プラトン(土屋睦廣訳)『ティマイオス』/プラトン(岸見一郎訳)『ティマイオス/クリティアス』
☆mediopos3680(2024.12.16.)
プラトンの『ティマイオス』(土屋睦廣訳)が
はじめて文庫化された
ラファエロの『アテネの学堂』にはその中央に
プラトンとアリストテレスが並んで歩く姿が描かれているが
プラトンが左手に携えているのが『ティマイオス』である
一〇年ほど前に岸見一郎訳で
「クリティアス」と合わせたかたちで単行本化されたのも
全集以外でははじめてのことだったと思われるが
(ちなみに「クリティアス」では
「ティマイオス」でそのはじめに少しだけ語られている
「アトランティス物語」が引き続いて語られている)
「プラトニズムの長い歴史から見れば、
プラトンの対話篇の中で最も大きな影響力をもった著作」であり
「プラトニストのバイブル」とまで呼ばれた『ティマイオス』が
文庫化されたのは今回が初めて
推測にすぎないが
これまで文庫化されずにいたのは
『ティマイオス』を広く紹介することになると
そのなかで「アトランティス物語」が語られてもいるように
プラトニズムと魔術・オカルト思想との結びつきについて
語らざるをえなくなるところから
「哲学」をアカデミックな学問として位置づけておきたい
現代の哲学者たちにとって
哲学者の代表者ともいえるプラトンが
オカルト的なイメージで捉えられることを
避けようとしたところがあるのではないだろうか
「魂」や「霊」といった言葉さえも
ある程度抵抗なく使えるようになったのは
比較的最近のことであり
こうして文庫化されたのは
それがいわば「解禁」されるようになった
象徴的ともいえる「事件」かもしれない
教育という枠組みのなかではあるが
オカルティストでもあるルドルフ・シュタイナーが
認知されるようになってきているのも
その流れに沿っているといえそうだ
それがこの二〇二四年であるというのも
どこか意味深いように感じられる
ちなみに『ティマイオス』で議論されている内容は
「この宇宙は必然や偶然の産物ではなく、
理性的な製作者(デーミウールゴス)によって、
理性の対象(イデア)を手本にして、
理性的な魂をもつ生き物として構成された」
という宇宙論である
その宇宙論は
代表的な対話篇『国家』の内容とも共通する
理想的な国家の話を受けながら
「宇宙が本来理性によって導かれているのだとすれば、
それと類比関係にある国家においても、個人においても、
気概や欲望ではなく理性が支配することこそが
自然にかなった本来の正しいあり方」であるという
国家と人間のあるべき姿についての主張を
「宇宙全体の構造の中に根拠づけることだった」といえる
ちなみに今回の文庫版の翻訳は
講談社の編集者であるあの互盛央から
一〇年近く前にあった話だそうだ
ちょうど岸見一郎訳による単行本が刊行された頃である
この『ティマイオス』の文庫化という象徴的な「事件」が
新たな時代をひらく扉ともなりますように
■プラトン(土屋睦廣訳)『ティマイオス』(講談社学術文庫 2024/12)
■プラトン(岸見一郎訳)『ティマイオス/クリティアス』(白澤社 2015/10)
**(『ティマイオス』(講談社学術文庫)〜「訳者解説/はじめに」より)
*「現代のプラトン研究者に、プラトンの主著は何かと尋ねたら、おそらくたいていの人は『国家』と答えるだろう。確かに、『国家』はプラトン哲学のエッセンスが詰め込まれており、質量ともに主著と呼ばれるのにふさわしい。それにもかかわらず、プラトニズムの長い歴史から見れば、プラトンの対話篇の中で最も大きな影響力をもった著作は『ティマイオス』であった。神による宇宙の製作とさまざまな自然学的理論が論じられる本書は、プラトンの対話篇の中ではむしろ特殊なものと言えるが、古くからプラトンの信奉者たちによって重視されてきた。とりわけ、前一世紀から後三世紀にかけてのいわゆる中期プラトン主義と、それに続く新プラトン主義の時代には、この書はプラトンの著作の中でも特権的な地位を占めてきた。古代後期から中世を通じてのプラトニズムの歴史は『ティマイオス』の解釈史だったと言っても過言ではない。この伝統が近代にまで及んでいることは、例えばラファエロの有名な壁画《アテネの学堂》の中で、プラトンが手にしている書物が『ティマイオス』であることに象徴的に現れている。」
**(『ティマイオス』(講談社学術文庫)〜「訳者解説/一 登場人物、設定年代、執筆時期」より)
・1 登場人物
*「本書には、ソクラテスを除けば、ティマイオス、ヘルモクラテス、クリティアスの三人が登場する。ソクラテスとこれらの人物の対話が交わされるのは導入部(一七A——二九D)のみで、それ以降は終わりまですべてティマイオスのモノローグとなる。」
・3 執筆時期
*「今日では、一般にプラトンの著作は前期、中期、後期の三つの執筆時期に区分され、おおよその著作の順番が推定されている。『ティマイオス』は、伝統的に後期(プラトン五五歳頃〜八〇歳)の著作に分類される。(・・・)私としては伝統的な説に従い、後期著作とみなしたい(おそらく『ソピステス』、『ポリティコス(政治家)』よりあと、『ピレポス』より前)。」
**(『ティマイオス』(講談社学術文庫)〜「訳者解説/二 執筆の意図と全篇の構成」より)
・1 導入部と執筆の意図
*「『ティマイオス』では冒頭の導入部で、昨日の話の要約として、理想的な国家についての話がソクラテスによって語られる(一七C——一九B)。続いて、そのような国家が実際に活動しているところを見たいというソクラテスの要望(一九B——二〇C)に応じて、クリティアスは九〇〇〇年前のアテナイの偉業として、いわゆる「アトランティス物語」をかいつまんで語る(二〇D——二五D)。そして、さらにこれからの話の予告として、まずティマイオスが宇宙の生成から人間の成り立ちまでを論じ、それからクリティアスが昔のアテナイの偉業を詳しく話すことが提案される(二七A——B)。
ここから明らかになるように、『ティマイオス』は、『国家』の内容とも共通する理想的な国家の話を受ける形で、『クリティアス』のアトランティス物語に引き継がれるものとして最初から書かれていた。さらに、『クリティアス』一〇八Aの記述からは、その続編として、『ティマイオス』におけるソクラテスの対話相手の残りの一人であるヘルモクラテスを語り手とする『ヘルモクラテス』という対話篇が書かれる予定だったことが推測できる。結局、『クリティアス』は未完に終わり、『ヘルモクラテス』は書かれることがなかったが、もともと『ティマイオス』はこれら三部作の第一部にあたり作品として意図されたものであった。」
*「国家と人間、宇宙と人間という類比関係を考えるなら、『ティマイオス』の宇宙論は、国家においても個人においても理性こそが主導権を握るべきだというプラトンの主張を正当化するものだと言える。この宇宙は必然や偶然の産物ではなく、理性的な製作者(デーミウールゴス)によって、理性の対象(イデア)を手本にして、理性的な魂をもつ生き物として構成された、というのが『ティマイオス』の宇宙論の骨子である(二八B——二九B、二九D——三一A、九二A)。もしこのように宇宙が本来理性によって導かれているのだとすれば、それと類比関係にある国家においても、個人においても、気概や欲望ではなく理性が支配することこそが自然にかなった本来の正しいあり方だということになるからである。したがって『ティマイオス』執筆の最大の狙いも、国家と人間のあるべき姿についてのプラトンの主張を宇宙全体の構造の中に根拠づけることだったと言えるだろう。」
**(『ティマイオス』(講談社学術文庫)〜「訳者解説/四 古代における『ティマイオス』の伝統」より)
・1 書記アカデメイア派とアリストテレス
*「初期アカデメイアのメンバーの中で、のちの『ティマイオス』解釈史に最も大きな影響を与えたのは、やはりアリストテレスだろう。実際、現存するアリストテレスの著作の中でのプラトンの著作への言及は、『ティマイオス』に関するものがいちばん多い。」
「アリストテレスの『ティマイオス』解釈は、のちのプラトニストたちにも多大な影響を与えた。」
・2 ヘレニズム時代
*「能動原理としてのロゴスと受動原理としての物体、宇宙を支配するロゴスと人間の理性の共通性、マクロコスモスとミクロコスモスの照応といったストア派の基本思想に『ティマイオス』の影響を見て取ることは容易だろう。また、ストア派の神学的宇宙論には『ティマイオス』のデーミウールゴスとしての神や宇宙の魂の観念が多大な影響を与えている。」
・3 中期プラトン主義の時代
*「アカデメイア派が懐疑主義を脱した前一世紀頃から、後三世紀半ばに新プラトン主義が登場するまでの間のプラトニズムは、中期プラトン主義と呼ばれる。」
「彼らはいずれもプラトン自身の著作に立ち返り、そこから一定の教説を読みとって体系的な哲学を作り上げようとした。近年の研究の進展によって、新プラトン主義のモチーフのほとんどがこの時代に出揃っていたことが明らかになっている。プラトンの著作の中で『ティマイオス』が特権的な地位を占めるようになるのも、実はこの時代からである。」
「この時代にはプラトンの著作に対して多くの注解書が書かれたが、最も多く注解されたのは『ティマイオス』であった。」
「後一世紀から二世紀はちょうどピュタゴラス主義が新たな脚光を浴びた時代で、いわゆる新ピュタゴラス派と呼ばれる人たちは、おおむねプラトンの著作をピュタゴラス主義によって再解釈した。」
「この時期に『ティマイオス』に注目したのはギリシアの哲学者だけではなかった。ユダヤ人哲学者アレクサンドリアのピロン(前二五——後四五/五〇年)は、聖書解釈を通じてユダヤ思想とギリシア思想の融合・調和を試みた。」
・4 新プラトン主義の時代
*「三世紀半ばにプロティノス(二〇五——二七〇年)は、以上のようなプラトニズムの流れを総合し、さらに深く内面化し、体系化することで、プラトニズムの歴史に大きな転換をもたらした。のちに「新プラトン主義」と呼ばれる哲学の誕生である。」
「新プラトン主義においても、『ティマイオス』は『パルメニデス』第二部と名論でプラトンの著作の中で特権的な地位を占めていた。『ティマイオス』は、単なる自然学の書ではなく、形而上学、神学の奥義が記された書とみなされたのである。プラトンとアリストテレスの書に対して本格的な注解を著す伝統も、プロティノスの弟子で『エンネアデス』を編纂したポルピュリオス(二三四——三〇五年以前)に始まる。彼が著した『ティマイオス』注解は古代末期にかなりの影響力をもった。
続くイアンブリコス(二五〇頃——三二五年頃)において、新プラトン主義は新たな展開を迎える。(・・・)彼が行ったのは、新プラトン主義にピュタゴラス主義と魔術思想を大々的に導入することであった。」
「ギリシア哲学最後の光輝と言われるプロクロス(四一二——四八五年)の哲学も、このイアンブリコスの流れを継承したものだった。彼の『ティマイオス』注解は。現存する古代に著されたプラトンの注解書の中で最も浩瀚なものである。」
「プラトニズムと魔術・オカルト思想との結びつきは、歴史的にも大きな意義をもっている。後一〜二世紀にアレクサンドリアを中心に、ギリシア哲学と東方の宗教思想との混交から、ヘルメス思想をはじめとするさまざまなオカルト思想が誕生し、流行した。これらが古代末期にプレトにズムと結びつくことで、プラトンの権威とともに、のちのヨーロッパだけでなく、アラビア・イスラム圏にも継承されていく。もともとヘルメス思想にはプラトニズムの影響が見て取れるが、それらが新プラトン主義と混交することで、『ティマイオス』はこれらオカルト思想の奥義を記した書物だ、という観念が生まれた。ルネサンス期に復活するのも、このような魔術的な後期新プラトン主義で、新プラトン主義は古代のオカルトと一体となって、一五〜一六世紀のヨーロッパで大流行した。一七世紀における近代科学と近代哲学の成立も、このような思想的背景を無視しては、正しく理解することはできないだろう。」
・5 古代から中世へ
*「プラトニズムの伝統における『ティマイオス』の重要性は、中世においては決定的なものとなる。一二世紀半ばにヘンリクス・アリスティップスによる『メノン』と『パイドン』のラテン語訳が現れるまで、カルキディウス(四世紀前半)による『ティマイオス』注解のラテン語訳が、中世を通じて西欧において直接読むことのできるプラトンの唯一の著作だったからである。」
「中世に伝えられた古代末期の哲学的著作はおおむね新プラトン主義の影響下にあるので、それらの著作では『ティマイオス』に依拠した記述がしばしば重要な部分を占めている。」
・6 おわりに
*「『ティマイオス』はプラトンの著作の中で、なぜこれほど長く特別扱いされてきたのだろうか。(・・・)おそらく、いくつもの要因が複合的に絡み合っていたと考えられる。実際、本書は、それぞれの時代、それぞれの思想家において、さまざまに異なった観点から関心の対象とされてきた。例えば、ユダヤ教徒やキリスト教とは『創世記』の神の世界創造を理解するヒントを本書に求めただろう。あるいは新プラトン主義者なら、形而上学的真理のアレゴリーとして本書を読んだだろう。あるいは錬金術師なら、神の創造を自らの手で再現するための秘密を本書から読み取ろうとしたかもしれない。自然学者や科学者にとって本書が関心の対象となったことは容易に理解できる。宇宙の始まりと物質の究極は、科学にとっておそらく永遠のテーマだからである。」
「もう一つ言えることは、伝統の重みである。本書は、まさに「プラトニストのバイブル」であった。長い歴史の中で大切にされてきたものは、それだけで権威がそなわる。人々はそこにさまざまな思いを読み込み、またそこからさまざまな着想を汲み取ってきた。もちろん、本書はそれらに応えることができるだけの豊かな思想的潜在力を秘めた書物である。近代・現代においても本書に触発された思想家は少なくなう。本書は、これからもわれわれの知的好奇心を喚起し続けるだろう。」
**(『ティマイオス/クリティアス』〜
「〈訳者解説〉『ティマイオス』の宇宙論」〜「訳者まえがき」より)
*「ラファエロのフレスコ壁画である『アテネの学堂』には、その中央部にプラトンとアリストテレスの並び歩む姿が描かれている。プラトンは右手の指で天上を指し、その左手には『ティマイオス』を携えている。
他ならぬ『ティマイオス』をプラトンが携えているのは、『ティマイオス』の影響力が甚大であり、プラトンの対話篇中、もっとも多く引用されてきたからである。
『ティマイオス』は、宇宙の創造について論じているので、その影響はキリスト教、ユダヤ教にまで及んだが、星辰、大地、人体などあらゆる自然現象についてそれらが最善のあり方をしているという目的論的見方は、価値をその世界観に組み込もうとしない現代科学の見地からは特異な考えに見えるかもしれない。」
「夜空を見上げる人は、そこにただものを見ているわけではない。古代ギリシアの哲学者たちは、万物の根源を水や空気などと見たが、それらはものではなく、「魂」であり「神」だった。プラトンが、宇宙は魂を持ち知性を持った生きものとして生まれたと考えてその哲学を構築したのは、ギリシア世界観の延長上においてであった。プラトンは生涯一貫して、自然を生命(いのち)なきものと見なしてはならない、と主張したのである。」
*「『ティマイオス』の続編が『クリティアス』である。この対話篇は、アトランティス島についての話で有名である。この島は「ヘラクレスの柱」(ジブラルタル海峡)の彼方にあったが、地震と洪水のために、海に没し姿を消したといわれる。
この話は『ティマイオス』の初めに語られるが、ティマイオスによる宇宙と人間の誕生を語る議論によって中断され、その後、『クリティアス』において、クリティアスが再開する。」