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古川 不可知『「シェルパ」と道の人類学』

☆mediopos2784  2022.7.2

白川静によれば
「道」という漢字は
首を手に持って行くということであり

「古い時代には、他の氏族のいる土地は、
その氏族の霊や邪霊がいて災いをもたらすと考えられたので、
異族の人の首を手に持ち、その呪力で邪霊を祓い清めて進んだ。
その祓い清めて進むことを導といい、
祓い清められたところを道といい、“みち” の意味に用いる」
のだという(常用字解)

「道」は他の地域の人々や共同体とむすび
「その上を歩くことによって
世界各地に多様な文化や社会を創り出してきた」が

その「道」は決して自明のものではないことは
首を手に持って行くことが示しているように
常に他の土地との関係性をつくりだしながら
そのことでみずからをも変えていくものだということができる

変えるのは人と人の間だけではない
「われわれは世界のうちで無数の人やモノや事物と
対等な関係のなかで生を営んでおり」
「われわれが一歩を踏み出すとき、
自己の身体は他者の身体やモノや概念からなる
環境中の諸要素とそのつど一回的な関係を取り結び、
道のアレンジメントの一部となる」のである

「世界を歩むとき、自己は道であり、道は自己である」

高村光太郎の詩のごとく
「僕の前に道はない
僕の後ろに道はできる」

世界を歩むということは
前にある道を辿ることではない
みずからが道となることだ

そうしてみずからを変え世界を変え
そこにさまざまなものが創られてゆく
もちろんそのことでまた同時に
さまざまなものは失われてゆきもする

老子は「道(タオ)」を説いた
その「道」が語りうるものでも
名づけうるものでもないのは
みずからが道となるものだからだろう
みずからと道は一なるものである

私が歩くと
それが道になる
道を歩むことは
みずからを変え
世界を変えるプロセスそのものである

良き道となることもあれば
悪しき道となることもあるだろうが
歩まなければ道はできない

■古川 不可知『「シェルパ」と道の人類学』
 (亜紀書房 2020/2)

(「第1章 道・歩くこと・環境」より)

「道は人類にとって原初の構築物のひとつである。道は離れた場所にある資源へのアクセスを確立し、人々や共同体のあいだにつながりを生み出す。(…)

 さらに道と人類の歴史とは不可分の関係にある。道は社会を発展させるとともに社会は道を発展させ、われわれにとって自明な世界を形成してきた。これは必ずしも誇張した表現ではなく、たちえば現代の道路の上下には実際にその空間を利用して上下水・電力・ガスや情報通信の経路が敷設され、日々の生活を支えている。道はわれわれの生活そのものの存立と不可分であり、密接に絡みあいながら相互に展開してゆく。道を問うことはわれわれの生の基盤を問うことであり。移動という日常的な実践を通して、世界のあり方が構成されてゆく過程を捉えることなのである。

 人類学が描き出してきた人々の実践もまた、その多くは道の上でなされたものだ。「〔贈与交換のために〕安心して移動するためには、少なくとも道路か道筋、もしくは海か湖が必要」(モース)である。そして道がなければ、そもそも人類学者は調査をおこなうことができない。

(…)

 人々は環境中に道を作り出し、その上を歩くことによって世界各地に多様な文化や社会を創り出してきた。現在もわれわれは、高速道路にせよ横断歩道にせよ種々の道を移動することで生を営み続けている。道について思考するとは、人類学という実践の根底の部分に光を当てると同時に、われわれが日々を生きるこの世界の基盤を問い直すことなのである。」

「歩行と道とは不即不離の関係にある。だが道が近代性と結びつく一方、歩くことは良くも悪くも反近代的な実践とみなされてきたことから、二つのトピックが重ね合わされることはさほど多くなかった。(…)

 歩くことを初めて人類学的な議論の俎上へ載せたのはマルセル・モースであった。(…)

 またブルデューが指摘していたのは、歩行は文化によって規定されるのみならず、歩行が文化的傾向性を作り出してゆくことであった。(…)

 歩行を通して人間は道を作り、周囲を探索するとともにその空間を作り変えてゆく。そしてその記録や記憶がまた新たな道を生み出すのである。」

「道は異質な他者と出会う場である(…)。その一方で、ともに道を歩くことは他者とのあいだにつながりを生み出すことである(…)。

 場所を歩き巡ることはまた、集団の記憶や歴史を想起することである。そして歩行を通して知るのは、知識として知っている savoir ことを、身をもって知る connaire ことであり、それは単に過去を詳しく知るにとどまらず、集団の未来について確信を抱くことでもある。あるいは逆に、移動と道の記憶が集団に深く染み付いている場合もある。」

「自己と周囲の区別がつかない生まれたての子供は、やがて周囲を探索することによって自他や事物の境界を策定し、対象が提供する意味への注意の向け方を身につけてゆく。このとき、注意の向け方が共同体によって異なれば、必然的にその対象のあり方は異なることになろう。「日本人」や「ネパール人」は、本当は trail やpath であったり、あるいは training や religion であったりするものを誤って「道」と認識しているのではなく、それらは同様の身体経験と意味をもたらす固有の「道」として存在している。」

「道とは過去からの継起にある現在において選択可能な範囲の未来に立ち現れる。そして道は自己の身体と地面のみならず、他者も含めた環境中の諸物のアレンジメントであって、道は移動する身体に応じてそのつど別様に立ち現れる。」

(「終章」より)

「本書では一貫して事物の存在が関係的であることを主張し、自己の身体を含み込んだ環境中の諸要素がそのつど偶然的に取り持つ関係をアレンジメントと呼んだ。(…)

 ポーターたちは重い荷物を頭に担いで前傾姿勢を取り、トレッキング客にとっては直線の登り道をつづら折りの道として歩く。高峰に登る「シェルパ」たちは装飾で身体を拡張し、外部者には垂直の壁にしか見えない氷瀑に「道」を見出してゆく。

(…)

 歩くとは社会的な行為である。注意すべきは、インゴルドの主張によれば社会とは人間のあいだの関係だけではないことだ。
われわれは世界のうちで無数の人やモノや事物と対等な関係のなかで生を営んでおり、人間社会とはそのうちの一部を恣意的に切り出したものに過ぎない。そしてわれわれが一歩を踏み出すとき、自己の身体は他者の身体やモノや概念からなる環境中の諸要素とそのつど一回的な関係を取り結び、道のアレンジメントの一部となる。世界を歩むとき、自己は道であり、道は自己である。」

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