見出し画像

TVOD「村上春樹の語られ方/批評とサブカルチャー史」(文藝 2023年春季号)

☆mediopos2984  2023.1.18

幸いなこと?に
村上春樹の作品はその最初期から現在まで
リアルタイムで読み続けているが

村上春樹の作品は基本的に
「乗り越えるべき規律=「父」を失った」「男の子」」が
「何かよきもの」を模索せざるを得ない物語が
「問い」としてその底流に流れているようだ

個人的にもっとも親近感をおぼえるのは
(ぼく自身がある意味「壁」の内側にいようとする傾向性があるためか)
初期の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)で

そこから「井戸」に降りてあえて「壁」の「外」へ出ようとした
『ねじまき鳥クロニクル』(1994-1995年)から後の作品は
あれこれと「外」が模索されようとしているとしても
次第にその先が見えなくなってきているようで
とくに最近は村上春樹自身の露出が多くなっているのと反比例して
作品のほうは壁に閉じ込められているというよりも
むしろ閉塞感を感じてしまうことが多くなっている
(その語り口=文体ゆえに読み進めさせられてしまうけれど)

「父」を失った「男の子」は
「何かよきもの」を見つけることができないまま
どこかぐるぐると煉獄をさまよっているようだ
あるいは日常という場所で何も見えなくなってゆくような
(日常は重要な行方なき行方ではあるのは確かだが)

「井戸」に降りてあえて「壁」の「外」へ出ようとしたとき
どこかで半ば逆行し堂々巡りをする道を辿っているのかもしれない
それはおそらく多かれ少なかれ全共闘世代の多くがもつ
ある種のトラウマのようなものでもあるのかもしれない

「父」を失うことは
新たな「父」を見つけることではないし
(みずからが「父」になることでないのはいうまでもない)
代わりに「母」へと回帰することでもない
(みずからが母的になることでも母なるものへの依存でもない)

その困難な課題に多くの「問い」は生まれてくるとしても
そこにアリアドネの糸を見つけることはむずかしい

「失語」状態になることはある意味必要不可欠だろうが
(「壁」のなかで待つこと)
「失語」に耐えられず
「失語以前」の「父」と「母」の「言葉」へと
回帰してしまうことは避けなければならない
そこには饒舌はあるが「ほんとうの言葉」は失われているから

さてどうしたものかということを
最近の村上春樹の作品からは感じることが多い

ちょうど映画もそのタイトルで公開されたばかりのようだが
『そして僕は途方に暮れる』(1984年)という
大澤誉志幸の名曲を思い出した
映画はひたすら逃げ続ける話のようだが
それを徹底させてみるのもまたひとつの方法かもしれない

バイアスだらけの「アンガージュマン」的な方には行かないことで
徹底的に壁の中あるいは逃避の先で「途方に暮れる」ことで
はじめて見つかる「何かよきもの」もあるのかもしれないから

■TVOD「村上春樹の語られ方/批評とサブカルチャー史」
(文藝 2023年春季号 河出書房新社 2023/1 所収)

(コメカ 論考「春樹を眼差す「男の子」たち」より)

「村上春樹とその作品、そして彼を取り巻いてきた批評のなかには、現代世界における「男の子」に関する諸々の(厄介な)問題を見出すことができる。戦後日本社会(ひいては、高度資本主義化以降の社会)における「男の子」たちのさまざまな葛藤やら逡巡やらが、村上を中心とした言語空間のなかには刻み込まれている。
 内田樹は、「父のいない世界において、地図もガイドラインも革命綱領も『政治的に正しいふるまい方』のマニュアルも何もない状態に放置された状態から、私たちはそれでも『何かよきもの』を達成できるか?」という「問い」が、村上文学には伏流しているとする(『村上春樹にご用心』)。「父」とは「その社会の秩序の保証人であり、その社会の成員たち個々の自由を制限する『自己実現の妨害者』であり、世界の構造と人々の宿命を熟知しており、世界を享受してる存在」であり、この「父」が存在しない世界のなかでの『何かよきもの』への模索が、村上作品のなかでは行われていたというわけだ。そして村上作品のほとんどは「男性」を物語り中心に据えたものであり、「父」が存在しない世界では、必然的に彼らは(乗り越えるべき規律=「父」を失った)未成熟な少年=「男の子」として、何かよきもの』を模索せざるを得なくなる。」

「内田樹の「父のいない世界において、地図もガイドラインも革命綱領も『政治的に正しいふるまい方』のマニュアルも何もない状態に放置された状態から、私たちはそれでも『何かよきもの』を達成できるか?」という「問い」が、村上文学には伏流しているという言及を参照したところから、「男の子」たちが村上を語る言葉を流れ流れて、「『父』になることはもはや達成ではない。私たちは否応なく「父」にされてしまうのであり、あとはこの不可避の条件にいかに対応するか、という問題だけが残されている」ことに、現在の村上は対応できていないと指摘する宇野常寛の言葉に辿り着いた。「理想」の喪失に葛藤して自己を問い、「失語」的な状態を抱えた全共闘世代の「男の子」たちは、「子どもっぽい」在り方と「虚構」的な想像力を用いることで、どうにかこうにか再び語り始めることができた。しかしそこには「男の子」としての共同性への依存や、依然として女性に対して「かわいい女」「男なみの女」を欲望する性差別的な問題もあった。そして高度資本主義化していく社会のなかで育った彼らの弟たち=「虚構」を「情報空間」として解読することに耽溺する「おたく」たちのななから、新たな世代の言論人も、オウムのような存在も、そして宇野のような更に年少の「おたく」批評家たちも現れてきた、批評家たちも現れてきた。村上を取り巻いてきた言葉を追うことで辿った「男の子」たちの「厄介な」軌跡とはつまり、戦後日本における全共闘世代から「おたく」に至るこのような道筋として理解することができるだろう。そもそも本稿を書いているぼく自身もまた、この道筋のなかで育ち、サブカルチャーを消費し、批評めいた文章を書くことに憧れてきた、「おたく」以降の「男の子」である。」

「大塚(英志)は「物語構造は責任から逃走し、しかし作者個人は責任を引き受けようとする、その矛盾をぼくは嗤うつもりはなく、むしろその矛盾を抱え込む村上春樹なりのこの国の近代小説の責任ある継承ではないのか、とも少し感じる」と述べたことがある(『村上春樹論——サブカルチャーと倫理』)。また村上と同時代人である小坂修平は、彼自身がそれに「つかまれてしまった」と表現する全共闘経験で「『現実』という枠組みが一度とっぱらわれてしまった」と感じたあと、「その後ぼくたちは『現実』をどういう風につかんだのだろうか」という自らの「問い」に、生涯向かい合い続けたことも思い出す。
 作者個人として責任を引き受けようとすること、自分やその同世代が「現実」をどうつかんだのかを問い続けること」村上を含めた全共闘世代の「男の子」たちが、「不徹底」ながらも必死に自分の責任や問いに時間をかけて拘泥し続けたことは、自分にとってはやはり印象深い。それは「達成」されたとはもちろん言い難いが、とりあえず「目標」として「努力」されたことは確かだと思う。そのことを改めて確認して、ぼく自身も含めた「おたく」の「男の子」たちは、もう一度自分自身に「問い」の目をやはり向けるべきなんじゃないだろうか。ぼくたち「おたく」以降の「男の子」たちが、「キモチヨク」饒舌に情報論的・ゲーム的な理屈を語るだけでなく。自分自身そのものを引き受けることができるかどうかを本当に試されるのは、これからだと思う。ぼくがこれからどうにかやっていきたいのは、そういう作業としての「批評」だ。」

(パンス 年表「シティポップと偽史から読み解く村上春樹年表」より)

「加藤典洋は竹田青嗣との往復書簡のなかで、竹田が言う「人間は『神』あるいは『超越』項なしに、いかに『善』や『ほんとう』の根拠を見出すことができるのか」(つまり、内田の言葉で言うところの「父のいない世界」の問題)という言葉を受けて、村上が戦後アメリカ文学における「子どもっぽさ」を抱えた文学者たちの系譜=サリンジャーにその源流を持つ系譜から多くを受け取った作家であること、村上と同時代の作家としての高橋源一郎、そして加藤自身もその「子どもっぽさ」を共有していることついて語っている(『二つの戦後』から)。」

「加藤が言う、一九七〇年代の「失語」とはなにか。これは彼や村上が全共闘運動の時代を「男の子」として通過したことによって経験することになった「失語」だ。」

◎大沢 誉志幸「そして、僕は途方に暮れる」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?