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松浦寿輝「遊歩遊心 連載第52回「虚無的になるんだよ」」/高橋睦郎「恋の人(追悼特集 岡井隆)」/岡井隆『わが告白』

☆mediopos3316  2023.12.16

岡井隆についての松浦寿輝のエッセイを読み
あらためて二〇二〇年に九十二歳で亡くなった
岡井隆という「途方もない「存在」の意味」について
問いかけてみることにした

松浦寿輝によれば
「岡井隆はたんなる「歌人」を超えた「存在」、
運動し変貌しつづける無類の「生き方」それ自体だった」

岡井隆には塚本邦雄や葛原妙子のような
「天才」歌人にあるような
「人口に膾炙した名歌というもの」がない

それは彼が「絶えず自作を蹴り捨てて
前へ前へと突き進んでゆく」歌人だったからだ

高橋睦郎による追悼エッセイにはこうある
「歌なるものを追い求め、
これではなかった、これでもなかったと、
対象を選んでは捨てていく。
それが岡井隆という人格であり、
生き方だったのではないか。」と

それは岡井隆の「恋」と同様で
「岡井隆は筋の通った恋の人。
恋の対象は女性なるものであり、歌なるもの。
対象は次々に変わるが、恋そのものは変わらない。」

その岡井隆が八十代の半ば頃
松浦寿輝にこんなことを言った

「年を取るとね、何か・・・・・・虚無的になるんだよ」

「老いの心理をめぐって
「虚無的」という言葉が出てきたのには、
少々不意を打たれ、長く心に残ることになった」という

年を経ることで
恋にも歌にも
かつてのような
「絶えず自作を蹴り捨てて
前へ前へと突き進んでゆく」ことに対して
「虚無的」になったのだろうか

岡井隆の二〇〇八年の詩集
『限られた時のための四十四の機会詩 他』の最初に
「死について」という詩が置かれ
その詩の最後の節(21)にはこうある

  ことばの死は喪志
  沙羅の木のしたの
  死の死

「これではなかった、これでもなかったと、
対象を選んでは捨てていく」
そんな岡井隆も
「ことばの死」を見据えはじめたのだろうか

ぼく自身もそれなりに年を経て気づいたのは
岡井隆の言うごとく
いまだジェロントロジー(老年学)なるものは
「不完全で、この長寿化の時代に対応しきれていない」
ということである
これは若い頃にはあまり意識されることがないことだ

たとえばルドルフ・シュタイナーは
人の成長について七年ごとの成長について語ったが
じぶんが六十四歳で亡くなったこともあるだろうように
七×九=六十三歳以降のことについては
とくに語られてはいなかったようだ

人間の構成要素は必ずしも
七年ごとに順序よく開かれていくわけではないが
九十二歳で亡くなった岡井隆にとっていえば
七×十三=九十一歳を超えていたことになり
そこには六十三歳以降を遙かに超えた八十代の半ば頃に
「虚無的」になるまでのプロセスがあったはずだ

ぼくもその歳になるまで生きたとしたら
「虚無的」になったりもするのだろうか
個人的にいえばどちらかといえば
幼少期から十代にかけてすでに「虚無的」だったこともあり
その後そうした傾向からは
ずいぶんと離れて生きるようにはなっているのだが・・・

そうしたありようは人それぞれだろうが
生きるということは謎に満ちていて
じっさいに生きて見なければわからない
面白いといえばずいぶんと面白い

■松浦寿輝「遊歩遊心 連載第52回「虚無的になるんだよ」」
 (文學界 2024年1月号)
■高橋睦郎「恋の人(追悼特集 岡井隆)」
 (現代詩手帖 2020年10月号)
■岡井隆『わが告白』(新潮社 2011/12)

(松浦寿輝「遊歩遊心 連載第52回「虚無的になるんだよ」」より)

「「年を取るとね、何か・・・・・・虚無的になるんだよ」と、鞄から取り出したカツサンドを頬張りながら岡井隆が言った。
(・・・)
 二〇二〇年に享年九十二で亡くなった岡井さんは、当時は八十代の半ば頃だったはずだ。ジェロントロジー(老年学)はまだ丸っきり不完全で、この長寿化の時代に対応しきれていないんだよとも彼は言った。身体の生理に関してだって実はまだほとんどデータがないし、ましてや老いという現象の心理的側面なんてものは、人類にとって完全に未知の領域なんだと。もともとお医者さんだった彼のするそんな話には説得力があった。
 だがその老いの心理をめぐって「虚無的」という言葉が出てきたのには、少々不意を打たれ、長く心に残ることになった。ニヒリズムか・・・・・・そう言えば帝政期ロシアに「虚無党」と呼ばれるテロリスト集団がいたな、明治期の政治小説の題材になったりしているが・・・・・・などと、あらぬ方に思いが逸れてゆく。
 つい最近、遅ればせに彼の『わが告白』(新潮社、二〇一一年)を読み、岡井隆というこの途方もない「存在」の意味を、まだ誰も究明し尽くしてはいないのではないか、と改めて痛感した。歌壇の情勢にもそこで何が論じられているかにも疎いので、素人の蛮勇を奮ってあえて乱暴なことを言わせてもらうが、塚本邦雄、葛原妙子とは「何」だったのか、天才歌人だった、以上終わり、である。塚本や葛原の代表詠はと問われれば、すでに評価の定まった絶唱が、数百ないし十数首、すぐさま口をついて出てくるだろう。
 ところが、それほどまでに人口に膾炙した名歌というものが岡井隆にはない。力強い謳いぶりの、艶やかな歌、激しい歌、精妙な歌の数々が、彼の遺した数多の歌集のうちには目白押しになっている。にもかかわらず、岡井印がくっきりと刻された極めつきのこの一種といったものが彼にはない。それは彼が、永遠に残る美しい言葉の結晶体を精練することではなく、自身の生の今この一瞬の輝きを三十一文字に凝縮させることに賭けてきた歌人だからだ。一瞬一瞬はすぐ過去と化してゆくから、彼は絶えず自作を蹴り捨てて前へ前へと突き進んでゆく。岡井隆はたんなる「歌人」を超えた「存在」、運動し変貌しつづける無類の「生き方」それ自体だった。
『わが告白』はその「存在」の特異な様態がまざまざと感得される一書だった。巷間有名な「二度の離婚」や「五年間の失踪」の「真相」を告白している私小説なのかと思いきや、さにあらず、日記、対話、散文詩、手紙、ルソーやスタンダールを引きながらの告白論など、様々なスタイルの断章をパッチワークし、想起の衝動とそれへの抵抗とのせめぎ合いのような心の葛藤を延々と語り続ける、これは一種異様なテクストだ。彼のような「存在」にして初めて遂行可能な、高度に文学的な思考実験の書とでも言うべきか。」

(高橋睦郎「恋の人(追悼特集 岡井隆)」より)

「あれはいつのことだったか、岡井さんと次のような会話を交わしたことがある。
————何度結婚なさったんですか。
————五回です。
————お子さんは?
————五人です。でも、みんな成人しましたから、もう扶養義務はないと思うんだ。
————立ち入ったことを伺いますが、新しいお相手とお暮らしになるよういなって、前のお相手のことをふっと思い出されることはないのですか。
————それがね、高橋さん、私は新しい女性と付き合い出すと、以前の女性のことはまるで思い出さないのですよ。
 私は岡井さんのこの答に驚嘆するとともに、かつて田井安曇さんの出版記念会での田井さんの挨拶の中の「岡井さんの分かれたお相手は例外なく、岡井さんがいつかは自分の許に帰ってくると信じている」という発現を思い出していた。その折りも私は驚嘆して、そんなことがありうるのかと脇の人に呟くと、その人は訳知り顔に、「なんでも岡井さんは別れる折には、持っている財産を一切お相手に渡して無一文で出てくるのだろうだよ」と言い、妙に納得したものだった。
 以上は男女のことに属するが、岡井さんの生き方全般にも当て嵌まりそうだ。岡井さんが宮中歌会始選者に決まった折、かつての左翼的言動からの変節だとの非難の集中攻撃を受けたが、岡井さんには痛くも痒くもなかったろう。また、一身上の都合でいったん離れた結社「未来」の編集の中心に戻り、自分が離れた後の中心にあって苦闘した田井安曇さんを追う結果になったのも、自分の師である「未来」の創設者である近藤芳美さんに結社改革案を出し、編集人になり、ついには発行人になった経過を結社内クー・デタのように言われるのおも、かつて前衛短歌運動の行動を共にした塚本邦雄さんの作品を痛烈に批判したことを裏切りのように言われるのも、ご当人としてはむしろ不審だったかもしれない。
 私をして言わしめるならば、岡井隆は筋の通った恋の人。恋の対象は女性なるものであり、歌なるもの。対象は次々に変わるが、恋そのものは変わらない。変わらない恋が女性なるもの、歌なるものを追い求め、これではなかった、これでもなかったと、対象を選んでは捨てていく。それが岡井隆という人格であり、生き方だったのではないか。そんな、ある意味では誰もがしたくて出来ない生きかたが出来たのは、岡井にその力があったからだというほかはない、そういう彼の生き方への非難はそうしたくてもその能力のない者の遠吠えといえなくもない。
 岡井隆の恋と歌の一致点という立ち位置は、意外にも他の誰よりわが国詩歌の伝統の中心にあったともいえる。典型を捜すなら、現実の誰彼よりはフィクションとしての光源氏だ。『源氏物語』に描かれた光源氏は単なる軟弱な女蕩らしではない。恋の実現のためには友や兄を出し抜き、父さえも裏切る。息子や甥をさえ許さない。しかも、冷徹な政略的才にも欠けるところがない。岡井の塚本批判は友または兄への出し抜き、近藤へのクー・デタは父への裏切り、さらにいえば父親殺しといえるかもしれない。岡井が弟子たちに対して必ずしも優しくなかったのは巷間ひそかに囁かれるところだ。そのぶん、遠い者にはかえって優しかった。かく言う私なども、遠いということで優しくされたひとりかもしれない。反前衛的立場の玉城徹の尊重にも同じことが言えよう。」

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