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寺田寅彦「笑い」/柳田国男「日本の笑い」「笑の本願」

☆mediopos3255  2023.10.16

「笑い」の話である

有名なベルクソンの『笑い』は
対象のある笑いの話だが
寺田寅彦が「笑い」という随筆で書いているのは
「「対象なき笑い」から出発して、
笑いの生理と心理の中間に潜む
かぎを捜そうとする」ものである

寺田寅彦は子どものころ
「笑うべき事がない時に笑い出す」癖があり
「笑うべき事と笑う事」とが一致しないのが
なぜかわからないでいたという

生理学的に説明されている
「ある神経の刺激によって
腹部のある筋肉が痙攣的に収縮して
肺の中の空気が週期的に断続して呼び出され」
「息を呼出する作用に
それを食い止めようとする作用が交錯して起こる」
ということからして

笑いという現象は
そういう作用が起こって始めて成立するので
「笑うからおかしいので
おかしいから笑うのではないという」
長年の疑問にひとつの答え(説)を得たのだという

「笑い」が起こるのは
「精神ならびに肉体の一時的あるいは持続的の緊張が
急に弛緩する際に起こる」のだろうというが

ここで説明される「笑い」は
生理的現象としてのそれである

随筆では以下の笑いをはじめ
そのほかにもさまざまな笑いを挙げられるだろうというが

(A)尊厳がそこなわれた時の笑い
(B)人間の弱点があばかれた時の笑い
(C)望みが遂げられた時の喜びの笑い
(D)得意な時の自慢笑い
(E)軽侮した時の冷笑など
(F)苦笑

寺田寅彦がこの随筆でとりあげようとしたのは
「純粋な心理の問題」ではないので
随筆での話はここまでである

寺田寅彦が論じている
主に生理学的な「笑い」の視点とは異なり
柳田国男は日本の文化的なありようについて
主に「俳諧」を中心に
「日本の笑い」「笑の本願」で
「言葉」による創造的な「笑い」をとりあげている
ちなみに寺田寅彦も「俳句」とは関わりが深い

柳田国男が「笑い」を研究しはじめたのは
ひとつには「戦争の末期から終戦前後、
笑いが非常に乏しくなり、下品になったので、
一種の人道主義運動として良い笑いを供給する
文学がなければならぬといった気持ち」からであり

もうひとつは「日本独自の方法でやらなければならぬ
と言う実例を笑いの文学の発達の面からも
試みようとした」ことからだという

なぜ「笑う」ということが
生まれたのかはよくわからないが
この地上ではおそらく
人間だけが笑うことができる

そして「笑い」によってしか
創造されえないなにかがそこにはあるようだ

純粋に生理的な「笑い」という現象もあれば
心理的に生み出される「笑い」もあり
また柳田国男が芭蕉を念頭に置きながら
意図したであろうような
文芸の創造的な継承発展としての「笑い」もあるが

いうまでもなく「笑い」は
すべてが「良き」笑いではない
悪意をもった冷笑的な笑いもあり
品位をもたない笑いもある

しかしそんななかでも
ひとは「笑い」なくして
生きていくことはできない

じぶんは何を笑っているか
どんな笑いをつくりだしているか
「笑い」とどのように関わっているか
それがじぶんを如実に表しているともいえる

「笑い」をどのように方向づけるか
あるいはそれをどのように表現するかは
「言葉」をいかに使うかということを含めた
「自由」を創造するための課題でもあるのではないか

■寺田寅彦「笑い」
 (小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集第一巻』岩波文庫 1963/10)
■柳田国男「日本の笑い」
 (柳田国男『日本人とはなにか〈増補版〉』河出書房新社 2023/9)
■柳田国男「笑の本願」
 (ちくま日本文学『柳田国男』筑摩書房 2008/5)

(寺田寅彦「笑い」より)

「私は子供の時分から、医者の診察を受けている場合にきっと笑いたくなるという妙な癖がある。この癖は大きくなってもなかなか直らなくて、今でもその痕跡だけはまだ残っている。」
「まず医者が脈をおさえて時計を読んでいる時分から、そろそろこの笑いの前兆のような妙な心持ちがからだのどこかから起こって来る。」
「弱い神経(ウィークナーヴ)と言ってしまえばそれまでの事かもしれないが、問題はこれが「笑い」の前奏として起こる点にある。」
「いよいよ胸をくつろげて打診から聴診と進んで来るに従って、からだじゅうを駆けめぐっていた力無いたよりないくすぐったいような感じがいっそう強く鮮明になって来る。そうして深呼吸をしようとして胸いっぱいに空気を吸い込んだ時に最高頂に達して、それが息を吹き出すとともに一時に爆発する。するとそれがちゃんと立派な「笑い」になって現われるのである。
 何もそこに笑うべき正当の対象のないのに笑うというのが不合理な事であり、医者に対して失礼はもちろんはなはだ恥ずべき事だという事は子供の私にもよくわかっていた。」

「いわゆる笑うべき事がない時に笑い出すのは医者に診てもらう場合に限らなかった。
 いちばん困るのは親類などへ行って改まった挨拶をしなければならない時であった。ことに先方に不幸でもあった場合に、向こうで述べるべき悔やみの言葉を宅から教わって暗記して行って、それをそのとおりに言おうとする時に、突然例の不思議な笑いが飛び出してくるのである。その時の苦しさは今でも忘れる事ができない。なかなかおかしいどころではなかった。」

「こういう「笑い」の癖は中学時代になってもなかなか直らなかった。そしてそれがしばしば自分を苦しめ恥ずかしめた。おごそかな神祭の席にすわっている時、まじめな音楽の演奏を聞いている時、長上の訓諭を聴聞する時など、すべて改まってまじめな心持ちになってからだをちゃんと緊張しようとする時にきっとこれに襲われ悩まされたのである。床屋で顔に剃刀をあてられる時もこれと似た場合で、この場合には危険の感じが笑いを誘発した。」

「いったい私にとっては笑うべき事と笑う事とはどうもうまく一致しなかった。たとえば村の名物になっている痴呆の男が往来でいろいろのおかしい芸当や身ぶりをするのを見ていても、少しも笑いたくならなかった。むしろ不快な悲しいような心持ちがした。酒宴の席などでいろいろ滑稽こっけいな隠し芸などをやって笑い興じているのを見ると、むしろ恐ろしいような物すごいような気がするばかりで、とてもいっしょになって笑う気になれなかった。もっともこれは単にペシミストの傾向と言ってしまえば、別に問題にはならないかもしれないが。
 そうかと思うと、たとえばはげしい颶風ぐふうがあれている最中に、雨戸を少しあけて、物恐ろしい空いっぱいに樹幹の揺れ動き枝葉のちぎれ飛ぶ光景を見ている時、突然に笑いが込みあげて来る。そしてあらしの物音の中に流れ込む自分の笑声をきわめて自然なもののように感ずるのであった。」

「笑いの現象を生理的に見ると、ある神経の刺激によって腹部のある筋肉が痙攣的に収縮して肺の中の空気が週期的に断続して呼び出されるという事である。息を呼出する作用にそれを食い止めようとする作用が交錯して起こるようである。ところがある心理学者の説を敷衍して考えるとそういう作用が起こるので始めて「笑い」が成立する。笑うからおかしいのでおかしいから笑うのではないという事になる。
 私が始めてこの説を見いだした時には、多年熱心に捜し回っていたものが突然手に入ったような気がしてうれしかった。」

「笑いの中で最も純粋で原始的だと言われるのは、野蛮人でも文明人でも子供でもおとなでも共通に笑うような笑いでなければならない。野蛮人がいかなる事を笑うかという事が知りたいのであるがこれはちょっと参考すべき材料を持ち合わせない。やむを得ず子供の場合を考えてみた。子供の笑いの中で典型的だと思うのは、第一に何かしら意外な、しかしそれほど恐ろしくはない重大ではない事がらが突発して、それに対する軽い驚愕が消え去ろうとする時に起こるものである。たとえば人形の首が脱け落ちたり風船玉のようなものが思いがけなく破裂したり、棚たなのものが落ちて来たりした時のがその例である。第二にこれと密接に連関しているのは出来事に対する大きな予期が小さな実現によって裏切られた時の笑いである。ビックリ箱をあけてもお化けが破損していて出なかったり、花火ができそこなってプスプスに終わったとかいうのがそれである。この二つは世態人情に関する予備知識なしに可能なものであって、それだけ本能的原始的なものと考えられるが、この二つともにともかくも精神ならびに肉体の一時的あるいは持続的の緊張が急に弛緩する際に起こるものと言っていい。そうして子細に考えてみると緊張に次ぐ弛緩の後にその余波のような次第に消え行く弛張の交錯が伴なうように思われる。しかし弛緩がきわめて徐々に来る場合はどうもそうでないようである。
 惰性をもったものがその正常の位置から引き退けられて、離たれた時に、これをその正常の位置に引きもどさんとする力が働けば振動の起こるというのは物質界にはきわめて普通な現象である。そして多くの場合においてその惰性は恒同であり、弾力は変位(ディスプレースメント)に正比例するから運動の方程式は簡単である。しかしこの類型を神経の作用にまでも持って行こうとすると非常な困難がある。かりにあるものの変位がプラスであれば緊張、マイナスであれば弛緩の状態を表わすとしたところで、その「もの」がなんだかわからなければその質量に相当するものも、弾力に相当するものもわかりようはない。従ってこれが数学的の取り扱いを許されるまでにはあまりに大きな空隙がある。
 それにもかかわらず笑いの現象を生理的また心理的に考える時にこの力学の類型アナロジーが非常に力強い暗示をもって私の想像に訴えて来る。そうして生理と心理の間のかけ橋がまさにこの問題につながっていそうに思われてならない。
 これを一つの working hypothesis として見た時には、そこからいろいろな蓋然的な結果が演繹される。たとえば笑いやすい人と笑いにくい人などの区別が、力学の場合の「粘性」や「摩擦」に相当する生理的因子の存在を思わせる。粘液質などという言葉が何かの啓示のように耳にひびく。あるいは笑いの断続の「週期」と体質や気質との関係を考えさせられる。またかりに「笑い」が人類に特有な現象だとすれば、他の動物では質量弾力摩擦の配合が週期運動の条件を満足させないために振動が無週期的 aperiodic になるのではないかという疑いも起こる。

 子供の笑いと子供にはわからないおとなの笑いとの間には連続的な段階がある。(A)尊厳がそこなわれた時の笑い、(B)人間の弱点があばかれた時の笑いなどは必ずしもこれを悪意な Schadenfreude とばかりは言われない。ここにもある緊張のゆるみが関係してくる。
(C)望みが遂げられた時の喜びの笑い、これも無理なしにここの仮説の圏内にはいる。
 少しむつかしくなるのは、(D)得意な時の自慢笑い、(E)軽侮した時の冷笑などである。しかし(D)には(A)と(C)の混合があり、(E)には(B)や(D)の錯雑がある。
(F)苦笑というのがある。これは自分を第三者として見た時の(A)と(B)とが自分を自分とした時の苦痛と混合したものででもあろうか。
 こんなふうにしてもっといろいろな種類の笑いがLMN……というぐあいに導き出されそうに思われる。しかしこのような問題はもう純粋な心理の問題になって肉体との縁が遠くなる。これは自分のここに言おうとする事ではなかった。」

「(付記)この稿をだいたい書いてしまって後に、ベルグソンの「笑い」という書物が手に入って読んでみた。なるほどおもしろい本である。この書の著者は、笑いにはすべて対象があるものと考えていて、対象のない笑いには触れていない。そしてその対象は直接間接に人間的なものと考え、顔や挙動や境遇や性格やの滑稽になるための条件公式あるいは規約のようなものをいくつも、科学的に言えばかなり大胆に持ち出してはそれを実例と対照させ説明している。それを基礎として喜劇というものが悲劇ならびに一般芸術に対してもつ特異の点を論じたり、笑いの社会道徳的意義を目的論的な立場で論じたりしている。
 読んでいるうちにいろいろ有益な暗示も受けるし、著者の説に対する一二の疑いも起こった。しかしこれを読んだために私がここに書いた事の一部を取り消したり変更する必要は起こらなかった。私の問題は「対象なき笑い」から出発して、笑いの生理と心理の中間に潜むかぎを捜そうとするのであるが、ベルグソンはすっかり生理を離れて純粋な心理だけの問題を考えているのである。
 ベルグソンの与えている種々な笑いの場合で私のいわゆる「仮説」とどうしても矛盾するようなものはなくて、むしろこれに都合のいい場合がかなりにあった。そしてこの書の終わりに近くなって笑いと精神的の弛緩との関係に少しばかり触れている一節があるのを見いだして多少の安心を感じる事ができた。
 これらの読後の感想についてはしるしたい事がいろいろあるが、この稿とは融合しない性質のものだから、それは別の機会に譲る事にした。」

(柳田国男「日本の笑い」より)

「私が笑いを研究し始めた動機は幾つもあるが、戦争の末期から終戦前後、笑いが非常に乏しくなり、下品になったので、一種の人道主義運動として良い笑いを供給する文学がなければならぬといった気持ちが強かった。それが『笑の本願』という本になって、汚いセンカ紙しか無い時代に急いで出版した次第なのである。斯うして自分も欝を散じた。今日は務めて日本の笑いは斯うであるという話に力を入れて、笑いの研究に若い人達を引っ張り込もうではないか。私も大分年をとって笑いが少なくなって居るが、そうしなければ年寄りばかり、淋しい人ばかりが笑いの研究をやって居ても仕様が無いと思うのである。

 もう一つの隠れた研究の動機は、岩波などにも大いに責任があるが、世界の文学は共通であると言ったり、フランスで良い文学なら日本でも良い文学であると言ったりするのに対して、私は疑問を持って居る。学問でも同じ事であるが、全然日本の過去の文化に研究すべきものが無いならば別であるが、日本の文化は日本人でなければ研究出来ないと思う。日本人が受け持って日本人が研究すれば一流の知識になるものをやらなければならぬという気持ちである。処が、今日のは人の後を追い駆ける世界文学なのである。良い事か悪い事かは別問題にして、自分自身が生まれない以前から、此の島国で独自に創った文化があったのである。其の文化の中にはそれよりも古い処から伝わって来て居るものもあるでろうが、こちらで発生したものはそれぞれの国によって、それぞれの特徴がある。此れはナショナリズムの問題で、政治運動になるからうっかり言えないけれども、日本には日本人自らが研究しなければならぬものがある。(・・・)そういう事が今日は、僅かになってしまって誰もやらない。殊に、言葉は笑いとも関係があるが、言葉の味わい・匂いなどは国内の人の感覚すら遅鈍になって居るのであるから、他処の国の人間にわかる訳が無い。私は、発表は非常に立派なフランス文を書き、或は英文を書いて世界全体にしなければならぬが、研究は日本独自の方法でやらなければならぬと言う実例を笑いの文学の発達の面からも試みようとしたのである。」

「根本の人間の本能から生じて来たものが日本だけ違うという事は言い切れ無いが、其の自然の心理の如きもの、原始人の如きものが次第に移り変わり、成長して来て、長い間には山の生活や海の生活等とそれぞれ違って来るのであるから、日本人の背後に背負って居るのは、直接原始人のものでは無くて、むしろ原詩以来の千年、二千年の長い年月が作ったものを後に背負って居るのである。それ故、例えばフランス人が笑いの原理、笑いの心理というものを説明して理路整然として居ても、其れに基づいて総ての出来事を解こうと思い、其れに合致しなければ此方が心得違いだと考える様な文化史の研究の仕方は唾棄すべきだと思う。我々は他人の経験よりも自分の経験の方を良く知って居るから、其の経験を良いものであると考えて良いのに、其れを忘れて他人の経験を「一生懸命になってつみ取ろうとする傾向は怪しからぬ事である。」

「私だけの考えではあるが、今日記録に残って居る平安時代の優秀な人々の間には、笑いは非常に発達したようである。上流の人であったし、女であったり、女と交通する男達でも一番よい人であったから、大変鋭敏であって滑稽を持って居なくても非常に繊細な事で笑う。其の一例としれ私は『笑の本願』にも書いたけれども、古今集の俳諧歌が三十程ある。其れを読むと実際に笑った其の当時の人の顔が見える様である。極く微細な事にでも神経の鋭さを備えて居た。つまり、思いがけない事で初めて聞くという事が大変おかしかったのである。

(・・・)

 それから下って連歌になるが、連歌は確かに起原は俳諧なのであるが、生真面目な少しもおかしく無いものをおかしいものにして、俳諧之連歌にしたのであるから余計な話である。此の雰囲気は笑いの文学が一番衰微した時代であるが、最初に連歌が出来た頃はあんなに長く百韻も繋ぐものでは無くて、ヒョッと一句だけ継ぎ合わせて、必ず其処にウィットがあって鋭敏な感覚を持った人間ならば笑う様な事が沢山あったのである。笑いの管理者であるべき連歌師が少しも笑え無くなって、其れに対する一つの反動として荒木田守武・山﨑宗鑑等の様に、極端な形が現れた。」

「もう一つ今日お話したいと思って用意したのは、『看聞御記』という、伏見の宮様で、後花園院という方のお父さんで、贈り名で天皇になられた宮様の日記があるが、此れは中々面白い。その日記の中に、伏見に居られて、伏見の宮の御祭の日に毎年猿学の狂言があるが、其の狂言があった後で、狂言に公家の貧乏な事ばかりを話題にしたのが多くて困る、その様な内容では怪しからぬ。此処は御所では無いが、御所に来る人が見物に来る処で、公家の貧乏になった事を猿学の狂言にしてやる事はあるものでは無いと言って、来年からはやってはいかんと、猿学の芸人の目玉が飛び出す程叱ったという事を自分の日記に書いて居る。(・・・)現在はそういう公家達の事などは残って居ないが、狂言は面白いものである。狂言は滑稽であるが、静かなユーモアがあって、あれはもう少し理解する人があって、言葉の歴史の事をやる人が多くなったら注目するようになるであろう。

 江戸時代の初期等には、却ってそういうものが無いのであるが、足利時代は淋しい時代であったけれども、笑いには事欠かなかった時代である。あの時代には、御公家達の低い層と町人の層が近づいて居て、色々な人達の面白い日記が残って居るが、それを通じて平民の生活が或る程度迄わかるのである。」

(柳田国男「笑の本願」より)

「察するに笑いは中代以前の社会機構において、かなり重要なる一因子となっていたのである。」

「世にいう宮廷文学の常道に一つの新生面を開き、ないしこれに追随してただ後れまいとしている末輩を把握して、第二の大いなるこれと対立する群をもり立てようとする者が、笑いを利用したことはむしろ易行門であった。この他の道筋を択んだら成功は多分しなかったろう。記録は概して正統派のものであったゆえに、彼等が初期の努力は認められず、ただ頓狂なみやび心のないしれ者が、小賢しく隙間を算えて落ちを取ったように解せられているが、結果から見るとその速断は謝っている。たとえ無意識にもせよ一貫した目標がなかったならば、こうして永続しまた次第に成長するはずがないのである。もっともその中には衣食のために、強いられて人に笑われに、文芸の座に赴いた者はあったろうが、内心にはおそらく牛後よりも、鶏口となり得たことに満足していたのであろう。彼等の人生観は埋もれてしまった。
(・・・)
 和歌の退屈さ加減は、今伝わっている選集だけではまだ解らない。これは数ある中でも感銘の深かったものを残しておくからである。(・・・)今ならばいろいろ目先をかえる案も出るところだが、以前の考え方は窮屈なものであっや。その代わりにほんのわずかな細工でも、いわゆる千篇一律の苦を脱することができた。物名・沓冠という類の言葉の遊戯も、その目的をもって始まったものらしく、これならば形も具わり下品でなく、作者も一しょに笑っていあっれたが、中身がちっともなくまたやはり悪達者でないとできぬ芸であったがゆえに、結局は改良の役割を果たすことができなかった。『古今集』の俳諧歌は。後の真顔等の手によって混同せられてしまったが、もとはこういうものとは別にして考えられていたのである。これと近世の俳諧之連歌と、無縁であったはずはないのだけれども、今ではもうその系図が不明になっている。一方があまりにも上品であり、また歌人の余技になっていたために、行く行く有心の本筋に入ってしまって、どこが境名だかも判らぬようになった。中世以降の和歌の中には、『古今集』程度の俳諧歌は掃くほどもまじっている。

 第二の運動がさらに手を替えて、唱和応酬の形を採ったのは自然に近かった。私たちの見たところでは、歌は最初から居室の中に、一人でぽつんといてできるものではなかった。必ず晴れがましい聴き手があり、ことにその中に聴かせたい相手があって、むしろ返歌を挑むために言いかけたものが多かったのである。」

「連歌がいろいろの煩わしい方式に約束せられ、しかも半点のウィットもない多勢の地方人に、根気よく伝道せられたのはずっと後のことである。これは始めてその必要を認められ、文筆の世界に異様の色彩を放った世情から推して考えると、分量はとにかく質においてはこうなったのは一段の零落であった。」

「連歌も本来はまた一種の俳諧であったろうということは、他の方面からも私には考えられる。」

「俳諧の真意は突兀であり、転換でありまた対立であった、むしろ尋常単調の間に現れてこそ人を興がらしめるので、始めから終わりまでしゃれ抜いていたのでは、変わったものだけにかえって価値は退縮する。それを誤解して二つの完全に引き離さなければならぬと思った人があるために、あせって無理をしたものが談林派と、それに大いにかぶれた才人其角などであろう。彼等が混迷の鉄路は今もまだ精算せられておらぬ。お蔭で我々は俳諧以上に滑稽なる俳諧論の多くを聴き、しかもその語の必要であったもとの理由が、日に月に不明になって行こうとするのを嘆いているのである。

 自分はここで改めて芭蕉翁一門の俳諧が、新たにいかなる手段を講じて、我々を悦び楽しませようとしていたかということを、自身の印象に基づいて正直に述べて見たかったのである。(・・・)大体から言って高笑いを微笑に、または圧倒を慰撫に入れかえようとした念慮は窺われ、しかも笑ってこの人生を眺めようとする根原の宿意は踏襲している。ただ伊勢の荒木田氏などがかつて企てたように、何でもかでも笑いのめし、笑わせ続けようとするのではなくて、本当に静かなまた朗らかな生活を味わいたいと思う者に、親切な手引きをしようというのであったために、それへ行きつくまでのいろいろの支度があっただけである。この珍しくかつ清新なる感覚を中心に。その前後に起伏する大小七情の波は、細かに測定したら必ず美しい韻律が見出されるであろう。」

「ことに師翁の句に推服するのは、表現が場合に相応し、しかも優雅なる連歌の外形をおろそかにしていないことである。このためでもあろうか翁の参加した附合は、他の人の出す句までよく節々に当って、気分抑揚の調子がことに細かいように感じられる。」

「人生には笑ってよいことがまことに多い。しかも今人はまさに笑いに飢えている。強い者の自由に笑う世はすでに去った。強いて大声に笑おうとすれば人を傷つけ、また甘んじて笑いを献ずる者は、心ひそかに万斛の苦汁を嘗めねばならぬ。この間において行く路はたった一つ、翁はそのもっとも安らかなる入口を示したのである。それには明敏なる者の、同時に人を憐れみ、かつその立場からこの世を見ようとする用意を要し、さらにまた志を同じくする者の強調と連結とを要する。私は最近の俳人社会の実情を詳らかにせぬが、何だかまた一度連歌流行の時代が来たような気もするし、談林乱闘の舞台がめぐって来たような気もする。喧嘩は賑やかでよいようなものだが、たった支考が一人出てすら、元禄の俳諧はめちゃめちゃになった。そうして退屈な発句ばかりが、ほとんど親爺の数だけ満天下に流布したのである。それをまたさらに細かく引き離して、隅々で仲間理屈にうなずき合っていたのでは、果たしてなつかしい昔の俳諧は復活するであろうかどうか。この点ばかりは何分にもまだ私には笑えない。」

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