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大岡 信『一九〇〇年前夜後朝譚―近代文芸の豊かさの秘密』

☆mediopos2826  2022.8.13

なぜ日本の定型詩は
俳句や短歌のように短いのかについての
大岡信の評論を見つけたので
それを参照しながら
俳句・短歌という特殊な詩型が
一般化している理由について考えてみる

言語的な特徴による理由としては
脚韻(押韻)が
詩型としては成立し難いということが挙げられる

脚韻(押韻)が効果的に働くためには
それなりの長い詩型が必要となるからである

先日ふれた九鬼周造は
最晩年に押韻論を強く論じていたものの
実際には詩を口誦する際にも
文末の音韻表現として
脚韻(押韻)を効果的にすることは難しい

日本語は脚韻(押韻)によるのではなく
五(二・三/三・二)と七(三・四/四・三)による
音節によるリズムによって詩的表現を行う
自由音律もその基本があってこそ成立する

その音節を短詩型のなかで働かせることが
詩的表現の型となっているのである

さらに
芭蕉が俳句の心得として
「いひおおせて何かある」と去来に言い
詩の働きについて
「物の見えたるひかり、
いまだ心にきえざる中にいひとむべし」としたように

「言葉は費やせば費やすほど、
言わんとすることに対して
分析的に働くという特性を持ってい」るが
「日本人には詩歌において何かを「論じる」ことを嫌」い
一瞬一瞬変化しつづけている生の諸相を
機動力をもって言葉でとらえようとすると
短詩の限られた音節のなかで
それをミクロコスモス的に表現しようとする傾向がある

かつてあった和歌の呪力への崇拝感情における
「歌の功徳」ということについても
五七五七七の定型リズムへの指向は
日本人の間に幅広く根付いていたという背景もある

そしてそうした短詩型が
「孤心」のなかでの「宴」において
連歌において表現されるときも
各句の長さは短い定型リズムなのである

そうした日本語と
日本語のおける短詩型への指向が
「明治三十年代前半」「およそ一九〇〇年という時期を境に」
「近代短歌」としてプロの俳人や歌人を超え
「素人歌人や俳人」へと拡大していくことになり
曲説はあったものの現代へと至り

とくにインターネット等のメディアの拡大とともに
一九〇〇年から一〇〇年経った二〇〇〇年以降
五七五または五七五七七の音節にのせれば
だれでもそれなりの短詩型が形としては成立するために
だれもその全体を把握しえないほどの
夥しい数の自称歌人が生まれている

「質」へと転化するかどうかはわからないが
一九〇〇年前後に訪れたであろうような
詩的表現の革新のようなものが
「量」から「質」への転化としてあらわれるか
その先はまだ見えない

少なくともいま日本語は
(自称)表現者の増大によって起こっている民主化ゆえに
むしろ貧困化し続けているようにも見える

短詩型ゆえの豊かさと裏腹の貧しさのなかで
日本語そして日本語詩がどこへと向かっているのか
注意深く見ていく必要がある

でき得ればあらたな表現のなかで
「物の見えたるひかり」が垣間見えるような
そんな詩に出会えますように

■大岡 信『一九〇〇年前夜後朝譚―近代文芸の豊かさの秘密』
 (岩波書店 1994/10)

(「Ⅷ なぜ日本の定型詩は短いのか(一)」〜「1 素人歌人の重要性」より)

「日本の詩は————とくに長い伝統をもつ定型詩は————なぜこんなにも短くありつづけたのか?」

「人々は俳句や短歌が形式として短すぎるなどという文句は言いません。むしろ、短い詩型だからこそ自分にもこれが使えるのだと、積極的にその価値を認めています。そして、応募作の中には、いわゆるプロの俳人や歌人にはとても作れないだろうと思われるような面白い、また深刻な作品も必ず含まれています。
 その理由ははっきりしています。そういう作者が自作の素材としている人生経験が、他に例の少ない独自性を持っているからです。ここでいう人生経験の独自性とは、多くの場合長期の重い病によって代表されているような、人生の危機的側面にかかわっていて、その真率な表現の迫力の前では、プロの歌や句が色あせるのもやむを得ません。
 短歌も俳句も、明治三十年代前半、つまりおよそ一九〇〇年という時期を境にして、作者の人生経験の独自性に高度の価値を置く方向へ、まっしぐらに進んできたのです。それがすなわち「近代短歌」の実質的な出発と発展の経路にほかなりませんでした。
 「女子供」の歌が重要な意味を持ってくるのもこれ以降のことです。
 これらの特徴はすべて、短歌や俳句の詩型が短いということと有機的に結びついています。いわゆるプロフェッショナルな歌人・俳人の何百倍もの数で、いわゆる素人歌人や俳人が存在し、しかもその人々の作る歌や句が、ある日突如としてプロの歌人や俳人たちには思いも及ばぬようなブーム現象をまき起こすことがあるということも、同様に詩型の手軽な短さということとつながっています。(・・・)
 素人の方が玄人よりもずっと受け入れられ易い傾向があるのが日本の詩型の中では最も古い歴史をもつ短歌というものの不思議さです。
 ただしこれが一九〇〇年以降、「近代短歌」の誕生とともに起こった新現象でした。」

(「Ⅷ なぜ日本の定型詩は短いのか(一)」〜「2 人生論嫌い」より)

「この「短さ」への偏愛には、もちろんさまざまな要因があるでしょう。しかし根本のところで、日本人には詩歌において何かを「論じる」ことを嫌うという抜き難い習性があるのだと思います。
 別の言い方をすれば、「言い尽くす」ことを嫌う習性、芭蕉がある時弟子の去来に俳句の心得として「いひおおせて何かある」とさとしたのも、そのような美意識から出たものですが、一般に日本の詩歌には、「人生」の刻一刻移り変わってゆく諸相への関心がきわめて活潑である反面、「人生論」を詩歌の中で展開することについては、これを拙劣だとし、品がよろしくないとし、野暮ったいとする考え方が根強くあったと言うことができます。」

「そうである限り、言葉はあまり多くない方がいい。言葉は費やせば費やすほど、言わんとすることに対して分析的に働くという特性を持っているからです。
 人間の生活には、「人生論」を長々と論じなければならないような場面はそれほどありません。しかし「人生」は、一瞬の隙間も断絶もなしに、常にここにあります。それは現象として見るなら、まさに一瞬一瞬変化しつづけています。この一瞬ごとに移り変わる生の諸相をすばやく捕捉し、言葉の中にからめとること、そのような性質の詩としては、日本の短い詩型ほど機動力を持ち、繊細な触手をもって活動する詩型も稀でしょう。
 再び芭蕉を引き合いに出せば、彼はそういう詩の働きをとらえて、「物の見えたるひかり、いまだ心にきえざる中にいひとむべし」(『三冊子』)と教えたのだろうと思います。」

(「Ⅷ なぜ日本の定型詩は短いのか(一)」〜「3 あるラディカリズム」より)

「こうして、日本の詩歌人たちは、詩型の短さ、そして、妙な言い方ですが、中身の軽さに、むしろ積極的に意味を見出す方向へ、一千年以上の歳月のあいだ、一貫して働いていました。
 いわゆる中身が詰まっている短歌や俳句は、それだけでは大して価値がないのだという、見方によってはラディカルな観念が無数の詩歌作者に共有されてきたことは、今日十分見当に値するように思われます。明示的な意味内容を侮蔑するからといって、「無意味」をよしとしているわけではないからです。」

(「Ⅷ なぜ日本の定型詩は短いのか(一)」〜「7 短さゆえの巨大な幻」より)

「日本人が短歌形式や俳句形式を用いて詩歌作品を作る場合、それらの短い形式の中でどれだけ多くの内容を語ることができるか、ということは問題ではないのです。この場合の「内容」の多い少ないとは、言いかえれば、散文にパラフレーズした時、どれほどの字数になるか、その量の多い少ないの違いのことだと言っていいでしょうか。それは一篇の短詩型作品の価値の高低とはほとんど無関係なのです。」

「日本の詩歌伝統の核心には、人麻呂の昔から今に至るまで、詩の最も重要な存在理由は時空のヴィジョンを言葉によって自由に組み立て組み変える力にある、という思想が脈々と流れているのだと気付かされます。この力が発揮される限り、詩の形式の相対的な長短は二義的な問題にすぎません。むしろ、詩が短くて語数が少なければ少ないほど、効果は逆に大きいはずです。」

(「Ⅸ なぜ日本の定型詩は短いのか(二)」〜「1 山本健吉の「滑稽・挨拶・即興」の説」より)

「俳句の方法が「滑稽・挨拶・即興」にあると明快に説明してくれたのは山本健吉氏でした。(・・・)
 滑稽も挨拶も即興も、すべて共通の地盤の上にあります。すなわち、俳句には必ず対話性がある、ということです。相手もいないのに滑稽な句や即興の句をひねってみても無意味でしょう。挨拶については言うまでもありません。
 相手の側から句が返ってくるなら、そこに唱和が成り立ちます。対話を一歩進めて唱和が成立なら、連歌・連句の世界はもうそのすぐ隣にあります。」

(「Ⅸ なぜ日本の定型詩は短いのか(二)」〜「2 「挨拶」は短さがいのち」より)

「結婚式その他の祝辞などで長々と挨拶する主賓は嫌われます。それは人々が、挨拶を演説とはまったく違った性質のものとして認識しているからでしょう。挨拶とは、仮に相手が言葉で応答する立場になくとも、言外に相手が応答できる余地を残して打ち切る、床しい短さのものであるべきだというのが、大方の日本人の、少なくとも近年までは体得していた観念でしょう。
 それは当然、その短い挨拶が、短いがゆえに、言葉の凝縮やふくらみ、余韻やユーモアによって成り立っていなければならないことを意味します。短いのは結構、しかし味も素っ気もない挨拶では、嫌われはすまういが、馬鹿にされるでしょう。「帯に短し襷に長し」という話はいつでも生きています。
 これを少し気取って言い直すなら、「挨拶は究極において詩を指向する」とさえ言えるでしょう。」

「柳田國男が「歌の功徳」を言ったのは、民衆の間に古来深く根づいていた、和歌の呪力への崇拝感情を指してそう言ったのですが、ふつうの問答ではなかなか明かない埒も、五七五七七の定型リズムに乗せて思いを訴えればついには明くものだ————そういう歌の呪力への信頼は、『御伽草子』などを見ると、実際広範に日本人の間に存在していたと思われます。」

(「Ⅸ なぜ日本の定型詩は短いのか(二)」〜「3 和歌は社交と切り離せなかった」より)

「こういう事例においては、和歌は相手を尋常以上の力で説得するための武器として認識され、活用されているのです。
 和歌にひそんでいるこういう側面、それを端的に言えば、和歌の「実用性」というものでした。
 私たちは「古典和歌」という時、妙にこれを浮き世離れしたもの、俗世間の俗事とは関わりのないものと思いがちです。つまらない誤解です。和歌の力は、とりわけ俗世間の俗事において神秘的な効果を発揮したからこそ、古代以来第二次大戦中の「神国日本」イデオロギー全盛期まで、実に長い間人々の生活を深層で律し、善悪いずれにせよ、必要かつ重要なものであり続けたのです。
 「純粋芸術」としての和歌などという観念は、古典詩歌の世界が爛熟をきわめた時代になってはじめて、たとえばある時期の藤原定家、別の時代の正徹といった歌人たちの脳裡に宿りえたにすぎないものでしょう。その彼らにしても、和歌伝統ぼ今言ったような本質と別のところに住んでいたわけではありません。いや、彼らは、方法論的に言えば、(・・・)柿本人麻呂以来の和歌が開発した「時空のデペーズマン」(場と次元の急転換)の方法を一心不乱に徹底追求するという形で、和歌的呪力の最尖端に突き進んだにほかならないのです。決して孤高の道を行こうとした人々ではありませんでした。正徹の和歌の弟子だった心敬が連歌師として活躍し、連歌の理論家として重きをなしたことも、決して偶然ではありません。
 正徹の和歌に歴々として横たわっている孤心は、もう一方できわめて多くの文人たちと詩歌のうたげをくり拡げている人だったからこそ、一層鋭く、繊細幽玄に磨かれえたのだと私は考えています。」

(「Ⅸ なぜ日本の定型詩は短いのか(二)」〜「4 連歌・連句の基本」より)

「挨拶も滑稽も即興もみな和歌にとって必然の属性でした。和歌の胎内から生まれた俳諧が、これらの属性をそっくり受け継いだことが言うまでもありません。俳諧は和歌よりも一層多様な階層の出身者たちによる集団芸術という性格が濃厚でしたから、この傾向がさらに強まったのも当然でした。
 連歌にせよ俳諧連歌(連句)にせよ、基本となる一句の長さは共通です。すなわち、五七五の発句に七七の脇句、ついで五七五の第三、七七の第四と付けてゆき、長句(五七五)・短句(七七)交互に付けて百句まめで行ってこれを結びの揚句(挙句)とする形式が百韻、連歌はこれが基本の形式です。一方三十六句で満尾とするのが、芭蕉以降最も好まれた形式で、三十六句ですから三十六歌仙にちなんで歌仙(形式)と愛称されるようになりました。
 前の句に次々に付けてゆく行為を付合(つけあい)と言います。(・・・)
 前句と付句の一体化した付合では、同種の情景を並列させたり事柄をつなげたりする場合もあれば、一気に飛躍し、あるいは真向から対立する要素をぶつけ合わせるなど、臨機応変さまざまな方法がありえます。一歩も後ろげ引き返すことなく、たえず千変万化の興趣を盛りあげつつ進むのが理想です。その一方では、全体としての調和と変化が常に求められてもいるのです。ですから、たかが三十六句とはいえ、地模様も図柄もたえず動きの中にあって単純な線的進行ではありません。
 要求されているのがこのような性質のものであれば、各句の長さが単独では極端に短くなるのものよく理解できます。短いがゆえに変化に応じることができるのです。」

(「Ⅸ なぜ日本の定型詩は短いのか(二)」〜「8 それぞれの言語にそれぞれの詩」より)

「日本の詩歌が口誦的な世界から早い時期に訣別したことは、日本語の脚韻における無力さがかなり関係していると思わずにはいられません。
 たぶんそのことと、日本語の定型詩がこれほどにも短くなってきたこととの間には、深い内的関係があるでしょう。この詩形の短さは、口誦にはまったく向いていないのです。日本人は口誦に向いていないというこの特質を逆に利用して、連歌・連句のように、短句を連結してゆくことによって言葉の多角的な面白さを最大限に発揮しようとする詩学を育てたのだろうと、私は考えます。」

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