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保苅 瑞穂『ポール・ヴァレリーの遺言/わたしたちはどんな時代を生きているのか?』

☆mediopos2805  2022.7.23

若き頃パリに留学し
四十年ぶりにパリに戻り
二〇二一年七月に
その地で亡くなったフランス文学者
保苅瑞穂の没後に編集された随想集
『ポール・ヴァレリーの遺言』

堀江敏幸はこの書についてこう語っている
「二度の戦乱を生き、精神の危機を見すえていた
詩人の声に耳を傾けながら、
著者はそこに諦念ではなく希望を上塗りして、
二十一世紀に生きる人間への信頼を
言葉で回復しようとつとめた。
稀有なユマニストの思索の跡がここにある。」

フランスの精神はユマニストが体現しているのだろうが
おそらくそれぞれの国にはそれぞれの国の精神が存在している
そしてそのほんらいの姿を体現する人物や言葉もまた現れる

それなりにじぶんでも年を重ねてくるにつれて
そうしたさまざまな精神のことを知りたい
そう思うようになった

それはただのきれいごとを並べたようなそれではなく
以下に引用したなかにあるように
「その昔モンテーニュが言ったことだが、
人間性のなかには悪も残虐も狂気も宿っている。
大量破壊兵器も、強制収容所も、テロリズムもそこから生まれた。
しかし勇気もまた宿っていて、それが逆境のなかで目を覚ます。」
そんな精神のことである

バタクランという劇場がテロリストに襲撃され
多くの犠牲者を出した事件があり
そのなかで妻を殺されたジャーナリストの手記が紹介されている

妻を殺したテロリストに向けて
「きみたちは私の怒りを買うことはないだろう」という
ジャーナリストの言葉は激しく胸を打つ

ヴァレリーはかつて
「すべてのフランス人は、自分は人間であると感じています」
フランスにおいては「人間(ユマ)主義(ニスム)」が
真の伝統となりえているその土壌について指摘しているというが
先のジャーナリストの勇気もまたそのひとつだろう

フランスのそんなユマニスムのように
それぞれの国や民族には
そこに体現される精神が存在しているように
日本にもまた日本の精神が存在しているはずだ

「日本精神」というと顔を顰めるひともいるだろうが
それを特定の偏ったイメージでとらえることは
その人の深みに生きている精神をも損ってしまうことになる
偏ったイメージからは距離をとりながら
フランスのジャーナリストの勇気のように
だれでもがその魂の深みで持っているはずの
闇のなかからこそ目を覚ますであろう「精神」のことを
ときおりはどこかで感じる必要があるように思える

本書の著者・保苅瑞穂もこう語っているように
「もし仮に日本的精神というものが存在するならば、
その由来と特質とは何だろうか。
日本人の知性と感性はどんな性質のものなのだろう。
そして私たちが身うちに宿すそうした内的な資質が築いた
日本の文化とはいったいどんな種類の文化なのか。
日本を愛する一人としてその答えを切望せずにはいられない。」

■保苅 瑞穂
 『ポール・ヴァレリーの遺言/わたしたちはどんな時代を生きているのか?』
 (集英社 2022/7)

(「3 パリは沈まない——戦争、レジスタンス、そしてテロ事件」より)

「パリが、ナチス・ドイツに対するレジスタンス運動を経て解放されてから七十数年がたった。
 わたしは思い出す。二〇一五年の凍てつくような冬のことであった。
 その日、シャルリ・エブドという風刺新聞を発行する新聞社がテロリストの襲撃を受けて数名の編集者たちが虐殺された。
 衝撃がパリ中を走り、フランス全土に広がった。テロリストは直後に射殺されたが、テロは新聞がイスラム教を風刺し侮辱したことを口実にあげて行われたのだと伝えられた。フランスは、フランス大革命以来、精神の自由とともに言論の自由をもっとも尊ぶ国の一つである。その自由が踏みにじられたのだ。
 翌日、パリで大規模なデモ行進が行われた。」

「次いで、おなじ二〇一五年十一月十三日のことである。バタクランという劇場が武装した数名のテロリストに襲撃され、八十九名もの観客が射殺された(翌日と併せた犠牲者は約百三十名)。鎮まっていた恐怖と怒りがふたたび市民を襲った。その惨劇のあとを映像で見て、わたしは全身に恐怖が走った。(…)
 テロのあった翌日、バスチーユ広場に犠牲者を悼んで次々に人びとが集まってきた。広場は多くの死者たちに捧げられた花束でうずまった。

(…)

そんな動きが巷で広がっていたとき、あの襲撃で最愛の妻を殺されて、幼い子供と二人だけ残された若いフランス人のジャーナリストがいた。彼はテロリストにあてて手記を書いた。すでに読んだ人もいるかもしれないが、わたしはこれを読んでこころが震えた、手記にはなんの説明も不要であろう。忘れないために以下に一部を訳しておく。

「きみたちは私の怒りを買うことはないだろう。金曜日の夜、きみたちは二人といない人の命を奪った。私の命の恋人であり、私の息子の母である人の命を。しかしきみたちは私の怒りを買うことはないだろう。きみたちがだれなのか私は知らないし知りたくもないが、きみたちは死んだ魂の持ち主なのだ。もしきみたちがそのためにめったやたらに人を殺すあの神が私たちをその姿に似せて作ったとしたら、妻の体に入っている銃弾は一つ一つ神の心の傷になっているはずだ。
 だからきみたちを憎むというあの贈り物はしない。きみたちはそれを探し求めた。しかし憎しみに怒りで応えたら、きみたちとおなじ無知に屈することになるだろう。〔……〕
 今朝、妻に会えた。幾夜も幾日も待ったあげくにやっと会えた。あの金曜日の夜に出て行ったときとおなじように美しかった。十二年以上も前に気が狂いそうになるくらい好きになったときと同じように美しかった。たしかに私は悲しみに打ちのめされている。きみたちがあの小さな勝利を収めたことは認めよう。でもそれは長続きしないだろう。彼女は毎日私たちのそばにいて、私たちがきみたちの近づけないあの自由を魂の天国でまた会えることを私は知っている。
 私たちは息子と私の二人きりだ。しかし世界中のすべての軍隊より強いのだ。でも、もうこれ以上きみたちに割く時間はない。メルヴィルが昼寝から目を覚ますからそばにいてあげなければならない。やっと十七か月になったばかりだ。もうすぐいつものようにおやつを食べて、二人は遊ぶのだ。そしてこの幼い男の子は幸福で自由であることで生涯きみたちを辱めることだろう。なぜならきみたちはこの子の憎しみを買うことはないのだから」(以上、保刈訳。邦訳全文はアントワーヌ・レリス『ぼくは君たちを憎まないことにした』土居佳代子訳、ポプラ社、二〇一六年)

これが勇気というものである。普段はそんなものが自分の体のどこに潜んでいるかと思う。その昔モンテーニュが言ったことだが、人間性のなかには悪も残虐も狂気も宿っている。大量破壊兵器も、強制収容所も、テロリズムもそこから生まれた。しかし勇気もまた宿っていて、それが逆境のなかで目を覚ます。マリエッタ・マルタンの抵抗も、ヴァレリーの深い洞察を示す論文や数知れない公園も、カフェで何事もなかったかのように本を読むあの女性の態度も、この若い父親の手記も、おなじ勇気の表れなのだ。

それを言った上でわたしが注目したいのは、彼らの勇気に共通する特徴が、個人一人ひとりの意志の表れであると同時に、戦争であれ、テロの襲撃であれ、国が不当に攻撃されたその不正に抵抗する国民としての意志の表れでもあったということである。

(…)

この特筆すべき国民性に前から着目していたのがほかでもないヴァレリーその人だった。それは、それを無視すればほとんどフランス人の本質を見逃すことになると言っても過言でない「神秘的な」国民性なのである。彼は一九一四年に第一世界大戦が勃発したとき国民が一斉に取った行動を思い出してこう語っていた。

この国の国民は議論をするときは論理的ですが、行動となると、ときには意表を突く行動に出ることがあるのです。〔……〕
 われわれの国家は、もっとも多様な性格をもった国家であり、その上もっとも意見が分裂している国家ですが、その国家が、一瞬にして、一人ひとりのフランス人に、唯一無二のものとなって出現したのです。われわれのはげしい意見の対立はどこかへ消し飛んでしまい、〔……〕すべてが溶けて純粋なフランスに変貌したのです。〔……〕
 しかしそれだけでなく、国に対するこの国民的感情は、われわれにあっては、さらに人間(ユマニテ)への感情を容易に受けいれるものなのです。すべてのフランス人は、自分は人間であると感じています。おそらくその点こそがフランス人がほかの国の人間たちともっとも大きく異なるところなのかもしれません。多くのフランス人たちはあのときこんなふうに夢見ていました。血まみれになって戦う原始的な仕来りや、武器で解決をはかる残虐な行為とはこれできっぱり手を切ろうと。そう思って最後となるべき戦争に出かけていったのです。(「ペタン元帥への答辞」)

このヴァレリーの指摘はフランスの国民性について語られたもっとも深い、もっとも真実な言葉の一つである。なかでもフランス人が「私は人間である」と感じる彼らの感覚を指摘した点は彼の炯眼を示すものであって、ルネサンス時代のモンテーニュから二十世紀のヴァレリーに至るまで、人間(ユマ)主義(ニスム)がフランスでその真の伝統となりえた心理的土壌を明らかにしたもっとも注目に値する指摘なのである。」

(「2 黒い壁」より)

「いま思うと、はじめてパリにやって来て、あの冷たい雨が降る冬の夜、ラシーヌの舞台を観て撥ね付けられる思いをし、そのあと巨大な石造の建物に圧倒されたとき、わたしはそうとは気づかずにこの絶対的にフランス的なものに遭遇していたのだった。あの晩わたしが黒い壁の前でおぼえた一種の恐怖感は、この究極のものが吹き入れた感情だったのである。
 幸いというべきか、その感情もはるか昔に消えて、いまでは日常のなかで、なにかの折りに優れたフランス人に出会ってその知性に打たれるとき、あるいは知性の結実である古今の作品を読むとき、フランスの歴史と文化の深さを改めて思う。その深さゆえに他者であるほかはないこの国の人びとにこれまでになく親しみと敬愛を感じる。わけても彼らが生み出した作品のほかに還元しようのない質の高さにすなおに感嘆する。
 こうしてわたしは、命の夕暮れにあって、若い頃にめぐり合ったフランスという国と、その文化と、パリの街を、いまはあるがままに見ながら愉しむ日々を送っている。
 そんな日々のなかで、ふと自分のなかに宿っている日本人を感じることがある。ヴァレリーやプルーストの精緻な上に品格と優美を兼ね備えたフランス語の散文を思いながら、日本語で文章一つ綴るときでも、その日本人が目を覚ます。それがペンの先にのりううつる。そのときわたしは日本人であることを意識させられ、てにをは一つ書くにも日本人の感性が働き、そこに日本語の独特の感覚は息づくのを感じる。それが万葉や源氏からつづく日本語の伝統の力というものなのかも知れない。日本人であることの根深さを知るのはそんなときであって、そのことに気づかせてくれたのは日本を遠く離れたここパリでの生活だった。
 もし仮に日本的精神というものが存在するならば、その由来と特質とは何だろうか。日本人の知性と感性はどんな性質のものなのだろう。そして私たちが身うちに宿すそうした内的な資質が築いた日本の文化とはいったいどんな種類の文化なのか。
 日本を愛する一人としてその答えを切望せずにはいられない。願わくは、いつの日か、わたしたちの存在にかかわるこれらの問題を、ヴァレリーのひそみにならって、明快に解き明かす人の現れんことを。」

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