奈倉有里『文化の脱走兵』
☆mediopos3633(2024.10.30.)
かつて『海の向こうで戦争が始まる』(1977)
という村上龍の小説が流行った?ことがある
その頃も「海の向こう」では
戦争が途絶えたことはなく
「戦争を知らない子どもたち」(1970)という歌が
流行ったことがあるけれど
その頃も「戦争」だとは思われていない戦争が
日本のなかでも途絶えたことはなかった
見える戦争のかげで
見えない戦争も途絶えることがないからである
武器を売るため
医薬品を売るため
そして為政者や企業に都合の良い
知識と思考を植えつけるために
現在進行形でさまざまな形の「戦争」がつづけられている
そうした「戦争」に
意識的にであれ無意識的にであれ
まったく関係しないでいることはむずかしい
奈倉有里『文化の脱走兵』は
『群像』で連載されていたエッセイが
収録されている一冊だが
『文化の脱走兵』というタイトルにあるように
いわば「脱走」のススメとなっている
「兵」とあるように「戦争」からの「脱走」である
この題名はロシアの詩人
エセーニン(1895年10月3日- 1925年12月27日)の
脱走兵を称えた詩にヒントを得てつけられたという
エセーニンは「ロシアいちばんの脱走兵になった」と誇り
「僕は詩でしか闘わない」と表明した
「脱走兵」の前に「文化の」とついているが
奈倉有里によれば
「文化とは、根本的なことをいえば
人と人がわかりあうために紡ぎだされてきた様式のこと」
「戦争は、この「文化」を一瞬にして崩壊させて」しまうという
「戦争は戦場だけで起きているわけでは」なく
「その凶悪さと巨大さ、そしてその社会で生きる自分もまた
どこかでその構造に関与してしまっている現実を考えると、
自分になにができるのかがわからなくなることや、
絶望してしまいたくなることもある」かもしれないけれど
「それでもやはり、気づくことは気づかないことより
ずっといいし、非戦のために自分ができることを考えるのは、
それだけでもすでに意味のある、尊いこと」
そして私たちに呼びかけている
「あきらめずに、なによりも大切な
自分の内面世界を守りながら、一緒に逃げ続けてください」
「絶望してしまわないため」の「物語」とともにと・・・
いまわたしたちには「勇気」が必要だ
「戦う勇気」ではなく「脱走する勇気」
さまざまなかたちで
「戦争」を促している「欺瞞」に気づき
「教科書の嘘を読み解」くこと
「戦争」に加担していることに気づいたときは
そこからでき得る限り速やかに「脱走」すること
「国という行政単位のしがらみに曇らないように、
ものや人を愛しく守る」ひとになるために
■奈倉有里『文化の脱走兵』(講談社 2024/7)
**(「クルミ世界の住人」より)
*「クルミが好きじゃない子供のために、トマト好きのおじさんも必要だ。トマトを中心に世界が回っているトマト世界のおじさんは、畑でもいできたばかりの青い匂いのするトマトをくれる。ウクライナの子供とロシアの子供は並んでトマトにかじりつく。ついでにトマトが大好物の私もごちそうになる。
クルミでもトマトでなくてもいい。好きなもの、好きなことを気前よくふるまうこと、「好き」を分かち合うことを快く思う人が、その基準を確固たるものとして持っているのは、これからの世界の子供たちにとってものすごく大切なことなのだろう。その基準が国という行政単位のしがらみに曇らないように、ものや人を愛しく守る人々の存在が。」
**(「動員」より)
*「一九一四年。一般的には、第一次世界大戦の開始とともにロシアの世論は愛国主義的言説一色に染まったとされている。当時の新聞を見るならばそれは確かにそう見えるし、詩人のなかにも戦争を賛美する者はいた。そんななか、親しい詩人に愛国主義をうたう詩を披露された翌日、詩人アレクサンドル・ブロークは手帖にこう記す————
今日ようやく、はっきりとわかった、この戦争の明確な特徴は非偉大性(高尚ではないもの)だと。この戦争は単なる行きがかりの巨大な工場なのだ。
当時すでに数多くの作品を世に出し圧倒的な人気を誇っていた抒情詩人までもが戦場に送られるとは、周囲もにわかには信じがたいことであった。
「まさか、彼〔ブローク〕まで前線に送ることになるというのか、小夜啼鳥を焼き殺すようなものじゃないか」
そんな開戦直後の知人の心配もむなしく、招集される兵士の年齢は次第に上がっていき、一九一六年七月の初め、当時三十五歳だったブロークもまた軍にとられ、後方ベラルーシ南部の平原で壕を掘る日々を送る。」
*「戦争の蛮行を前に、詩人は何を書けばいいのか。それは指揮官の発するような言葉では決してない。ブロークより十五歳若いセルゲイ・エセーニンは一九一四年の十月に十九歳になったばかりで、一九一五年の四月にはすでに徴兵の恐れがあることを知人への手紙に書いている。翌一九一六年の四月、前線に向かう列車に乗せられ、さらにその翌三月までが兵役の期間となる。自伝的物語詩『アンナ・スネーギナ』のなかでエセーニンは戦争をこう語る————
「戦争は僕の心を喰いつくし/どこかの他人の利益のために/目の前にあった体を撃ち」「それでわかったんだ、自分はおもちゃだと」「僕は武器とかたく訣別し/詩のなかでだけ戦うことにした」「能無しと悪党どもが/戦争を『戦いぬけ』『勝利まで』とけしかけて/死にに行けと前線に追いやった」「それでも僕は剣をとらなかった・・・・・・/砲撃音と轟音のもとで選んだのは別の勇気だ————/僕は国でいちばんの脱走兵になった」
戦う勇気ではなく、逃げる勇気を。なにかのため、誰かのらめに犠牲にしてもいい命など、ひとつとして存在しない。
ロシア国立文学芸術アーカイヴに保存されたエセーニンの詩『ルーシ』には、「一九一六年五月三十一日、コノトブ近郊」という行軍中の日付と場所が書き込まれている。エセーニンの『ルーシ』はこの文脈において読み解かれるべきものである。人を戦争にけしかけ、脱走兵の厳罰化を決めた二十一世紀のロシア大統領が『ルーシ』に身勝手な解釈によってエセーニンを愛読書としているのは、厚顔無恥のなせる業にほかならない。
だがどんあんい浅はかな権力者であっても、いや、だからこそ、膨大な権力を握ってしまえばその者を止めるのは難しくなる。」
*「愛国教育には文学も含まれている。もちろんそれは、いまにはじまったことではない。ソ連時代にしても、義務教育の教科書では作家や詩人の生涯や作品から恣意的に一部分だけが切りとられ、都合の悪い部分は徹底的に塗りつぶされてきた。ブロークはドイツ系の出自であるにもかかわらず、それを否定して「ロシアの詩人」とするために、学術的根拠のない「非ドイツ系説」が近年までたびたび出現しれいた。エセーニンの詩を脱走への文脈からはぎとって「愛国的」ルーシ讃美にすりかえたのもまた教科書の暴挙である。
だからこそ————だからこそ詩を、本をきちんと読まなければいけないのだ。甘味な抒情が権力に利用されても気づけるように。反戦運動の支援をしている著名人はみな本を読む人々だ。いかに教育が偽りの愛国で武装しようともその欺瞞に簡単に気づいてきた。教科書の嘘を読み解く術を持っている人々だ、文学大学時代の知人に、この戦争に賛成している人など一人もいない。決して難しいことではない。さきほどのエセーニンの引用だけでも、もう一度読めばわかる————いったい誰が「能無し」や「悪党」なのか。人を殺し殺される「おもちゃ」にされないために、ただひとつ、どんな勇気が必要なのかが。」
**(「あとがき 文化は脱走する」より)
*「本文中でも書いていますが、本書の『文化の脱走兵』という題名は、エセーニンが脱走兵を称えた詩にヒントを得てつけました(『動員』参照)。文化とは、根本的なことをいえば人と人がわかりあうために紡ぎだされてきた様式のことです。戦争は、この「文化」を一瞬にして崩壊させてしまいます。のみならず。それまで人と人をつなぐ役割を担ってきた文化が、凶悪にパロディ化されて戦争の宣伝に使われるようにもなります。そんなときに文化の担い手ができることはただ、「ロシアいちばんの脱走兵になった」と誇り、「僕は詩でしか闘わない」と表明したエセーニンのように。武器を捨て、文化の本来の役割を大切に抱えたまま、どこまでも逃げることだけです。
脱走兵といえば、ロシアの政治学者エカテリーナ・シュリマンは自身の政治番組でロシアの視聴者から質問を受けつけ、「この戦争が終わったあと、勲章を与えられた人は勲章を剥奪されたり、あるいは戦争犯罪を問われたり、公職につけなくなるなどの措置はとられるのでしょうか。逆に、脱走兵は賞賛されるのでしょうか。もしそうであれば、それをふまえたうえでに前線の兵士に脱走兵になるように呼びかけることはできないでしょうか」と訊かれたとき、「脱走兵の記念碑」に言及しています————「第二次大戦後のドイツを例に考えてみましょう。ほぼすべての成人男性が戦争に関与していた状態でしたから、全員に社会的な制限などの措置をすることはできません。よほど権限のある人間でない限り、そのような形での処罰は現実的ではありません。勲章のほうは授与されようと剥奪されようとたいした意味がありません。これに対し、脱走兵については、ドイツだけでなくナチスとなんらかの協力関係にあったヨーロッパ諸国には数多くの『脱走兵の記念碑』があります。国家主導の虐殺が行われている際、そこに加担する人は一人でも少なくなったほうがいいのは当然で、脱走兵は評価されて然るべきでし」(岩波書店『世界』二〇二四年三月号、エカテリーナ・シュリマン、拙訳「長引く戦時の質問集」より)。
世界の各地で戦争が続き武器が作られ輸出され、巨大な暴力は巨大な産業と結びついています。「戦争は戦場だけで起きているわけではない」ことを実感する機会が増えたかたも多いと思います。その凶悪さと巨大さ、そしてその社会で生きる自分もまたどこかでその構造に関与してしまっている現実を考えると、自分になにができるのかがわからなくなることや、絶望してしまいたくなることもあるかもしれません。それでもやはり、気づくことは気づかないことよりずっといいし、非戦のために自分ができることを考えるのは、それだけでもすでに意味のある、尊いことです。
どうかあきらめずに、なによりも大切な自分の内面世界を守りながら、一緒に逃げ続けてください。絶望してしまわないためには物語が必要です。脱走兵の讃美と、あたたかい思い出と、世界中の子供たちのぶんのクルミを抱えて逃げる決意をしてしまえば、どこかで同じように非戦を希求する仲間に必ず出会えます。
ではそろそろ、私も狸になって脱走を続けます。走りついたその先で、またお会いできるときを楽しみにしています。くれぐれも身心を大切に、お元気でいてきださいね。」
【もくじ】
クルミ世界の住人
秋をかぞえる
渡り鳥のうた
動員
ほんとうはあのとき……
猫にゆだねる
悲しみのゆくえ
土のなか
道を訊かれる
つながっていく
雨をながめて
君の顔だけ思いだせない
こうして夏が過ぎた
巣穴の会話
かわいいおばあちゃん
年の暮れ、冬のあけぼの
猫背の翼
あの町への切符
柏崎の狸になる
あとがき 文化は脱走する
【装幀】
名久井直子
【装画】
さかたきよこ
○奈倉有里
1982年、東京都生まれ。ロシア文学研究者、翻訳者。2008年、ロシア国立ゴーリキー文学大学を日本人として初めて卒業する。東京大学大学院修士課程を経て博士課程満期退学。博士(文学)。2022年、『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』(イースト・プレス)で第32回紫式部文学賞、『アレクサンドル・ブローク 詩学と生涯』(未知谷)などで第44回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)受賞。主な訳書に、ミハイル・シーシキン『手紙』(新潮クレスト・ブックス)、サーシャ・フィリペンコ『理不尽ゲーム』『赤い十字』(集英社)、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言 増補版』(岩波書店)ほか多数。近著に『ロシア文学の教室』(文春新書)。