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『前川佐美雄歌集』/『デカルト』/中西進『狂の精神史』/白川静『文字遊心』

☆mediopos3269  2023.10.30

前川佐美雄の生誕120年
(1903年/明治36年生まれ)
ということで書肆侃侃房から
三枝昻之編による『前川佐美雄歌集』が刊行されている

前川佐美雄は塚本邦雄や山中智恵子の師でもあり
「現代短歌の発端」に位置している

その表現は

 丸き家三角の家などの入りまじる
      むちやくちやの世が今に來るべし

のように定型的な文語の凝縮力を使いながら
「むちやくちやの世が」を「今に來るべし」と
現代語的文語で受けているように
「口語志向の文語定型」であって
俵万智『サラダ記念日』の特徴である
「文語と口語のミックス表現」を先取りしている

最近になってようやく塚本邦雄をきっかけに
その周辺から短歌を読み始めたこともあり
前川佐美雄を読むようになったが

今回の歌集で
とくに最初期1930(昭和5)年
二十七歳のとき刊行された
第一歌集『植物祭』(完本)をまとめて読み
その粗削りではあるが若々しい表現に驚かされた

『前川佐美雄歌集』には「栞」が附いていて
そのなかの菅原百合絵「野をゆく人の省察」に

「前川佐美雄のモダニズムを代表する歌集は、
どこかデカルトの方法的懐疑を思わせる」とある

デカルト的二元論というのは昨今旗色が悪いが
「己をとりまく世界の自明性を一切否定する」
という「方法的懐疑」は
現代人にとって欠かすことのできない認識のひとつである

とはいえその思考に
「一抹の狂気を感じ取らずにいるのは難しい」

 なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかと
       きちがひのやうに室を見まわす
 ひじようなる白痴の僕は
       自轉車屋にかうもり傘を修繕にやる

この『植物祭』を代表する有名な歌に見られるように
「シュールレアリスム的な遊戯性をたたえながらも、
「正気」の世界の自明性を一度括弧に入れ、
正気と狂気の境界線を攪乱することで
世界の見方を更新しようとする、意志的で強靱な努力」が
そこにはある

『植物祭』の刊行された時代は
昭和四年に出た中原中也や大岡昇平たちの同人誌が
「白痴群」だったように
〈きちがひ〉〈白痴〉といった狂気に近接した言葉は
「旧芸術を打破するためのキーワードの一つ」でもあり

前川佐美雄の最初期の表現においては
ロートレアモンの『マルドロールの歌』や
マリネッティの「未来派宣言書」
いうまでもなく新感覚派やダダイズム・シュールレアリスム
といった昭和初期の潮流が積極的に取り入られている

さてそうした前川佐美雄の
短歌の世界にみられるような「狂」だが

白川静によれば
「狂はロゴス的な世界のなかで、
理性の否定者としてあらわれる。
しかもそれは理性に内在する、内なるものである。
この理性への反逆者は、「これを裁する」ことによって、
はじめて理性を支えるものとなり、理性の一つの形態となる」
という

まさにデカルト的な理性への「狂」と通じている

逆説的にいえばそうした「狂」を経ない理性は
むしろ「現実」や「常識」とされるもののなかに
無条件に特権化されたものとなってしまいかねない

「狂」はつねに「そういうものだ」とされ
疑われることのなくなった世界に否を突きつける

「白痴」もまさに囲い込まれた知性への
アンチテーゼでもあるだろう

すでに百年ほど前となった
「旧芸術を打破するためのキーワード」である
「狂」や「白痴」は
現代にこそあらためて見直される必要性があるようだ

現代にむしろ支配的になっている
理性や道徳とされているものこそが
逆説的なかたちで
破壊的でしかも管理的な
信じられないほどの愚かさを露呈しているなか
それらを根底から懐疑し
対峙する意味での「狂」が求められているのではないか

■『前川佐美雄歌集』(三枝昻之編 書肆侃侃房 2023/8)
■『デカルト』(中央公論社1978/8)
■中西進『狂の精神史』(講談社 昭和五三年七月)
■白川静『文字遊心』(平凡社ライブラリー1996/11)

(『前川佐美雄歌集』〜「植物祭」より)

「かなしみを締めあげることに人間のちからを盡して夜もねむれず
 床の間に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いて見てゐし
 われもまた隠者(ハミツト)となりて山に入り木に蜥蜴を彫りて死ぬべし
 なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まわす
 丸き家三角の家などの入りまじるむちやくちやの世が今に來るべし
 いますぐに君はこの街に放火せよその焔(ひ)の何んとうつくしからむ
 ひじようなる白痴の僕は自轉車屋にかうもり傘を修繕にやる
 眠られぬ夜半のおもへば地下ふかく眠りゐる蛇のすがたも見ゆる
 おもほへば何やらわからざるまぎらはしさに生くるこのごろ
 死をねがふ我をあざける友のこゑ聞きたくなりてききに行くあはれ
 行く處まで行かねばわかぬわが心行きつく果のあらばまたあはれ
 押入の暗がりにでも入りてをらざればとてもたまらじと思ふ事あり
 われの手に殺されかけてる青虫をたたみに置いてなみだはあふる
 鏡のそこに罅が入るほど鏡にむかひこのわが顔よ笑はしてみたし
 この道のゆきつくはてまで行つて見ろ花呉れる家でもあるかも知れぬ 
 いますぐに君はこの街に放火せよその焔の何んとうつくしからむ

(『前川佐美雄歌集』〜「大和」より)

「何故かかう變に明るい草のなかを靜かに行くぞ獨り歩きなれ
 野いばらの咲き匂ふ土のまがなしく生きものは皆そこを動くな
 あかあかと硝子戸照らす夕べなり鋭きものはいのちあぶなし
 ひえびえと畑の水仙青ければ怒りに燃ゆる身を投げかけぬ
 紅葉はかぎり知られず散り來ればわがおもひ梢のごとく繊しも
 春がすみいよよ濃くなる眞晝間のなにも見えねば大和と思へ」

(『前川佐美雄歌集』〜三枝昻之「解説/(三)『植物祭』の世界」より)

「昭和五年七月十日、これが佐美雄の第一歌集『植物祭』の発行日である。古賀春江が描いた奇妙な植物の挿画はとびっきり斬新で、この歌集にかけて佐美雄の意気込みをよく反映してもいる。
  かなしみを締めあげることに人間のちからを盡して夜もねむれず 「夜道の濡れ」
 歌集巻頭歌である。かなしみで夜も眠れない。歌はそう言っていて、情緒的な主題だが、〈かなしみをこらえる〉あるいは〈かなしみを乗り越える〉といった表現ではなく、〈かなしみを締めあげる〉を選んだところに表現上の斬新さを求める姿勢が表れている。
  床の間に祭られてあるわが首をうつつならねば泣いて見てゐし (同)
 自分の首が床の間に祭られていて、それを首なし男が泣きながら見ている図である。「うつつならねば」と断りをいれて、そんな奇妙な夢を見たとも読める。しかし〈首なし男が自分の首を見る〉という構図にはシュールな自己客体化の視線があり、近代写実からの明確な逸脱である。
  なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まわす(「四角い室」)
  丸き家三角の家などの入りまじるむちやくちやの世が今に來るべし (同)
 まぜ部屋は四角でなければならないのか。現実に対する違和感が部屋の形への違和感を通して詠われていて、二首目ではそれが世間的な規範全体への否定に広がっている。
  いますぐに君はこの街に放火せよその焔(ひ)の何んとうつくしからむ
 現実への否定感情が破壊感情へと高揚している。プロレタリア歌人前川佐美雄の政治主義的な破壊感情が詩の読み応えを伴った美的な破壊に変奏された作品と詠むこともできる。
  ひじようなる白痴の僕は自轉車屋にかうもり傘を修繕にやる(「白痴」)
 傘は傘やに出さなければ白痴の僕は修繕してもらえない。その自明を僕はやらない。なぜか。世間的な常識を否定するためだ。そのために白痴になる。白痴になれば日常的規範すべてから解放されて自由な新鮮さになれる、と歌は主張している。そこには旧来の芸術は劇的に変える必要があるという意識がある。『植物祭』を特徴付けるキーワードは〈きちがひ〉〈白痴〉である。〈白痴〉は時代の有力なキーワードでもあって、昭和四年に出た中原中也や大岡昇平たちの同人誌が「白痴群」だった。当時の新しい芸術運動を担おうとする青年たちにとって、〈白痴〉は旧芸術を打破するためのキーワードの一つだった。
 こうもり傘を自転車屋に出す歌にはロートレアモン『マルドロールの歌』が連想されるし、「君はこの街に放火せよ」には神原泰訳マリネッティ「未来派宣言書」が張り付いている。『植物祭』の作品群は小説における新感覚派、詩におけるダダイズムやシュールレアリスムの摂取が可能にした世界であり、成果でもある。そこにそこに昭和初期の潮流に果敢に分け入った佐美雄の面目がある。」

「〈口語志向の文語定型派〉という奇妙な場所を佐美雄は選んだ。
  丸き家三角の家などの入りまじるむちやくちやの世が今に來るべし
  ひじようなる白痴の僕は自轉車屋にかうもり傘を修繕にやる
 「むちやくちやの世が」と言って「今に來るべし」と現代語的文語で受ける。そして「白痴の僕」を「ひじようなる」と形容する。ここには文語の凝縮力が定型表現には必要という判断がある。当時の少数派だったその選択にこそ『植物祭』の特色があり、昭和末期に一大ブームを起こした俵万智『サラダ記念日』の特徴の一つが文語と口語のミックス表現だったことを思い出すと、『植物祭』はその先駆的なトライだったことがわかる。」

(『前川佐美雄歌集』〜栞 菅原百合絵「野をゆく人の省察」より)

「一六一九年、冬。ドナウ河畔のとある街で思索に耽る若者がいた。部屋に閉じこもった彼は、自らに知識の確実な基礎を与えようと、まずはすべてを疑うことから始める。感覚からもたらされるものは不確かだから、われわれが見たり感じたりしていることは何ひとつあてにならない。部屋着を着て、暖炉の前で紙片に向き合っているという現実も夢の産物かもしれない。2たす3は5といった単純で基礎的な事柄は疑いえないように見えるが、しかしそれさえ確実ではない。神や悪霊がわたしを欺き、本当は真理でないことを真理だと思わせているかもしれないからだ————。
 『植物祭』や『大和』といった前川佐美雄のモダニズムを代表する歌集は、どこかデカルトの方法的懐疑を思わせる。絶対確実な真理を探究するデカルトは、己をとりまく世界の自明性を一切否定する。自分を騙す悪霊の存在まで想定するその思考に、一抹の狂気を感じ取らずにいるのは難しい。しかし、それは理性を極限まで磨きあげるなかで必然的に生まれてくる狂気である。

 なにゆゑに室(へや)は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まわす 『植物祭』
 ひじようなる白痴の僕は自轉車屋にかうもり傘を修繕にやる

 いずれも『植物祭』を代表する有名な歌だが、「きちがひ」や「白痴」という語は、逆説的に彼の「正気」を証立てている。狂気のさなかにいる者は、己の思考が狂気に浸されていることに気づけないからである(『形而上学的省察』でデカルトが例に挙げる、自分を壺だと思いこむ狂者のように)。なぜ部屋は四角に区切られているのか。なぜ傘の修繕を自転車屋の頼んではならないのか。こうした問いは、シュールレアリスム的な遊戯性をたたえながらも、「正気」の世界の自明性を一度括弧に入れ、正気と狂気の境界線を攪乱することで世界の見方を更新しようとする、意志的で強靱な努力の産物だと言えよう。」

「正気を狂気に隣接するまでに研ぎ澄まさずにはいない歌人のひたむきさは、戦時中にはいたましいほど翼賛的な作品を生み出しもした。しかし、その時々の時流を超えて、彼の歌業に一貫して流れているのは、「人間の歴史の最初」から人を、そして「われ」を捉えて離さない根源的な不安であり孤独であるだろう。それゆえに「哀しみは勿論のこと、よろこびの歌にしてさへ、底に涙の湛へられてゐないようなものは仕方ない」(『日本し美し』後記)のである。」

(『デカルト』〜「省察一/疑いをさしはさみうるものについてより)

「すでに何年も前に、私はこう気づいていた————まだ年少のころに私は、どれほど多くの偽であるものを、真であるとして受け入れてきたことか、また、その後、私がそれらのうえに築きあげてきたものは、どれもみな、なんと疑わしいものであるか。したがって、もし私が学問においていつか堅固でゆるぎないものをうちたてようと欲するなら、一生に一度は、すべてを根こそぎくつがえし、最初の土台から新たにはじめなくてはならないと。」

(中西進『狂の精神史』〜「物狂」より)

「『閑吟集』からややさかのぼった十四世紀以降、古典芸能史に大きな画期を作った謡曲の中には「狂女物」とよばれる一群の作品があり、「物狂(ものぐるい)」と称せられるその所作は、重要な要素をなしている。一体に、能を申楽といい。これを演ずることを「狂言する」(たとえば『拾玉得花』)と表現し、能の間狂言が「狂言」として独立の型式を備えた劇として上演されるに到ることも、周知の事実である。能という演劇、謡曲というその台本は、あまりにも〈狂〉にかかわりすぎている。その上「遊狂」という類別も行われ(『三道』)、一部の能を修羅物とよび、「風流」ということがらも能の上に重要な特色となっている。まるで、これまで問題にしてきた〈狂〉にかかわらるすべてが、この中に投げ込まれているような気がする。
 これはただならぬことではないか。狂のドラマが能だということは。なかんずく狂女物と呼ばれる謡曲、たとえば著名な「隅田川」では、

   面白う狂うて見せよ、狂うて見せずばこの舟には乗せまじいぞとよ。

 という科白が発せられる。」

「異様なまでに〈狂〉に執着し、華麗に〈狂〉を演ずるという能楽の異例さは、一面からいえば〈狂〉を正常の中に見てしまったという哀しみにみちてはいるけれども、反面、その悲しみによって〈狂〉は可視のものになった。それでいて、これを「申楽事とは是なり」といった。冒頭に引いた世阿弥のことばは、それなりに深くしみ込んでくる。七十歳に近く、不遇な晩年に出会わなければならなかった世阿弥が思い描いた、申楽という第二の現実世界は、より真実の念に支えられていたといえる。所詮、現実に真実はないのである。先に「舞台の秩序」といった内容も、それであった。正しく配列し直し置き換えて作り出された精神の構図が、こうした〈狂〉の位置づけを与えたのだと思われる。申楽へのしたたかな矜持と、現実の仮象への激しい否定が、このことばにはこもっている。」

(白川静『文字遊心』〜「狂字論」より)

「狂はロゴス的な世界のなかで、理性の否定者としてあらわれる。しかもそれは理性に内在する、内なるものである。この理性への反逆者は、「これを裁する」ことによって、はじめて理性を支えるものとなり、理性の一つの形態となる。もし「これを裁する所以」を知らなければ、狂とは空想的な同一化にすぎないものとなろう。(・・・)孔子がそのような空想的な理想主義者でないことは、その晩年の最も重要な時期に、十四年にも及ぶ亡命の生活を、漂泊のうちに過ごしていることからも知られよう。
 孔子はしばしば「命なるかな」「これ命なり」のように、天命のことにふれている。命とは運命の意ではなく、むしろ絶対者というほどの意であろう。孔子が病んで臥したとき、弟子たちがあわてて祈祷師などを立てようとすると、孔子はそれを制して許さなかった。
  丘の禱ること久し。〔論語、述而〕
「わたしはいつも祈っているのだ」というのが、その制止のことばであった。それは特定の対象を定めることのない、天への祈りであろう。そのような絶対者に対するとき、理性はその合目的的性を獲得して、ロゴスとなる。孔子のいう道は、おそらくそれに近いものであろう。孔子はその道を求めて、一生を過ごした。」

「中国の人ほど狂の語を愛した民族は、他にないように思う。ヨーロッパでは、狂といえば監獄と魔女審問とが連想されるし、わが国では能における怨霊や狂女の姿が連想される。しかし中国ではそうではない。一般からは「われ狂としてこれを信ぜざるなり」(〔荘子、逍遙遊篇〕)といわれるようなものこそ、真に存在するものであり。大機大用を発揮するものである。正常とされるものの平凡さとひ弱さに対して、それは形相の異常のうちに、強烈な意志と、破壊的な論理をもち、新しい創造への行動力にみちた、ある不合理なるものを意味した。そしてそれが常に新しい思想を生み、文学を生み、芸術を生んだ。伝統の圧力が強ければ強いほど、その比重の大きさに比例して反撥する。あるいはむしろ、伝統はそのような反作用を招くためにあるのかも知れない。」

○前川佐美雄(まえかわ・さみお)
1903(明治36)年奈良県忍海村に代々農林業を営む前川家長男として生まれる。1921年、「心の花」に入会、佐佐木信綱に師事。22年、上京し東洋大学東洋文学科に入学、「心の花」の新井洸、木下利玄、石榑茂から刺激を受け、同年9月の二科展で古賀春江の作品に感銘、関心をモダニズムに広げる。30年に歌集『植物祭』刊行、モダニズム短歌の代表的な存在となる。33年奈良に帰郷、翌年「日本歌人」創刊、モダニズムを大和の歴史風土に根づかせた独行的世界を確立。占領期には戦争歌人の一人として糾弾されたが、『捜神』の乱調含みの美意識が評価され、門下の塚本邦雄、前登志夫、山中智恵子等が活躍、島津忠夫が現代短歌の発端を『植物祭』と見るなど、現代短歌の源流とされる。迢空賞受賞『白木黒木』からの佐美雄の老いの歌は人生的な詠嘆を薄めた融通無碍の世界である。1970年に奈良を離れて神奈川県茅ヶ崎に移り、1990年87歳で死去。

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