンならばこれを大文字の〈他者〉の経験と呼ぶだろうが、いずれにせよ言語習得とは誰にでも通じる一般的な意味を身につけていく過程なのである。」

「汚染——ここに言語を話す人間の本質を見てもよいのかもしれない。純粋無垢な幼年期や自然に戻ることはできず、不特定多数のための言語の外に出ようにも、その言語を資源にするしかなく、不可避的に外部は内部に汚染されている。」

「そうだとすれば、もはや一般性の外部を希求する哲学や文学は限られた人間にのみ関わるものなのだろうか。

  今日の時勢がかういふ書を出すに適してゐるかどうかは知らないが、私はただひたすらに真と美の永久の静けさを求めて、少数の読者と共に、哲学と文学との間の小道をさまよひながら、思索し、感覚し、憧憬することを願つてゐる。

 九鬼周造が『文藝論』の「序」にこのように書いたには、一九四一年のことだった。(…)哲学と文学が即効性のある解決策を提示したり、いわゆる「インフルエンサー」のような数の力をもったりするのは稀であり、数の多さとは異なる力と時間性こそ、投壜通信というモチーフが表しているものだろう。いつ届くかわからず、確実に届くかも定かでないなかで、「あなた」を欲する言葉は、即効性とも量的思考とも明らかに異なっている。
 むろん、このような長期的な思考や言語の時間が失われるのは何としても避けなければならないが、現状は九鬼が語るような少数の人々さえ失われかねないものだろう。というのも、意味の一般性の外へと向かうのはいまや哲学やん文学の言葉だけではなくなっており、そうした状況のなかでは哲学や文学の余地がますます狭まっているとも考えられるからだ。」

「だからこそ、いまもっとも必要なのは意味の手前への前進なのではないか。悪循環から脱出するには、恣意的な意味に対して一般的な意味で切り返すのではなく、誰にも所有されえない意味へと開かれた言葉を投げ返すべきではないだろうか。
(…)
 恣意性と一般性の外へと向かって、言葉はつねにあらんかぎり高く投げ上げられなければならない。」

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