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鈴木晴香『夜にあやまってくれ』/『心がめあて』

☆mediopos2970  2023.1.4.

ふと目にとまった
鈴木晴香の歌集を読み始めた

第一歌集『夜にあやまってくれ』(2016年)
第二歌集『心がめあて』(2021年)

第一歌集『夜にあやまってくれ』のあとがきに
こんな言葉がのこされている

「自転車屋の隣のコンビニエンスストアでビニール傘を買った。」
「こんな通り雨に降られなかった世界もあったのかもしれない」

そう
いまここで起こったことが
起こらなかった世界もあったのかもしれない

この歌集を読まなかった
そんな世界もあったのかもしれない

読むことで
何かが変わるのかもしれない
読まないことで
読むことで変わることが
変わらなかったかもしれない

世界は刻々と無限に分岐していくかもしれないけれど
こうして世界を生きるているわたしは
いまここで起こったことを抱えて生きていく
ひょっとしたらそんな別の現実を生き得たかもしれないけれど

第二歌集『心がめあて』のあとがきに
こんな言葉がのこされている

「世界に入るのは鍵がいる」
「歌を作ることで入れる世界がある」
「自らの欠片を差し出すことで、
ドアをこじ開けてきたのだ」
「世界は世界の方で、そんなわたしの押し付けがましい
断片を望んでいるのだろうか」
「心許なく、世界に問いかける。
わたしのなにがめあてですか?」

歌を作ることにかぎらず
こうして言葉を紡ぐことは
それを「鍵」にして
なんらかの世界の「ドアをこじ開け」ようと
することなのかもしれない

こじ開けられる世界にとって
こじ開ける者はどんな存在なのだろう
世界はそんなことなど望んでいないのかもしれない

あるいは世界は
こじ開けられることを待っているのかもれない
そうだとしたらいいのだけれど
それでも世界の望んでいることと
こちらが望んでいることが同じだとはかぎらない

ひととひとの関係もそれと似ている
ひとも世界もむずかしい

■鈴木晴香『夜にあやまってくれ』
(書肆侃侃房 新鋭短歌シリーズ28 2016/9)
■鈴木晴香『心がめあて』
 (左右社 塔21世紀叢書 第 380篇 2021/8)

(鈴木晴香『夜にあやまってくれ』より)

「パンケーキショップの甘い蜂蜜の香りがしたら右に曲がって

 自転車の後ろに乗ってこの街の右側だけを知っていた夏

 非常時に押し続ければ外部との会話ができます(おやすみ、外部)

 レトルトのカレーの揺れる熱湯のどこまでもどこまでも透明

 うつ伏せた鏡は床の跡を一晩中映しているだろう

 君の手の甲にほくろがあるでしょうそれは私が飛び込んだ痕

 君の頰に「は」と書いてみる「る」は胸に「か」は頭蓋骨に書いてあげよう

 悲しいと言ってしまえばそれまでの夜なら夜にあやまってくれ

 もう少し早く出会っているような世界はどこにもない世界より」

(鈴木晴香『夜にあやまってくれ』〜「あとがき」より)

「ついさっき、自転車屋の隣のコンビニエンスストアでビニール傘を買った。夕方、とても激しい雨だった。そんな時に、でも、と思う————たった今まで傘に打ち付けていた雨音が急にくぐもって遠のく————こんな通り雨に降られなかった世界もあったのかもしれない、と。
 玄関でパンプスかサンダルかと迷わなかったら、青の点滅する横断歩道に無理して駆け込んでいたら、骨董屋の店先にある剥製の鷹と目が合わなかったとしたら、どうなっていたんだろう? こうしてもうひとつの世界を思う時、私は、因果律を侵犯したんじゃないかと危惧する。私が訪れなかったら、店員は、「差して行かれますか?」と言いながら包装を剥ぐこともなくただ雨を眺めていたかもしれないからだ。
 この雨中にいることになった巡り合わせをたどりはじめると、私の意識は拡散し、とめどなく彷徨する。星くずから生まれたはずの生命が喜怒哀楽を覚えたこと、大脳が私たちより大きいはずのネアンデルタール人が亡んでホモサピエンスが生き残ったこと、そして、ビッグバンが今でも終わっていないこと。そんなことと、いまここでビニール傘を開いたことはどこかで繋がっているはずだ。
 いつの間にか雨は止んで、はじまったばかりの夜の初々しい藍色が空を染めていた。傘は電車の手すりにそのまま置いて行こうか。世界のズレの振幅の一端にそっと重りを乗せるように。」

(鈴木晴香『心がめあて』より)

「眠ってたことに気がつくのはいつも目が覚めてから ひかりのなかで

 白ければ雪、透明なら雨と呼ぶ わからなければそれは涙だ

 歯がいつも濡れていること頬はその内側だけが濡れていること

 ライターのどこかに炎は隠されて君は何回でも見つけ出す

 思い出は増えるというより重なってどのドアもどの鍵でも開く

 質問に答えないよう答えるというやり方は聞いて覚えた

 今きみが触れているのはこころかもしれないから優しくはしないで

 薄闇に向かって開いている扉うまれてきた日を覚えていない

 手品師が覚えていろというカードいつ忘れればいいのだろうか

 文字のない世界に降っていた雪よこれからつく嘘にフォントあれ

 数字から数字へひかりが移るときどこにもいなくなる一瞬が

 目覚ましのベルが鳴る三秒前の世界に突然放り込まれる

 起きているときにもきっと夢をみている だから鍵を忘れたりする

 見えなくてそれでもそこにあるものを探しに夜の地平線まで

 見つかってしまうためにするかくれんぼいつか死ぬために生まれたわたし

 繋がれることのない星々だった人間が生まれるまでの永遠

 この手紙燃やしてほしいと思ったりしないもともと燃えているから」

(鈴木晴香『心がめあて』〜「あとがき」より)

「六つ。これはわたしが持ち歩いている鍵の数だ。それが意味するのは、つまり、わたしにはアクセスを許された特権的な世界が六つあるということだ。

 世界に入るのは鍵がいる。
 それらの世界のうちには、気安く長居できる世界もあれば、どんなに身構えても、すぐに立ち去りたくなる世界もある。各々に固有の因果律や命題があって、それらの促されるまま、ものを見聞きしたり、振る舞ったり、考えたりしている、と思う、きっと。
 でも、どうしてだろう。わたしはそうした世界ごとの差異や偏差を呆れるほど覚えていない。そこにあったはずの質や量と、どのように向き合っていたのだろう。そうした自らの主観を客観化したいと思っても、なすすべもない。
 いったい、どの鍵を浸かって、どの扉を開けたのか。ドアノブに手をかけたときにぴりっと走った静電気は、世界の側からのせめてもの警告だったのかもしれない。

  思い出は増えるというより重なってどのドアもどの鍵でも開く

生体認証。指紋や眼球や顔が暗号になるように、歌を作ることで入れる世界がある。歌を詠み、歌に詠まれた心身は、そこでは鍵の役目を果たしてきた。自らの欠片を差し出すことで、ドアをこじ開けてきたのだ。でも、少し醒めた時には、こんな風にも考えてしまう。はたして、世界は世界の方で、そんなわたしの押し付けがましい断片を望んでいるのだろうか、と。
心許なく、世界に問いかける。わたしのなにがめあてですか? この歌集におさめた歌は、そんな世界との相聞の苦闘の跡だ。」

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