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吉岡 幸雄『失われた色を求めて』

☆mediopos2617  2022.1.15

植物の色といえば
緑色がイメージされるが
緑色を草木染めで
染めるのは「やっかい」だという

緑色をしている植物で
そのまま染めれば得られるかというと
葉緑素という色素はとても弱く
それで染めるのはむずかしい

色相環でいえば
緑は青と黄のあいだであるように
(緑の補色は赤紫)
緑色を染めるためには
藍と黄を掛け合わせて緑を得る必要がある

藍を先に染めるか黄を先に染めるかは
それぞれの手法によるようだが
藍染めが可能になってはじめて
緑色の染色ができるようになったのだという

薄い藍に黄を濃く染めれば
春まだ浅い季節の明るい緑色である
「萌黄色」「鶸萌黄」「若菜色」「若苗色」
「若草色」「柳色」「裏葉色」といった色

濃く藍を染めたものに黄を加えると
「木賊色」「蓬色」「青緑色」「鶯色」や
「千歳緑」「常磐色」「松葉色」
さらには濃くくすんだ緑の色である
「苔色」「海松色」が得られる

自然をそのままうつしたような
日本の色の名はその名を知るだけで
それぞれの色が豊かにイメージされるようになる

自然界で緑の色をそのまま着色できるのは
マラカイトを細かく砕いた「緑青」だけだそうだ
これは布を染めるためには使われないで
建築物や彫刻・絵画の彩色に用いられてきた

自然のイメージの代表ともいえる緑色が
なぜそのまま染まらないのだろうか

いのちの色の草木の緑は
四季の移ろいのなかで
さまざまにその色を変えてゆく

いのちは時をとどめない
緑もまたその時をとどめないがゆえに
緑は緑の色をとどめないのではないだろうか

■吉岡 幸雄『失われた色を求めて』
 (岩波書店 2021/10)

「染色にたずさわるものにとって、緑ほどやっかいな色はありません。緑の色を得ようと、たとえば、。松の葉をあつめて煮出し、その液のなかに糸や布をいれればよさそうに思います。また路傍の草を手で揉めば、指が緑色になりますから、布にも同じように緑を摺り込めると考えます。ところが、そうはいきません。草木の葉には葉緑素という色素がありますが、この葉緑素はじつに弱い色素で、水にあえばすぐ色が流れてしまいますし、そのまま放っておくと、汚れた茶色に変色してしまいます。葉緑素は染料としてはまったく不適格なのです。
 ちなみに、自然界において、そのまま緑の色を着色できるのは、唯一マラカイトという石を細かくした「緑青」という顔料だけです。単独で緑色になる染料は世界中どこをさがしてもないと断言できます。

 では、そのようにして、緑を染色していくかといいますと、藍と黄を掛け合わせて緑を得ることになるのです。たとえば、刈安とか黄蘗といった黄色系の染料を藍で染めた布や糸に加えて染めるのです。藍を先に染めるか、黄を先に染めるか、とくに決まりはありませんが、私の工房では、藍を先に染めて、黄を染めるという手順が通常におこなわれます。ですから、薄い藍に黄を濃く染めれば、「萌黄色」「鶸萌黄」「若菜色」「若苗色」「若草色」「柳色」「裏葉色」といったような、春まだ浅い季節の明るい緑色をあらわすことができます。反対に、濃く藍を染めたものに黄を加えますと、「木賊色」「蓬色」「青緑色」「鳶色」や、さきほど松の色名であげました「千歳緑」「常磐色」「松葉色」、さらには「苔色」「海松色」といったような濃く、またはくすんだ緑の色が得られるのです。ということは、みなさんもお気づきのことと思いますが、藍染の発見がなければ、人間は緑色の染色を手にすることがなかったわけなのです。」

「「青々とした緑」という表現に見られるように、青と緑は渾然としています。よく話題にのぼる、青信号の緑色もそのひとつでしょう。緑は「翠」とも書き、深い藍色を意味することになり、「緑の衣」という六位の者が着用した袍は、やはり深い藍色とされています。
 さて、その青々とした草木の緑も、四季の移ろいのなかで、色を変えてゆきます。秋が近づいて、葉が朽ちてゆく状態を「朽葉色」と称しますが、この朽葉色にも「青朽葉」「黄朽葉」「赤朽葉」と葉色の変化を古人たちは見ていました。」

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