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『建築知識 2022年8月号/縄文から江戸時代まで日本の家と町並み詳説絵巻』

☆mediopos2818  2022.8.5

なぜか建築には心惹かれるものがあり
建築家の著作に目を通すことはあるものの
建築の専門雑誌まで求めることはさすがにないのだが

『建築知識』という月刊誌が目に留まったのは
今回(八月号)の特集が
縄文時代の竪穴式住居から江戸時代の大名屋敷まで
幅広い時代・用途・規模の建築と町並みが
細密なイラストで詳細に
しかも分かりやすく解説されていたからである

しかもこの特集では
道幅や建物の配置といった都市的スケールから
建物の詳細なつくりや寸法・用語だけでなく
その中で暮らす人々の服装、生活の道具など身近なスケールまで
多面的な視点で日本の建築と暮らしの歴史が
一挙に解説されているという力の入れよう

「大河ドラマで時代考証を手掛ける専門家や建築史家など」が
監修ししかも建築の専門家だけではなく
インテリアや服飾の専門家なども執筆陣に加わっているそうで
「日本の建築や町並みを楽しめるのはもちろん」
「次代考証の参考としても役立つ」すぐれた内容となっている

専門的なことは別としても
縄文時代から江戸時代までの歴史を
日本建築の歴史を通じて見ていくことは
日本人の意識の変化を見ていくことでもある

重要なのは今現在とこれからの私たちの意識の在り方を
かつて日本人がつくりだしてきた建築用態を通じて
とらえなおすきっかけにすることだ

現代の「日本の家と町並み」を
ここで紹介されているような様態と
そのまま較べることはできないだろうが
現在多くみられる即物的で雑然とした
多様性があるようでじっさいのところ
精神性の欠如した画一的な様態にもまた
その背景には現在の日本人の意識が反映されているはずである

私がそして私たちがこれから持ち得る意識の様態は
おそらくそれに応じた建築空間やさまざまな調度などとして
これからなんらかの形で表現されてくることになるだろうが
それが精神の深みにおいて自由で柔軟で
真の意味でひらかれたものとなりますように

■『建築知識 2022年8月号
  /縄文から江戸時代まで日本の家と町並み詳説絵巻』
 (エクスナレッジ 2022/7)

「竪穴式住居、寝殿造、書院造、町家など縄文から江戸時代までに存在していた日本の建物や町並みを徹底解剖!
 監修には、大河ドラマで時代考証を手掛ける専門家や建築史家などを迎え、住まいを中心に、お寺や寺社、茶室などの建築まで網羅しました。詳細なつくりや寸法・用語に加え、町の道幅、建築配置などといった大きなスケールから、室内の調度品や複層、道具などの身近なスケールまで、豊富なイラストで一挙解説!
 日本の建築や町並みを楽しめるのはもちろん、イラストや小説など次代考証の参考としても役立つこと間違いなしの一冊です!」

(「飛鳥様式」より)

「6世紀半ばの仏教伝来は、その教義だけでなく、寺院や仏像といった新しい造形を伴う文化の受容だった。6世紀末になると、渡来した技術者の下で、飛鳥寺や山田寺(ともに奈良県)など本格的な伽藍をもつ寺院の造営が始まる。国内外に向け、朝廷の権威や文化水準の高さのアピールにもつながるため、国家的な建造物はいずれも大陸様式の建築としてつくられた。」

(「寝殿造(外部)」より)

「平安時代の貴族住宅は寝殿造と呼ばれる。寝殿造の特徴の一つは、敷地の周囲に高い塀を巡らし、その内側に中門廊と呼ばれる第二の囲いを設けている点である。つまり、外部から訪れて住居の中心に位置する寝殿や南庭に至るには、2つの門を通り抜けなければならない。
 もう一つの特徴は、寝殿をはじめとする主要な殿舎が儀式を行うための開放的な大列柱空間の建物であること。この儀式用の列柱空間に建具をはめ込むことで、居住空間がつくられていた。」

(「町家の原型」より)

「平安時代になり、庶民が住む町屋の原型が登場。平安京の庶民は、10世紀から在野と呼ばれ、彼らが住む長屋は小屋と呼ばれた。小屋は四行八門(しこうはちもん)を再開発した長屋と、貴族が自分の寝殿造の周りに建てた長屋があった。後者は桟敷とも呼ばれ、祭りのときには貴族の見物用の建物として使われた。
 町家という呼び名は、身分名称の「町人」が登場する室町前期(14世紀ごろ)以降に登場するため、平安時代では「町家の原型」が正しい表現といえる。」

(「武士の館」より)

「武士の成立の背景には、在地領主の武装化、貴族などに仕える軍事的能力を持つ職能人の存在などが考えられる。地方武士の拠点である館は、軍事的要望としてだけでなく、周囲の堀を農業用水に利用するなど、農村支配の役割を担った。
 鎌倉時代の武士の館は、質素を旨とし実用を尊ぶ武士の生活様態に合わせた、同時に成立の背景である貴族の住まい(寝殿造)を簡略化したものと考えられる。その具体的様相は、当時の絵巻物から知ることができる。」

(「城郭建築」より)

「軍事施設としての城は7世紀後半から存在していたが、天守を創始したのは安土桃山時代の織田信長とされ、天下人の象徴として建てられた。内部は書院造りの御殿を積み上げたもので、その最上部に遠望のための物見(望楼)を載せた。その後、豊臣秀吉の時代に籠城に備える軍事拠点化し、内部は簡素に、一方、城主の権威の象徴として外観は華やかにつくられた。天守は城主の好みや考え方を反映する個性的なつくりになっており、同じ意匠が2つとない多様な建築物である。」

(「裏長屋」より)

「江戸は18世紀の初めには人工100万人を超える大都市となった。そのおよそ半分が町人である。次男以下は村を出て都市で生計を立てなければならなかった。「江戸は諸国の吹きだまり」といわれる所以である。彼らの住まいが、表店の奥に建ち並ぶ裏長屋だ。裏長屋は「5年もとどり」といわれ、火事で焼けても5年ももてば採算が取れる安普請であった。地主や家主はその土地には住まず、雇われた大家(家守)が、家賃の収納から町奉行所への付き添いまで店子の管理を一任された。」

【目次】

1章 導入
年表(先史・古代~近世)/大工道具

2章 先史・古代
ムラの成立/環濠集落/豪族の居館/古代神社建築/藤原京/飛鳥様式/平城京/平安時代の寺院/平安京/寝殿造/寝殿造のしつらい/平安装束/町家の原型

3章 中世
武士の館/中世の京都/会所/座敷飾り/草庵茶室/城下町の構造/城郭建築/大仏様・禅宗様/中世神社建築

4章 近世
江戸時代の京都/江戸の町並み/大名屋敷/京都の町家/江戸の町家/裏長屋/家具・道具/盛り場/地方の民家

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