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山竹伸二『共感の正体 : つながりを生むのか、苦しみをもたらすのか 』

☆mediopos2691  2022.3.30

共感はよいことなのか
そうではないのか

その問いは
善と悪への問いにも似ている

悪とは時季外れの善だという捉え方がある
おなじことでもTPOが異なれば
善も悪になり悪も善になり得るということだ

さらにいえば
共感と反感は同じベクトル上にあるから
共感が強まればそのぶんだけ
逆ベクトルの反感が強まることになる

強く共感を求めるということは
承認欲求を強く求めることでもあるから
その分だけ承認されない不安も強まっていく

共感はつながりを生み相互信頼を育むこともできれば
それそのものが苦しみをもたらすことにもなるが

共感はとても大切な働きをするだけに
それがどのように働くかを理解し
ネガティブなところまで受け容れられるかどうかは
私たち一人ひとりの「成熟」にかかっているといえる

本書ではきわめて誠実な仕方で
共感のプラスの側面と
マイナスの側面について論じられ
いかにしてマイナスの側面を減らして
「よりよい形で共感を生かせるようにする」かが
探求され提言されているが
著者も「あとがき」の最初に記しているように
たしかに「共感はとても疲れる」のだ

共感と反感は同じベクトルの反対向きの力だから
共感を求めようとすればするほど
同時に逆の方向にも力は強まり
「とても疲れ」てしまうことは避けられない

その意味でもじぶんが疲れすぎない範囲に
共感をセーブすることも重要な態度になるだろう

そして共感をセーブするためには
じぶんの共感が正常に働くことのできる許容範囲を
じぶんでわかっていなければならない
それが「成熟」ということでもある

その「成熟」においては
共感について理解する程度に応じて
感情的なキャパシティも広げておく必要がある
感情的になることは感情が未成熟なためなので
感情的になるときはじぶんのキャパシティが
まだそこまでには達していないと理解したほうがいい

「共感は感情の共有であり、自己了解と同時に
他者了解が生じている」という示唆もあるが
結局のところいかにじぶんを
他者のごとくみなせる力を得るかということでもある
そうでなければじぶんがどういう共感-反感の
ベクトル上にあるかが見えなくなるからだ

共感にかぎらず現代の諸問題は
同じベクトル上の片方だけを求めて
逆のベクトルを許容できないことにあるようだ
安心・安全を求める度合いに応じて管理は強まってくるし
平和を求める度合いに応じて戦争は胎まれてくる

現代は「とても疲れ」てしまう時代だが
だからこそそれが許容範囲を超えないように
じぶんの力を極端なまでに片方にシフトさせることなく
それが受容可能になるまでじっくりと「成熟」を待つことだ

■山竹伸二『共感の正体 : つながりを生むのか、苦しみをもたらすのか 』
 (河出書房新社 2022/3)

(「はじめに いまなぜ〝共感〟か?」より)

「いま、かつてないほど「共感」が注目を集めており、書店でも共感をテーマとした書籍が溢れている。
 たとえば「共感」という言葉が登場し、共感力アップが社会生活において重要であり、対人関係において有利になる、という主張をしばしば耳にする。共感力とは、相手の考えや気持ちを察することができて、その気持ちに寄り添い、「わかるよ」「同じだよ」と応えることのできる力である。当然のことながら、こうした力を持つ人間は仲間に愛され、組織において評価されやすい。共感力はコミュニケーション力でもあり、この力を持っている人ほど、優れた人間、善良な人間とみなされ、円滑な人間関係を築けるのである。
(…)
 共感のこうした特質は、多くの人にとって自明のことであり、経験的に理解していることでもある。それゆえ、看護や介護、保育、カウンセリングなど、対人ケアの現場では古くから共感が重要視されてきた。
(…)
 また、近年ではビジネスシーンにおいても共感に注目が集まっており、共感力は成功をつかむ上で重要な力とみなされている。ビジネス書のコーナーを見ても、共感の必要性や今日権力の磨き方について述べた書籍は少なくない。

(…)

 共感の及ぼす影響は行為範囲にわたっている。共感力を身につけることは、相手を理解し、よりよい人間関係をもたらすだけでなく、社会的な成功にもつながっており、共感の欠如は孤立と挫折に直結している。共感できるからこそ、他者の信頼を得ることが可能になり、共に生きているという充実感、連帯感を抱くことができるのだ。
 一方、共感された側にも多くのメリットがある。まず、自分の気持ちが受け容れられたことはの安心感、ありのままの自分が認められたことへの安堵感がある。共感は悲しみや不安をやわらげ、喜びを大きくしてくれるのだ。それだけではない。苦しみを知った相手は単に共感を示すだけでなく、こちらが楽になるよう具体的に行動し、手助けしてくれることもある。共感は同情を生み、相手を救おうとする利他的な行為につながりやすのである。」

「しかし、共感することは、必ずしもよいことばかりが待っているわけではない。
 共感力があって相手の考えや気持ちを察知できれば、確かに相手の意に沿った行動をし、相手を喜ばせる言葉を紡ぐことができる。それは円滑で良好なコミュニケーションを可能にし、友人関係や恋愛関係、ビジネス関係などにおいて、失敗を減らし、成功をもたらすに違いない。
 だが、本当に共感できているうちはよくても、全てに共感できるわけではないし、次第に無理をして相手に合わせる場面も増えてくるかもしれない。多少違和感を覚えても、相手の気持ちが理解できるだけに無視できず、同調してしまうこともあるだろう。無理をして相手に同調し続けていれば、次第に強いストレスを感じ始め、疲労感と苦しみをもたらすことになる。」

 昨今、同調圧力が社会問題として注目されているが、それは現代社会に承認不安が蔓延しているからだ。周囲に認められない不安があるからこど、相手に認められるように同調し、忖度する人が増えている。共感力は相手に同調する上で役立つが、なまじ相手に合わせられるため、その関係から抜け出せず、苦しむことにもなりやすい。
 それだけではなく、共感すること自体に苦しみがともなうことも少なくない。

(…)

 近年では、感受性が高く、繊細すぎる人、敏感すぎる人のことをHSPと呼び、感じすぎるがゆえの苦しみを抱えた人について、その苦しみを解消する方法を解説した書籍が増えている。」

「なるほど、共感力を身につけることはコミュ力向上に直結しているため、周囲に認められる道が開かれる面もある。しかし、たとえ共感力が増して認められたとしても、共感のしすぎで苦しみが増えるなら、あまり望ましい状況とは言えない。同調し過ぎれば苦しくなるし、自分の自由を感じることができなくなる。相手の気持ちがわかるがゆえに、相手の苦しいに反応して疲れ果てたり相手の意見を尊重せざるを得なくなる。相手の気持ちを忖度し、同調した挙句、自由を失ってしまうのだ。
 最近では、こうした同調や忖度を批判し、そのような態度はやめるべきだ、という主張が増えているように思える。」

「共感できるからこそ、相手の苦しみを理解し、助けることができるのも事実であり、共感は人間の道徳性、利他的行為において欠かせないものであるように見える。共感があるからこそ、私たちはお互いを思いやり、助け合うことができるのであり、だとすれば、過度な共感はリスクをともなうとしても、やはり共感力はあったほうがよいのではないか。
 だがこの点についても、近年、批判的見解は出始めている。共感に基づく利他的行為は危険である、という主張が目立つようになってきたのである。」

「このように、共感ブームと拮抗する形で、反共感論の主張を少なからず目にするようになった。それらは共感の本質に関わる重要な問題提起となっており、共感を考える上で決して無視することはできない。(…)
 共感は本当に相互理解と協調、平和をもたらす自然の恩恵なのだろうか?
 それとも、不安や自由の喪失、憎しみ、差別をもたらす、悪魔のささやきなのか……?

 謎を解き明かす鍵は、共感の本質的な理解にある。

(…)

 共感をより有効に活かす道を考えるためには、そもそも「共感」とは何なのか、その本質を明らかにすることが必要になる。誰もが納得するような共感の意味(=本質)を考えることで、共感によって生じるリスクを回避し、より有効に活かす道が見えてくるはずなのだ。」

(「第4章 共感とは何か/現象学から本質を問う」より)

「(1)共感が生じる経験は、①「情動的共感」と②「認知的共感」の二つに分けられる。」

「(2)共感の質は心の発達、特に自己の確立と認知の発達にともなって変化する。」

「(3)他者の共感によって「得られる自己了解と「存在の承認」。」

「(4)心理的距離、空間的距離の近い人ほど共感が生じやすい。」

「(5)共感力には個人差がある。」

「(6)共感は感情の共有であり、自己了解と同時に他者了解が生じている。」

「(7)共感は他者理解をとおして他者のためになる行動(利他的行動)を生む。」

「(8)共感は喜びだけではなく、苦しみを生む場合もある(共感的苦悩)。」

「(9)共感はお互いを理解し、協力し合う基盤となり、文化・社会を形成する。」

(「おわりに」より)

「共感は人と人のつながりを生み出す最も重要なものである。共感があるからこそ、私たちは孤独から抜け出し、勇気を持つことができる。自分の気持ちが受け容れられたように感じ、自分の存在価値に自信を持つことができる。私たちが共に助け合い、協力して生きることができるのは、単に自分が助かるからというわけではない。共感によって他者とのつながりに喜びを見出し、お互いの価値を感じ合うことができるからなのだ。

(…)

 大事なのは共感に頼らないことではなく、共感のデメリットを減らし、よりよい形で共感を生かせるようにすることだ。

 信頼できる人の共感を介して自己了解できれば、共感的苦悩と不安を緩和し、冷静さを取り戻すことができる。熟考して理性的な判断ができれば、共感による早まった行動を抑制し、歪んだ正義や利他的行為の過ちを減らすこともできるだろう。また、多様な人々の身になって考える視点、力を身につければ、排他的共感に陥ることもなく、むしろ協調的共感が生まれ、より強いつながり、助け合いが拡がっていくに違いない。

 楽観的と思う人もいるかもしれないが、私はそうした未来の可能性を信じたい。」

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