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堀部安嗣「建築の対岸から」〜「若松英輔にきく、身体の内に建てる家とは? 前編・後編」(Webマガジン「考える人」)/ユング『ユング自伝 2―思い出・夢・思想』

☆mediopos-3102  2023.5.16

Webマガジン「考える人」の
建築家・堀部安嗣の「建築の対岸から」の連載
2023年5月10日付の記事で
「若松英輔にきく、身体の内に建てる家とは?」
(前編・後編)が掲載されている

家は私たちの「外」に建てられる建築物だが
若松英輔はマイスター・エックハルトの
「人は心の中に神だけが住む場所を持たねばならない」
須賀敦子の「霊魂の中に秘密の小部屋をつくりなさい」
という言葉を紹介し
それらが「心の中に家を打ち建て、そこを大切にせよ」
ということを言っているのだという

それにもかかわず
現代の建築の多くは〈消費〉するためのものとなり
「ステイホーム」も建築家にとっては
ただの「ビジネスチャンス」と化している(堀部安嗣)

そして「本当の自分自身とつながれるはずの家という場所で、
今日ではインターネットを通じて会社とつながってしま」い
家での自由で創造的な「孤独」の時間さえも
スポイルされるようになっている(若松英輔)

またいまでは「家に限らず、街や道路などの公共空間にも
孤独の置き場がなくなっていて」
かつてあった「『ドラえもん』のなかに出てくる
土管が置かれた空き地のような場所」も見当たらない
(堀部安嗣)

今の子どもたちはマンガで描かれる広場の土管をみても
それがいったいなにを意味しているのかさえ
わからなくなってしまっているだろう

現代の価値観は
〈消費〉され価格化できる「バリュー」の方向へと進み
「時間が経てば経つほどその価値が定まってくる」
そんな「古いからこそ古くならないモノ」
「古さの価値」がわからなくなってきている
つまり〈消費〉されるものは「古くなれない」
ただ〈劣化〉していくだけなのだ
(若松英輔)

いつでもスマホを手にしてつながっていようとする
現代のもっとも典型的なシーンは
「孤独」を恐れ自分自身にさえ
つながれなくなっていることを象徴的に表している

かつてユングはボーリンゲンに石で「塔」を建て
隔離された部屋で独りになり
「自分の本来的な生をいき、もっとも深く私自身」に
なろうとしたことを自伝に記している

ユングが必要とした錬金術的な意味での
「個性化」のための場所である
「塔」のような場所・建物を実際に造り
そこで孤独な時間を持つことは今では難しいだろうが

なんらかのしかたで
じぶんのなかに「塔」をつくり
そこで創造的で自由な「孤独」な時間を過ごす
そんな経験から遠ざかり続けていると
わたしたちの魂は
〈消費〉によって〈劣化〉していくばかりだろう

■堀部安嗣「建築の対岸から」〜
 「若松英輔にきく、身体の内に建てる家とは? 前編・後編」
 (Webマガジン「考える人」2023年5月10日)
■カール・グスタフ・ユング(アニエラ・ヤッフェ編/河合隼雄・藤繩昭・出井淑子訳)
 『ユング自伝 2―思い出・夢・思想』(みすず書房 1973/5)

(「若松英輔にきく、身体の内に建てる家とは? 前編」〜「家とは魂の神殿である」より)

堀部/私は柱を建てたり、屋根を架けたり、いわば人間の身体の外部にあるものをつくってきたんですけれど、若松さんの本を読み、その言葉に触れると、自分の身体の内側に部屋が用意されるような、建築がつくられていくような思いがしたのです。良い言葉に出会い、自分の身体内側にある部屋が開かれていくとでもいうか……。

若松/ありがとうございます。そのお話で思い出すのが、私たちの魂はもう一つの神殿である、という言葉です。

堀部/どういう意味ですか?

若松/私たちは、心の内側に神と向き合う場所を、つまり祈りの家をもたなくてはならない、ということです。私はカトリックなのですが、これは、カトリック思想に、そしてユングに至るまでのドイツ神秘主義に多大なる影響を与えた、中世ドイツの司祭で神学者の、マイスター・エックハルトの言葉です。彼はまた、人は心の中に神だけが住む場所を持たねばならない。しかし人々はそこを神との取引や商いの場所にしてしまっている、とも言っている。

堀部/なるほど、とてもよくわかります。

若松/もうひとつ、作家の須賀敦子さんが若いころに書いた「シエナの聖女」というエッセイには、聖女カタリナの「霊魂の中に秘密の小部屋をつくりなさい。(中略)そこに入って、おはじめなさい。自己の探求を、ひいては、神の探求を」という言葉があります。二人とも心の内なる場所――そこはいわゆる「真善美」を認識できる場所でもあると思うのですが――の存在を指摘し、私たちがそこをどのように守っていくか、あるいはどのように用いるかを問うているのでしょう。

堀部/二人とも心の中に家を打ち建て、そこを大切にせよ、と言っているのですね。

若松/ええ、堀部さんの作品集を眺めつつ、物理的な建築物も、この魂の神殿のように、ヒトが〈人〉になっていくための場所であり、また本当の自分自身と出会える場所だったのではないか……などといったことを考えていました。

堀部/私はときに建築をつくることの意味が見出せなくなることがあるのですが、そんなときにはある一つの情景を思いだすようにしています。
 二人で雪山を歩いている。寒くて、空腹で、睡魔にも襲われ、同伴者とは会話もなく、心が閉ざされてゆく。そんな中で小さな小屋に出会う。窓から漏れる暖かい光や暖炉からの煙を見て、安堵感や安心感がもたらされる。そして小屋の中に入ると、暖をとったり、食事をしたり、眠ったり、同伴者と会話をしたり、外の雪山ではできなかった人間らしい営みができるようになる。ほんの小さな小屋だけれど、これこそが私が建築に求めるもの、建築の力なんだ、と感じるのです。この小屋においては、人の心の中の情景と身体の外の環境が無理なくつながっており、人の営みは、国籍や人種や思想の違いを問わないもので、ここには建築がもたらす理想的な状況があるように思うのです。

若松 なるほど、それは、私たちの中で本当の意味での〈用〉がはじまるときの姿だと思うんです。〈用いる〉とは、その対象を育てていくということで、たとえば本は書店に並んでいるときは、まっさらな存在だけれど、読者に読まれることによってはじめていのちを帯びる。そんなふうに、家や建築も用いられることによって生き生きとした本来の姿になってくるのではないでしょうか。」

「堀部/〈住む〉という言葉はもともと〈澄む〉という言葉からきているそうなんですね。つまり家なり建築なりに〈住む〉と、生活が安定して、心が澄み渡っていくということが語源にあるのでしょう。先ほどの雪山の小屋の話もそうなんですが、私は建築というのは、もともと他の動物に比べ身体的に弱い人間をまもるために生まれてきたものだと考えているんです。ですから、建築を建てるときには、若松さんもよく書かれているように、その〈人間の弱さ〉を認めるところから始めなくてはならないと思うのです。

若松/おっしゃるとおりですね。私たちが家にいるときって基本弱い状態にあるときですよね。たとえば寝ているとき。

堀部/いちばん無防備ですよね。

若松/家は、無防備になれる場所だっていうことですよね。別な言い方をすれば、人は一度無防備にならなくては、もう一度立ち上がることはできないともいえる。弱さを全身で受け取れるということは、私たちが日々新生していくことにつながっているわけです。しかし現代では、こういった〈弱さ〉が持つ創造性が見失われていますね。

堀部/そうなんです。そこを見つめることをせず、強きもののための、強い建築ばかりをつくるようになってしまった。その反転した建築行為が、建築や住まいを〈消費〉することにもつながっているのでしょう。」

(「若松英輔にきく、身体の内に建てる家とは? 前編」〜「会社に侵食される家」より)

「若松/さきほど住むの語源のお話がありましたが、〈住〉という漢字はまた、人偏に主(あるじ)と書き、主は〈つかさどる〉とも読みますよね。つまり〈住む〉とは、自らをつかさどるということで、だから家とは、自らをつかさどる場所で、自らに由(よ)る、〈自由〉な場所であるといえるでしょう。そうして本当の自分自身とつながれるはずの家という場所で、今日ではインターネットを通じて会社とつながってしまっている。

堀部 ぐさりとくる言葉ですねえ。多くの建築関係者はステイホームを単なる「ビジネスチャンス」と捉えていますので……。

若松/会社が家に入ってくることの最大の弊害は孤独の時間が侵害されることではないでしょうか。孤独であるということの創造性、あるいは孤独であることの生の深まりは、家が担保してくれていたと思うんです。本を読んだり書いたり、設計もそうなのではないでしょうか。一人であるからできることがたくさんあって、そういう時間が奪われていくと自由や創造、安らぎが私たちの生活から消えていってしまう。

堀部 いまは、家に限らず、街や道路などの公共空間にも孤独の置き場がなくなっていますよね。若松さんと私はほぼ同い年ですが、子供の頃は『ドラえもん』のなかに出てくる土管が置かれた空き地のような場所がその辺にもっとたくさんありませんでしたか?

若松 ええ、ええ。

堀部 ああいった場所が、気づいたらいつのまにか駐車場とか有料のテニスコートとか、お金を生み出す場所に変貌していっている。おもしろいことに、お金を生み出す場所には孤独を受け入れるゆとりがないのです。時間制限もありますから(笑)。孤独は世の中の金銭や時間の感覚から最も遠いところに置かれなくてはなりませんね。」

(「若松英輔にきく、身体の内に建てる家とは? 後編」〜「古い本と古い建築」より)

「若松/たとえば「古い」という言葉も、大事にされたものと、単に古びたものが混同され、見分けがつかなくなっているんでしょうね。それこそ建築においても、いまあるものに新しい息を吹き込むのもとても大切なお仕事だと思うのですが、近代日本というのは、とにかく経済効果を優先して、壊す。つまり新築する。でも古くなるということは、悪いことばかりでなくて、本当にそのものらしくなっていくということでもある。私たちが、いわゆる消費しているものは、〈古く〉なる前に壊れてしまったわけですね。

堀部/〈消費〉され、風化ではなく、〈劣化〉するんですよね。

若松 逆にいうと消費されるものは、古くなれないものともいえるかもしれません。古くなるということは、育っていくということで、つまり時間が経てば経つほどその価値が定まってくるともいえる。その価値というのも、バリュー(value)、つまり価格化できるものでなく、英語でいえば、あの人は信頼できるというときに使うトラストワージー(trustworthy)、またはワース(worth)という言葉の方で、こちらは消費されない、量化できない価値です。

堀部/しかし私たちは全てをバリュー化してゆく方向に進んでいますね。たとえば〈ヴィンテージ(vintage)〉という語は、本来、古さの価値を示すとてもすてきな言葉だと思うのですが、これすらバリュー化されてしまっている。

若松 残念ながらそうですね。でも最近、あらためて古い本っていいなと思い直していて、たとえば武者小路実篤の戦前に出版された本なんかを、わざわざ古本屋で見つけては買って読んでいるんです。全集を持っているにもかかわらず。ほんの数百円なのですが、その金銭的価値とは無関係の、格別な味わいがあります。書き手だけでなくて、その本に携わった人たちの気持ちがあらためて伝わってくるような、古いからこそ古くならないモノが伝わってくるような感じがあるんです。」

(『ユング自伝 2―思い出・夢・思想』〜「Ⅷ 塔」より)

「学問的研究をつづけているうちに、私はしだいに自分の空想とか無意識の内容を、確実な基礎の上に立てることができるようになった。しかし、言葉や論文では本当に十分ではないと思われ、なにかもっと他のものを必要とした。私は自分の内奥の想いとか、私のえた知識を、石に何らかの表現をしなければならない、いいかれば、石の信仰告白をしなければならなくなっていた。このような事情が「塔」の、つまりボーリンゲンに私自身のために建てた家屋のはじまりである。」

「この隔離された部屋のなかで、私は独りになれる、部屋の鍵は常時手放さなかったので、だれも私の許可なしに、その部屋に入ることはできない。数年の間に、私は周りの壁に絵を描き、そうすることによって、私を時間から隔絶し、現在から無時間のなかに運び去ってくれたすべてのものを表現した。このようにして第二の塔は、私の霊的集中の場になったのである。」

「ボーリンゲンでは、私は自分の本来的な生をいき、もっとも深く私自身であった。ここでは、いわば私は、「母の太古の息子」であった。これは錬金術の巧みな表現である。というのは、私が子どものときに経験した「故老」、「太古の人」は、これまでも常に存在しこれからも存在しつづけるであろうNo.2の人格だからである。それは時間の外に存在し、母性的無意識の子なのである。私の空想では、それはフィレモンの形をとって、ボーリンゲンに再びその生を得たのである。」

「ボーリンゲンでは、私は静寂にとりかこまれて『自然とのおだやかな調和』のなかで生活した。幾世紀かの過去をさかのぼった考えが浮かんできては、それがまた遠い将来を先き取りしていた。ここでは創造の苦しみは影をひそめて、創造と喜びが一体となっていた。」

◎堀部安嗣
建築家、京都芸術大学大学院教授、放送大学教授。1967年、神奈川県横浜市生まれ。筑波大学芸術専門学群環境デザインコース卒業。益子アトリエにて益子義弘に師事した後、1994年、堀部安嗣建築設計事務所を設立。2002年、〈牛久のギャラリー〉で吉岡賞を受賞。2016年、〈竹林寺納骨堂〉で日本建築学会賞(作品)を受賞。2021年、「立ち去りがたい建築」として2020毎日デザイン賞受賞。主な著書に、『堀部安嗣の建築 form and imagination』(TOTO出版)、『堀部安嗣作品集 1994-2014 全建築と設計図集』(平凡社)、『建築を気持ちで考える』(TOTO出版)、『住まいの基本を考える』、共著に『書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』(ともに新潮社)など。

◎若松英輔
批評家、随筆家。1968年、新潟県生れ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年、「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選。2016年、『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞。2018年、『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞。同年、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、2019年、第16回蓮如賞受賞。2021年、『いのちの政治学』(集英社インターナショナル、対談 若松英輔 中島岳志)が咢堂ブックオブザイヤー2021に選出。その他の著書に、『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)、『悲しみの秘義』(文春文庫)、『イエス伝』(中公文庫)、『言葉を植えた人』(亜紀書房)、最新刊『藍色の福音』(講談社)など。

■堀部安嗣「建築の対岸から」〜
 「若松英輔にきく、身体の内に建てる家とは? 前編」
 (Webマガジン「考える人」2023年5月10日)

■堀部安嗣「建築の対岸から」〜
 「若松英輔にきく、身体の内に建てる家とは? 後編」
 (Webマガジン「考える人」2023年5月10日)


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