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谷川 俊太郎『虚空へ』

☆mediopos-2556  2021.11.15

現代の詩人で
いちばん読んできたのは
入沢康夫
高橋睦郎
そして
谷川俊太郎

入沢康夫はすでに地を去った
まだしばらくは
二人の詩を読むことができる

谷川俊太郎の最新詩集『虚空へ』

「夥しい言葉の氾濫に」「詩の杭を」
「できるだけ少ない言葉」で書かれた
短い行脚の一四行詩の近作が集められている

じぶんを振り返っても
年を経るごとに
言葉への対し方は異なってきている

はじめは
「私の言葉」を書けるようにだったが
やがては
「私の言葉」を書かないですむように
まさに「虚空へ」と

現代は夥しい「私」が
「私の言葉」だとして
言葉を発しようとする時代だ
それなのにそれらの言葉は
まるで複製された大量生産品の「私」のようだ

沈黙に近い音楽のように
沈黙に近い言葉を
響かせることができればと願う
散文では響かせることのできない響きを
そしてたとえ散文であったとしても
そこに沈黙からの呼びかけとなる響きを

私の発する言葉であっても
言葉はほんとうは私の言葉ではないから
せめて祈りのように

■谷川 俊太郎『虚空へ』
 (新潮社 2021/9/28)

「言葉数を多くすることで、暗がりから徐々に現れてくる詩がある。言葉数を少なくすることで、暗がりのなかで蛍火のように点滅する詩もあるかもしれない。短い行脚の三行一連で書いた『minimal』(二〇〇二年)に続いて、やはり短い行脚の近作一四行詩をこの詩集に集めてみた。今の夥しい言葉の氾濫に対して、小さくてもいいから詩の杭を打ちたいという気持ちがあった。」

「(意味ではなく)

 意味ではなく
 歓びと
 哀しみが
 ある

 苦しい
 日々に
 一生に

 解釈しない
 計算できない
 カラダと
 ココロ

 永遠から
 今が
 こぼれる」

「(言葉の殻)

 言葉の殻を
 剝くと
 詩の
 種子

 詩の種子を
 割ると
 空

 何も
 ないのに
 在る

 問えない
 答えない
 ものの
 予感」

「(これを)

 これを
 好み
 それを
 嫌う

 ヒトは選ぶ
 物を事を
 人を
 自分を

 唯一の
 太陽に灼かれ
 己れに迷い

 無数の
 因果の網に
 かかって」

「(誰もが私なのに)

 誰もが
 私
 なのに君が
 いる

 私の
 言葉を
 人々とともに
 生きて

 君の
 言葉に
 私はいるか?

 意味とともに
 無意味を
 喜んで」

「(問いがそのまま)

 問いが
 そのまま
 未来の
 答え

 言葉が
 出来ないことを
 音楽は
 する

 魂が
 渇く
 この数小節

 調べとともに
 輪廻する
 私」

「(無はここには)

 無は
 ここには
 無い

 どこにも
 無い
 宇宙にも
 心にも

 無は偽る
 文字で
 詩で
 こうして

 無いのに
 時に
 有に似る」

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