岡崎乾二郎『而今而後─批評のあとさき (岡崎乾二郎批評選集 vol.2) 』/ユング、パウリ『自然現象と心の構造/非因果的連関の原理』/『論語』
☆mediopos3539(2024.7.26)
岡崎乾二郎批評選集vol.1
『感覚のエデン』(2021年)に続き
vol.2『而今而後(ジコンジゴ)』が刊行された
そのなかから冒頭に収められ
標題ともなっている「而今而後」をとりあげる
「而今而後」とは
「いまから後、ずっと先も」の意味で
『論語』の「泰伯第八」から引かれている
内容は以下の通り
曾子が病気にかかったとき門人たちをよんで云った
「詩経には「おそれつ戒めつ、深き淵をのぞむごと、
薄き氷をふむがごと。」とあるが、
これからさきはわたしももうその心配がないねぇ、君たち」
「いまから後、ずっと先も」というのは
「第Ⅲ章「何事のおはしますかはしらねども」著者解題」で
以下のように示唆されていることと深く関係しているようだ
現代は未来に希望を託すというよりも
世界の終末に向かって「死を引き延ばしているにすぎ」ず
「いかなる理念も持たない彼ら、空虚な独裁者たち=政治家たちが
残されているだろう短い世界の持続時間と、
せいぜい長くても一〇年、二〇年程度の自分たちの権力の持続時間を、
一致させようと考えているように見え」る
そして「ただ、その残された時間を蕩尽、占有することこそ、
自分たちに残された最後の政治的課題である————と」
そして確実視される世界の終末を予期することを担保として
「愚かさ、悪行のハイパーなインフレが起こる」・・・
いま私たちに必要なのは
こうした認識をすべて裁断し
その認識が「依拠していた時間として空間」を
否定し終わらせるということだという
そうした終末論的な世界観の枠組みが崩壊したあとも
「而今而後(いまから後、ずっと先も)」
「世界は終わらない。わたしが終わっても、
そのわたしを生成させた世界は終わらない。」
「世界は世界を生成させる力を持ちつづける」というのである
そのように岡崎乾二郎の「批評」の言葉は
いわゆる単なる芸術批評にとどまるものではない
哲学や社会の根底にある認識そのものに対する批評でもある
「芸術」は世界を生成させる認識の力として
成立し得なければならない
そのための端緒として
冒頭に収められた「而今而後」では
「わかる」ということがとりあげられている
「わかる」とは「分かる」「解る」
つまり「分解」することにほかならない
そのことによってあらたに
認識は甦らなければならない・・・
「私(たち)の感覚諸器官が直接的に感受していた」
「ばらばらの断片」の集合から
「今後なんらかの有意を持つ連合が作り出されるとしても、
それらの連合はきわめて恣意的」で
「再び何かが一つの確実な実感=概念として立ち現れ、
私(たち)がそれを納得し了解する、
つまり〈然り〉と「わかる」のは、かなり困難な道」
であるにもかかわらず
それは「案外ふと訪れる」(訪れないかもしれないが)
いわゆる「会得する」「合点する」「身につく」・・・
しかしその「訪れ」のためには
いちど「分解」されなければならないのである
そのことによってこそ
「私(たち)はこの不可能な経験が再び、
唐突に「甦る」ように再帰するのを実感できる」
しかも「わかる」というプロセスは
「他の誰かに受け渡すことも
代わってもらうことも決してできない」もので
「個々の生の内実(それは精神とか心とか呼ばれる)の
固有性、唯一性を他者が奪うことは許されない。
当人だけが引き受けるしかない」
「唯一性」の「わかる」というプロセスに他ならない
その唯一性の「甦り」のプロセスにおいて重要なのが
パウリとユングがシンクロニシティをめぐり示唆している
「感覚知覚と概念の間の橋渡しをするもの」であり
それはいったい何なのかを問うことである
昨日のmediopos3538でも
シュタイナーの『自由の哲学』における
知覚内容と概念を豊かに結びつける「思考」についてふれたが
その「思考」は一元論として自明なものとされ
その内実はいわばブラックボックス化されている
おそらくその「思考」とされているものこそが
「橋渡しをするもの」だとすれば
それこそが「世界を生成させる力」
その唯一性の「甦り」に関わる力であり
まさにそこにこそ本来的な「芸術」が
(「芸術と呼ばれているモノの
ほとんどすべてがそれと無縁だとしても」)
切に求められなければならないのではないだろうか
■岡崎乾二郎『而今而後──批評のあとさき (岡崎乾二郎批評選集 vol.2) 』(亜紀書房 2024/7)
■岡崎乾二郎『感覚のエデン (岡崎乾二郎批評選集 vol.1)』(亜紀書房 2021/9)
■C・G・ユング、W・パウリ(河合隼雄・村上陽一郎訳)
『自然現象と心の構造/非因果的連関の原理』(海鳴社 1976/1)
■『論語』(金谷治訳注 岩波文庫 1999/11)
**(岡崎乾二郎『而今而後』〜「而今而後」より)
・而今而後 1
*「私はわかった、などとあえて言挙げしなくても、誰でも長く生きていればわかることはある。誇らしいことなかりではない。〈この事柄〉については、わからないまま生を終えてしまうだろう、とわかることもあるし、私の知る〈この事柄〉をもう誰もきっと知ることはないだろう、とついにわかる場面もある。反対に、あの人(あるいはこの動物)が経験し、知り、感じたことは、とうとう誰にもわからないままなのだろう、とその理(断り)を思い知るときがある。
いったい何かを理解すること、何かが「わかる」とはどういうことなのか。言葉として「会得する」とか「合点する」の方がぴったりする気もする。言い換えれば、ゆえに「わかる」とは一つの実感である。「会得する」も「合点する」もこの実感に合う。あるいは「身につく」という。が、身についたものを当の本人がわかっているとも限らない。自分の身に生じていることは往々にしてわからないものだ。知らずに自分の身体が行っていること、身体で生じていることなど気にしだしたら止めどがなくなる。」
*「経験論の考えに基づけば、自然法則は、ひたすら経験から導かれた蓋然性として得られることになる、はずだが、そんな億劫なプロセスを信じる科学者はかなり以前に消え去っている。物理学者ですらたいがいは直観とか関心の志向こそが概念の発展に重大な役を果たしていて、自然法則の体系の構築もこれが可能にしていると考えているらしい。けれど、そこに「一つの問題が生じる」とW・パウリがある論の中で述べている。いわく「感覚知覚と概念の間の橋渡しをするものの本性は何か、という問題である」(W・パウリ「元型的観念がケプラーの科学理論に与えた影響」[1952]/C・G・ユング、パウリ『自然現象と心の構造』河合隼雄・村上陽一郎、海鳴社[1976]所収)。」
*「「わかる」を漢字で書けば「分かる」であり「解る」である。すなわち分解すること、一つであった身体をばらばらに解体してしまうことか。分解して何かがわかるわけではない。そうではなく、分解という物理的な解体作業が、一つの実感そのものまでも解体してしまうことが大切なのだ。機能的に考えれば死とはこういうものだろう。ばらばらにして現れるのは、帰するはずであったところの私および、私(たち)の生活との結びつきを解かれ、現実的意味を失った物理的な断片である。が、この物理的な断片のようなものに接する感覚は往々にして、よほどリアルに生起する〈物〉だった。
そもそも私(たち)の感覚諸器官が直接的に感受していたものは(当然、いまだ現実的意味を与えられる以前の)ばらばらの断片だったからである(これこそが一九世紀以来の近代芸術が発見した、その近代性と呼ばれる性質の核心だったのはおなじみの話である)。
ひとことで言って、こうして、ばらばら(無数の感覚情報の集合)に分解されてしまえば、客体も主体も(物質も精神も)領域の曖昧さにおいて溶け合ってしまう。その集合から、今後なんらかの有意を持つ連合が作り出されるとしても、それらの連合はきわめて恣意的であるほかない(概念——意味とは、この任意の連合にすぎない)。:
*「夏目漱石が陥った病のように、分解したあげくに「わかる」ことはとりあえず、あらゆる自明性(当然と思っていたもの)が不確かであやふやな根拠しか持っていなかったということだった。それに来れば、分解され、てんでんに蠢きはじまた物理的断片の知覚的強度ははるかに強力である。この散り散りに破砕、離散し解像度(強度)を高めた感覚の刻印の群れから、再び何かが一つの確実な実感=概念として立ち現れ、私(たち)がそれを納得し了解する、つまり〈然り〉と「わかる」のは、かなり困難な道のようにも予想される。
が、これは案外ふと訪れる。でなければ「わかる」という言葉は意味をも持たず(失ったまま)、いかなる経験も経験としてなされえないだろうか。
いわば分解することによってこそ、私(たち)はこの不可能な経験が再び、唐突に「甦る」ように再帰するのを実感できるのである。誰でも一度は自分が生まれかわったことを実感したことがあるように、それが「わかる」。が、もちろん、必ず蘇生できるとも限らない。」
・而今而後 2
*「個々の人間の生がかけがえのないものとされてきたのは、個々の人間に生じる以上のようなプロセスが、他の誰かに受け渡すことも代わってもらうことも決してできないからだった。個々の主体が担う、生まれてから死ぬまでの過程、その過程で感じたり考えたりするだろう事柄は、決して、その過程の外に転置することはできないし、他の何かに代置することもできない。ゆえに個々の生の内実(それは精神とか心とか呼ばれる)の固有性、唯一性を他者が奪うことは許されない。当人だけが引き受けるしかない、だからこそ本人がそれを守るために抗うことをも許される権利と見なされてきた。この権利を否定し消去することは決してできない(不可能である)。」
*「この唯一性は決して代置できない、と言うと、決して「わかる」わけもない、と言っているようにも聞こえるだろう。蓋し「わかる」とは、何かに置き換わったときにこそ起こる事態であり、置き換わったはずなのに何かがまだある、あるいは以前よりもくっきりとある、という自覚こそ「わかる」ということだったはずだから。しかし一方で(先に書いたように)、個々の生の過程(生から死に至る過程、あるいは死という終わりから、意識が個々の生の条件に向けて遡行する過程)とは、むしろ、この「わかる」過程にほかならなかったのである。
これこそ蘇生すること「甦り」という事柄の本質であるはずだった。端的に言えば「わかる」とは自分の生の固有性、唯一性をくつがえす行為(つまり生を転覆する行為)であり、精神の自発性とはこの転覆にこそ由来する。」
*「精神はその存在(延長)可能性を物理的に否定されることによってのみ、精神として自律し存在しはじめる。さらに自律したとき、精神は自らの限定条件に対して嘘をつくこと(=その固有性を偽りに延長し、すり替えてしまうこと)の自由を得る。然るに、精神とは物理的な意味における抵抗である。あるいは反撥である。」
・而今而後 3
*「芸術を必要としていたのは、いつでも死という宿命だった。死を受け入れ、死に飛び込み、なお死から引き返すことのできた、わずかの「残り滓」がそこにあった。それがなければ芸術という不充分な言葉をあえて使う必要もなかった(できれば避けたい)。実際に芸術と呼ばれているモノのほとんどすべてがそれと無縁だとしても、それでもこの言葉は「甦り」の可能性に触れている。必ず「残り滓」こそが、すなわち物質と概念、「感覚知覚と概念の間の橋渡しをする」可能性である。」
*「芸術は、像でも情報でもなく単なる感覚でもない、感覚与件から概念、いや、より直截的に言えば、生から死への過程に代表されるような受苦の道行きであり、その地図であり構造だ。地図であるからには、誰もが同じ道行きを歩くこともできよう。しかし、それは困憊と傷痍を伴い、やがては必ず死に至らなければ完遂しない。つまり一回きりである。死なしに感覚は感覚として全うしな。感覚の強度はあらゆる概念の死、その不可避によって支えられている。この耐えがたき強度ゆえに反対にあらゆる概念も誕生しうる。したがって死はつねに単独であり唯一である。
ただ、それでも、私(たち)は(残り滓)としてそこに見出される他者の死を自分のものとして(幾度も)受け取ってしまっている。私もそこで(必ず)死ぬだろう(つまり、この他者の死は、私の中だけの出来事としていま、ここに起こっている)。こうして(繰り返す、不可避の)死によって、精神がかろうじて、そこにとどまることを私(たち)は知る。もはや誰にも属さない精神が、まだここに(もう世界に属さないゆえに、決して消去できないものとして)残っている。」
*「芸術における死は、このようにしていかなる概念にも属さないものとなる。ゆえにいかなる人間にも帰属しえない。ついには死という概念そのものにも属さないものにまで昇華もする。
連続する時間の中でただ一回きりのはずの出来事——死が、再び、いまこの私の内に起こる。その死はもはや私のものである。誰にも代理できない痛みを持って私は、その死とともに再び産まれる。而今而後。」
・「「而今而後」についてのノート」より
*「タイトルとなった「而今而後」は『論語』の「泰伯第八」から引かれている。『論語』から該当部分の書き下し分及び訳文を引けば、「曾子、疾(やまい)あり。門弟子を召(よ)びて曰わく、予(わ)が足を啓(ひら)け、予が手を啓け。詩に云う、戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)として、深淵に臨むが如く、薄冰を履(ふ)むが如しと。而今(いま)よりして後、吾れ免るることを知るかな、小子」(=曾子が病気にかかったとき、門人たちをよんでいった、『わが足をみよ、わが手をみよ、詩経〔小雅・小旻篇〕には「おそれつ戒めつ、深き淵をのぞむごと、薄き氷をふむがごと。」とあるが、これからさきはわたしももうその心配がないねぇ、君たち』」)(『論語』金谷治訳注 岩波文庫〔1963〕)となる。」
**(岡崎乾二郎『而今而後(じこんじご)』
〜「第Ⅲ章「何事のおはしますかはしらねども」著者解題」より)
*「芸術の終焉、絵画の死、あるいは建築、文学の死という言葉はすでに六〇年近く前から蔓延していました。一九八〇年代以降には、この言葉は共通認識のように広く流布しました————決定的な成果はすでに達成され、やり尽くされた。ゆえに、それらの仕事をなお続けるべき理由は喪失している。いまは意義を失い抜けがらとなった残骸の無限反復だけが亡霊の営みのように残されている————などという認識が共有されていたのです。いわゆるポストモダンとして歴史以後の世界観です。
ここで言われているのは、大きな認識の変化も社会構造の変化ももう訪れない、つまり歴史は完結して閉じてしまっている、という認識に他なりません。何が起こってもそれはいままでの反復としてしか認識されえず、消費され、消えるだけである。すべてはすでに書かれた歴史をなぞっているだけであり、すでに終わったもの、死を引き延ばしているにすぎない。というのは、認識構造、そしてそれに基づく社会構造が同一のままである限り、自明の事柄だったはずです。は、閉じているのはその認識です。」
*「いかなる理念も持たない彼ら、空虚な独裁者たち=政治家たちが残されているだろう短い世界の持続時間と、せいぜい長くても一〇年、二〇年程度の自分たちの権力の持続時間を、一致させようと考えているように見えます。その最後に残された時間を逃げ切ろうとしている。彼らはこう考える————世界の終末の前、死の前において、どんな暴虐もない。それを審判する時がもう来ないのだから。そして、ただ、その残された時間を蕩尽、占有することこそ、自分たちに残された最後の政治的課題である————と。」
*「繰り返せば、ここで「終焉」「死」とは認識の限界——消失点にすぎません。その消失点があらゆる無知、愚かさ、悪行が向かい収斂していく点として想定されている。この点が確定されてしまったとき、その予測のもとにすべての罪はあらかじめ解除、免罪が約束されている、だから開き直れる。世界の終末は確実視されるが、この予期を担保にして愚かさ、悪行のハイパーなインフレが起こる。
ところがその世界(そしてこのわたしもこの社会も)が終わっても、世界は終わらないことをわたしたちはもう知っている。いまの歴史、いや時間そのものが終わっても、その先に世界があること、すでにあったことを知っている。
断裁されるのはいままで述べてきたような認識すべてです。その認識にもとづいた人間、社会、世界、それらが拠っていた時間、空間という枠組みが否定される。終わるのはわれわれの認識とそれが依拠していた時間として空間です。
この世界の枠組みが崩壊しても、つまり私たちの世界が終わっても、世界は終わらない。わたしが終わっても、そのわたしを生成させた世界は終わらない。世界は世界を生成させる力を持ちつづける。たえず時間、空間つまり世界は生起している。この世界の外、この時間の先で、世界は起こりつづける。」
**(岡崎乾二郎『感覚のエデン』〜「感覚のエデン————蛇に学ぶ」より)
*「感覚と存在、感覚と真理(イデア)を分けるという誤った図式があります。存在や真理は認識であり物質ではない。感覚は(物質によって起こされる事実であり、つまり)物質です。存在や真理を食べることはできません。食べることができるのはむしろ感覚です。林檎を食べているのではない。セザンヌがそう考えたように、赤という感覚こそを私たちは食べているのです。だから決して林檎は知恵の実ではない。林檎とは無数の感覚が作り出す、いわば星座なのです。音楽は星座です。絵画とは星座です。それは無数の感覚のさまざまな方向への運動、物質的な運動の交錯が作り出す編成体です。」
□岡崎乾二郎『而今而後』【目次】
Ⅰ 而今而後:あとさきへの思慮
而今而後
数万年後の「いまでも」
333からトビウツレ
一人のなかの妖怪たち
礼楽の問題
用がすんだら、片づける
認識の三重苦
第Ⅰ章 著者解題
Ⅱ 非同期性:一致しえないものが一致することの意味
無関係性あるいは非同期性を考察するための差し当たっての注意
非同期性について
現代美術とセンチメント
センチメントと形態
でもの哲学
Before And After Article 9:そして誰もいなくなる
ドアはいつも開いている。
ディランの頭蓋を開ける。:ディランの思想、夢を覗く
愚かな風
第Ⅱ章 著者解題
Ⅲ 何事のおはしますかはしらねども
雨の中に流れる涙。:“PUBLIC ART” の「領域」
日々の諍い、あるいは法外な経験
to be continued :ビリー・クルーヴァーとE.A.T
美術館における現在 メモ
一億年前の森の中で
第Ⅲ章 著者解題
Ⅳ 配景的対応
弱い身体/強い身体
クール
助動詞的空間
天国と地獄
形態の黴
「ウォッチタワー」から「ウォッチマン」へ:二〇年ぶりのジャスパー・ジョーンズ展
絵画の上の「うわの空」:追悼リキテンスタイン
別の美術館:ラウシェンバーグ回顧展
知覚のカルタ:「没後20年 熊谷守一」展
起源なき夢:建築家アルド・ロッシの死
富士山の曲げごこち:描写の限界
空間の捻挫:描写の限界2 藤森照信《秋野不矩美術館》
落ち葉の気持ち:「近代日本美術の軌跡」展
吉田五十八の呪縛:あらかじめ解かれていた問い
デジタルな感傷:モボ・モガとクラフトワーク
二〇世紀の通常建築:「建築の20世紀」展
蝿をくっつけた蝿取り紙:「ポップ・アート 20世紀の大衆芸術革命」展
返景:「クロード・ロランと理想風景」展
配景的対応:現在望みうる最高のブラック展
菱田春草を見る
第Ⅳ章 編集部解題
Ⅴ アトピーな報せ
彫刻の支持体
ホームレスについて
カテゴリー:移行する記述の運動、としての批評
「芸術」をいかに使うか
放射能/芸術:どこにも帰属しえないメディアとしての
倫理‐植物の報せ
まえがき/あとがき(誰か に教わったこと)
第Ⅴ章 著者解題
あとがき
図版引用・出典一覧
○岡崎 乾二郎(おかざき・けんじろう)
一九五五年東京生まれ。造形作家、批評家。絵画、彫刻、映像、建築など、ジャンルを超えて作品を創造するとともに、美術批評を中心に執筆を続けてきた。一九八二年のパリ・ビエンナーレに招聘されて以来、数多くの国際展に出品し、二〇〇二年にはセゾン現代美術館にて大規模な個展を開催。また、同年に開催された「ヴェネツィア・ビエンナーレ第8回建築展」の日本館にディレクターとして参加するなど幅広い活動を行っている。
主な著書に『近代芸術の解析 抽象の力』『感覚のエデン 岡﨑乾二郎批評選集 vol.1』(共に亜紀書房)、『絵画の素』(岩波書店)、『頭のうえを何かが』(ナナロク社)、『ルネサンス 経験の条件』(文春学藝ライブラリー)、『芸術の設計』(編著、フィルムアート社)、『れろれろくん』(ぱくきょんみとの共著、小学館)、『ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ』(谷川俊太郎との共著、クレヨンハウス)、『絵画の準備を!』(松浦寿夫との共著、朝日出版社)、『白井晟一の原爆堂 四つの対話』(共著、晶文社)。作品集に『TOPICA PICTUS とぴか ぴくたす』(urizen)、『視覚のカイソウ』(ナナロク社)、『Kenjiro OKAZAKI』(BankART1929)など。