見出し画像

近藤 ようこ(澁澤 龍彦 原著) 『高丘親王航海記 I 〜IV』/澁澤 龍彦『高丘親王航海記』/東雅夫 (編集)『幻想文学講義』

☆mediopos2643  2022.2.10

たしかに澁澤龍彦の遺作『高岳親王航海記』は
漫画化されるにふさわしい幻想奇譚かもしれない

近藤ようこはこれまでにも
夏目漱石の『夢十夜』や折口信夫の『死者の書』
津原泰水の『五色の舟』などを漫画化してきていて
それらの作品でもその表現は独特の力をもっていたが

『高岳親王航海記』は
もともと漫画的なところをもっているために
漫画化によりふさわしい作品のように思われる

漫画の第1巻の解説を担当している巖谷國士によれば
近藤ようこの漫画のスタイルは
「強調や誇張が少なく、淡々としている」
「細密な描きこみや過剰な装飾や、
飛び散る汗や、感情のどぎつい表現もない」
「花や星につつまれもしない」
「人物の表情や仕草はさりげなく、
内面をしつこく説明したりしない。
それでいてくっきりと読者の心にのこる」
と言っているが
まさにこの描き方が『高岳親王航海記』にはふさわしい

澁澤龍彦の『高岳親王航海記』は
1987年にほぼリアルタイムで読んでいた

読者としての読む力が足りないのもあっただろうが
当時澁澤龍彦を読み過ぎていて
少しばかり食傷気味だったことも関係したのか
そのときはあまり印象に残らなかったことを思い出す

そのときの印象の影響で
近藤ようこの『高岳親王航海記』も
読むか読まないかと迷っていたのだが
結局あらためて原作と漫画をあわせて読んでみることで
澁澤龍彦が澁澤龍彦であることや
(澁澤龍彦が当時声を失っていたこともあり)
これが遺作として書かれたことを
なるほどと感得することができた

澁澤龍彦の書くものは
どこかアナクロニズムや
「剽窃」とさえ言えるものに満ちていて
それが良くも悪しくも
澁澤龍彦が澁澤龍彦である所以なのだが

それは「何百冊、何千冊という下敷き」のなかから
澁澤龍彦にしかできない仕方で引き出し
作品を書きつづけたわけであり
巖谷國士のいうように
「そこに澁澤龍彦の存在意義がある、
大きさがあるとさえいえる」のだろう

しかもこれも巖谷國士が示唆しているように
澁澤龍彦が「思考の紋章学」の実践として
「花があればその観念を紋章化してしまいたい」
といっているのとは反対に

「彼が自称している、自分の書くことは
すべて観念的だという言葉は、じつは嘘っぱち」で
「じつは彼こそは、具体物というものの
パターン化されない、時空へとひろがってゆく
微妙な空気を伝えることのできた稀有の文章化」だった

たしかに澁澤龍彦の紡ぐイメージは
観念ではなく具体的なモノに満ちている

しかし具体的なモノといってもそこに生々しさは希薄で
それを観念的といっていたのかもしれないが
(観念とモノとのあいだに存在しているような)

『高岳親王航海記』の数々の奇譚も
観念ではなく具体的なモノを
そして具体的なモノでありながら
「強調や誇張が少なく、淡々と」
「さりげなく」描ていて
それが近藤ようこの画風に絶妙に合っているのだ

■澁澤 龍彦『高丘親王航海記』
 (文藝春秋 1987/10)
■近藤 ようこ(澁澤 龍彦 原著)
 『高丘親王航海記 I 〜IV』
 (ビームコミックス KADOKAWA  2020/9〜2021/10)
■東雅夫 (編集)『幻想文学講義:「幻想文学」インタビュー集成』
 (国書刊行会 2012/8)

(近藤 ようこ『高丘親王航海記 I』〜解説・巖谷國士「もうひとつの『高岳親王航海記』」より)

「澁澤龍彦の『高岳親王航海記』を近藤ようこさんが漫画化すると聞いて、あ、いな、やっぱりと思った。もともとすこし漫画的なところもあるこの小説を漫画にしたらどうだろう、と以前に想像したとき、まず彼女の名が頭にうかんでいたのである。
 理由のひとつはいうまでもない。近藤さんはこれまで近代日本文学の名作の漫画化をつぎつぎに手がけ、どれもみごとに成功しているからだ。夏目漱石の『夢十夜』や折口信夫の『死者の書』のような古典から、田中貢太郎の『蟇の血』や坂口安吾の『戦争と一人の女』や津原泰水の『五色の舟』のような異色作まで、それぞれ原作の内容を忠実に伝えながらも、独自の漫画作品に仕立ててきた。とくに太平洋戦争の時代を描く後二者など、コロナ危機にも重ねて読める現代性をふくんでいる。
 読書家の多い漫画家のなかでも、彼女は指おりの「文学読み」なのだろうと思う。大学で国文学や民俗学を学び、いまも文献や資料の渉猟をしている近藤さんには、研究者の一面もある。『高岳親王航海記』という一種の歴史小説の漫画化に必要な時代考証なども、彼女なら充分にできる。
 もうひとつ、このほうが肝心だが、漫画のスタイルがいい。描き方も組み立て方も、強調や誇張が少なく、淡々としている。よくある細密な描きこみや過剰な装飾や、飛び散る汗や、感情のどぎつい表現もない。花や星につつまれもしない。人物の表情や仕草はさりげなく、内面をしつこく説明したりしない。それでいてくっきりと読者の心にのこる。
 そういう漫画のスタイルこそが、じつは『高岳親王航海記』にふさわしいはずである。この小説では風景などの描写も淡泊で、感情や心理はほとんど表に出ない。人間関係のもつれも深まりもない。九世紀の貴人である主人公の心には「天竺」と「薬子」と「エクゾティシズム」がぎっしりつまっているだけで、近代人に特有の不安や苦悩などとも無縁である。
 どちらかといえば近代以前の説話やメルヘンに近い物語で、事実、どの部分も古今の説話・口承や古典文学を下敷きにしているのだが、語り口は細部の描写にこだわらず、あっさりしている。その点がじつは、淡々とした画風を保ちながら出典の考察までできる漫画化、近藤ようこさんにぴったりなのである。」

「原作にももともとすこし漫画的なところがある、と冒頭に書いたけれども、じつは澁澤龍彦の生前、まだ喉に「珠」あるいは癌の宿ったことを知らずにこの小説を連載しはじめていたころ、私はその点について彼と話したことがある。第一章はちょっと漫画みたいですね、と私がいうと、澁澤さんはふふふと笑い、
 「うん、それもあるんだ」
 と答えた。」

「澁澤龍彦は全七章に及ぶこの小説を三年にわたって連載したのだが、第五章まで書いたあとの一九八六年九月に喉の癌を発見され、すぐ声帯を切除されて声を失った。さらに大手術をうけて翌年に退院してから、最後の二つの章「真珠」「頻伽」を描きあげ、八月五日に五十九歳で亡くなった。
 私は十五歳年下だが二十四年間も交遊した友人なので、病室の彼を何度も見舞った。ふと思うのだが、当時すでにこの漫画が出はじめていたらどうだろう。きっと私は、少年親王と薬子と天竺の集うこの見開きページをあけ、澁澤さんに見せていたにちがいない。声をもたない彼はさっそく枕もとの紙に鉛筆で、
 「うん、これもいいね!」
 と記したのではないかと思う。ここにはおそらく漫画でしかつくりだせない、もうひとつの『高岳親王航海記』が芽ばえているからである。」

(『幻想文学講義』〜巖谷國士「アンソロジーとしての自我/澁澤達彦」(97.5.18)より)

「澁澤さんの晩年の本に『私のプリニウス』(一九八六年)というのがあります。連載途中で入院することになったために後半が尻切れトンボになっていると「あとがき」にも書かれてあるように、かならずしも完成度が高くはないし、わりと地味な本ですけれども、ここには澁澤さんの自画像みたいなものがふくまれていて、ひょっとすると鍵になる作品かもしれません。
 『私のプリニウス』は、その題名からして、いろいろな意味あいにとれるでしょう。「私の」といっているところに、澁澤さんの告白みたいな要素もありそうですね。最初からプリニウスへの愛を語っていますが、その愛というのが一種の悪口なんです。プリニウスの『博物誌』は嘘八百をならべているとか、でたらめが多いとか、いいかげんだとか、見てきたようなことを見ないで書いているとか・・・・・・そのなかで一箇所、近ごろ澁澤さん自身をめぐって話題になっている「剽窃」という言葉をめずらしく使っているところがある。ちょっと引用してみましょう。

  (※以下、引用)
  (・・・)
  独自の科学的な観察眼と私は書いたが、どうやらそういうものは薬にしたくも『博物学』のなかにはないと思ったほうがよさそうだ。あきれてしまうくらい、プリニウスは独創的たらんとする近代の通弊から免れているのであった。
 どうも私はプリニウスの法螺吹きである点や、剽窃家ないし翻案家である点を強調するあまり、彼の大著執筆にあたっての真面目な意図を無視しがちであるような気がするが、いずれは彼のすぐれた観察眼や洞察力を示す機会もあることと思う。
  (・・・)(※以上、引用終わり)

 (・・・)「剽窃家」という言葉が出てくる後半部を理解するために、ここでもういちど読みなおしてみないわけにはいきません。とにかくだいぶ変な文章ですね。澁澤さん好みの言葉でいうと、アナクロニズム、時代錯誤をふくむ文章、なぜならプリニウスは古代人ですから、「近代の通弊から免れている」(笑)なんていうのは変で、じつはむしろ、これは近代人である澁澤さん自身のことをいっているのではないか。澁澤さんはアナクロニズムを方法のひとつとしていた人ですから、こういうアナクロニズム的な文章を書くときに、無意識だということはまずなかったろうと考えられます。
(・・・)
 「独創的たらんとする近代の通弊」云々、これがアナクロニズムが彼にとって方法的なものだったというのは、晩年の小説などを読んだ多くの人が感じているはずで、僕も何度かその点を指摘したことがあります。
 たとえば『高岳親王航海記』(一九八七年)では、親王の骨が「プラスチックのように薄くて軽い骨だった」といっていたり、それから本来は時代的にも地域的にもいるはずのない大蟻食なんかが出できたり。そういうくだりが、彼の小説のなかでよく目につくんですね。
(・・・)
 アナクロニズムというのは、全然ちがう時代のものをもってきて笑いを誘うテクニックであると同時に、澁澤さんがいつもやっている、自分と自分の愛するものとのあいだの、いわば時をへだてた交流でもあるんですよ。
(・・・)
 澁澤さんというのは、その作品の多くに、じつは何百冊、何千冊と下敷きを使ってきた作家です。そのひとつひとつをとりあげて、どこそこが原本・種本とおなじだ、なんてことをやりはじめると、それこそ切りがなくなってしまうでしょう。
 この点で僕が「剽窃」という言葉を使いたくないのは、法律や道徳の臭いがするからなんで、(・・・)「剽窃」という言葉にはいつもそういう臭いがつきまとう。(・・・)
 何百冊、何千冊という下敷きを用いているということは、つまりそれなしにはこの作家の作品は成立しないということです。とすると。それ自体が澁澤龍彦のいわば「特異体質」なんですよ。これは彼の自我というものにかかわる特殊な事情で。ついでに日本の近代の問題が絡まって出て来る。そこに澁澤龍彦の存在意義がある、大きさがあるとさえいえるかもしれない。」

「『フローラ逍遙』の「あとがき。では、花なら花というものを論ずるときに、澁澤さんはそれを観念にしてしまいたい−−−−ということは、いわば「思考の紋章学」の実践なんで、花があればその観念を紋章化してしまいたいということです。その欲求のゆえにまず具体物から離れてしまうんだと。
 ところがあの本は、僕にはほとんど具体物との交流をくりかしているように見える。たとえばタンポポというものを彼は愛している。タンポポというのはどんな観念かといっても、あてはまる前例がほとんどありません。そういう場所でもあの本は書かれているように思えます。(・・・)なによりも特徴的なのは、あそこに描かれている花々が澁澤さんにとってだいたい身近な存在だということ。端的にいえば、鎌倉の花であり、関東の花であるわけです。
(・・・)
 それなのに「あとがき」のほうでは、(・・・)「書物のなかで出会ったフローラ、記憶のなかにゆらめくフローラが、現実のそれよりもさらに現実に感じられる」云々と書いている。だから不思議なんですね。『フローラ逍遙』の「あとがき」については、あの本の一面のみを説明しているにすぎません。そこに欠落している部分に、澁澤達彦の最後の位置が示されているのではないか。『高岳親王航海記』というのもじつはそういう部分をふくむ作品で、具体物があらわれようとしてまた消えてゆくような、あえかな、不思議な切なさがある。(・・・)
 つまり彼が自称している、自分の書くことはすべて観念的だという言葉は、じつは嘘っぱちなんです(笑)。プリニウスと同じように嘘っぱちをいっているわけで、じつは彼こそは、具体物というもののパターン化されない、時空へとひろがってゆく微妙な空気を伝えることのできた稀有の文章化だったんじゃないか、とさえ思う。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?