松浦寿輝・沼野充義・田中純 徹底討議 二〇世紀の思想・文学・芸術 第十回「エイティーズ————『空白』の時代」
☆mediopos2902 2022.10.28
一九八〇年代は
松浦寿輝によれば
「近代の終わり」「大きな物語の終わり」「歴史の終わり」
といったように
「終わり」という主題が執拗に語られた時代で
思想史的には「ポストモダン」の時代だったが
「モダン」つまり「近代」が終焉したというわけではなく
それはいうまでもなくファンタスム(幻影・思いこみ)であって
実体の見えないようなそんな影の薄い時代の
その薄さを構成していたのは
一つには「前衛」の消滅
もう一つは文化のヒエラルキーの崩壊だったという
「前衛」の消滅というのは
「時代を先導するラディカルな言説が消えていき」
「先鋭な、あるいは実験的な芸術的実践」の
「意味や価値が薄れて」きたということ
文化のヒエラルキーの崩壊というのは
吉本隆明が『マス・イメージ論』で論じたことに象徴されるように
ハイカルチャーがサブカルチャーに「追い上げられている」
(現状ではとうに追い越されているが)ということ
田中純によればそんな八〇年代は
「文化革命を志向した時代」だったのではないかともいう
松浦寿輝は八〇年代の吉本隆明の『マス・イメージ論』を
二〇世紀初めのベンヤミンの『パサージュ論』と比べているが
「眠りのなかにまどろむ一九世紀の集団的意識を、
目覚めの時期としての二〇世紀初めの時点で
蘇らせようとしたのが『パサージュ論』」で
「ベンヤミンが「集団的意識」と呼んだものとほぼ同じもの」である
「一九八〇年代に開花しようとしていた新時代の「共同幻想」を探ろう」
と試みたのが『マス・イメージ論』なのだという
それは「夢としての二十一世紀に入眠時の反覚醒状態で
立ち会おうとしていた」ような困難なものだった…
八〇年代はそんな「文化革命」の時代であって
現代のような「一寸先は闇」の
「「終わり」を「終わり」でありつづけさせる」
「終末論」的な時代の一里塚だったともいえるのかもしれない
現代ではすでに「前衛」も「ハイカルチャー」も
すでに死語になって久しい
そして人々はいまだ目覚めはじめているどころか
文化の崩壊しつつある管理社会のなかでますます微睡んでいる
■松浦寿輝・沼野充義_田中純
徹底討議 二〇世紀の思想・文学・芸術
第十回「エイティーズ————『空白』の時代」
(『群像 2022年 11 月号』講談社 2022/10 所収)
(「「終わり」という主題」より)
「松浦/一九八〇年代というのは、ひとことで言えば、「終わり」という主題がほとんど神経症的な執拗さで語られた一時期でした。「近代の終わり」、「大きな物語の終わり」、「歴史の終わり」。しかし、ロシアによるウクライナ侵攻という出来事を目の当たりにしている現在の視点からすると、結局、何一つ終わってなどいなかったのだという、脱力感を伴う感慨が浮かび上がってこざるをえない。「終わり」という主題の虚構性と不可能性が、冷徹な現実として決定的に可視化された。それこそ今回の戦争がわれわれに突きつけてきた最大の歴史的教訓だという気がしてなりません。
そういう意味で言うと、過去の事実の解釈というか、歴史の意味づけの比重は時代とともにどんどん変わっていくわけですから、いま改めて八〇年代の「終わり」をめぐる言説について、あるいはその時期の文学や芸術について再考してみるのは有益なことではないかという気がします。
(「「ポストモダン」再考」より)
「松浦/一九八〇年代は、思想史的にはひとことで言うと、たいへん大雑把な括り方で恐縮ですが、結局「ポストモダン」の時代ということになってしまうのではないか。もちろんそれは、この時期に実際に「モダン」が終わって別のフェイズに入りましたという話ではなく、「モダン」の終焉というファンタスムが、ある現実感を伴って人々の心を魅了し、また、むしろそれへの批判で言論界が異様なほど活性化した、そんな一時期だったという意味です。」
(「「前衛」の消滅と文化のヒエラルキーの崩壊」より)
「松浦/八〇年代の影の薄さを構成していたと私が考える論点というか、パラメーターみたいなものを、とりあえず二つだけ挙げてみたいと思います。一つは「前衛」の消滅、もう一つは文化のヒエラルキーの崩壊です。
まず「前衛」の消滅というと、一九八〇年代以降、時代を先導するラディカルな言説が消えていき、先鋭な、あるいは実験的な芸術的実践が、消えるということはないにしても、意味や価値が薄れていくというところがあったのではないか。」
「八〇年代は、端的にサブカルチャーが台頭し、覇権を握っていった時代です。「サブ」などと今でも依然として言われてはいますけれども、どっちがメインストリームでどっちがサブか、もはやわかったものではない。今や文学や芸術といったハイアートより、漫画、アニメ、ゲームその他のサブカルチャーのほうがむしろはるかに鮮烈な存在感を持つようになっている。そういうことが始まったのが、やはり一九八〇年代でしょう。
そうした転換を真正面から主題化した批評的著作を一つだけ挙げるとすれば、やはり吉本隆明『マス・イメージ論』(一九八四)ということになるでしょう。硬派の批評家だった吉本が、それまでの彼のイメージを突然裏切って、歌謡曲や広告や漫画やアニメを論じはじめた。(…)たしか彼は当時、ハイカルチャーがサブカルチャーに「追い上げられている」という言葉を使っていたはずです。『マス・イメージ論』の連載は一九八二年に始まっていますが、それから四〇年経ってどうなったかというと、「追い上げられている」どころかとっくに「追い越されている」という感じになっている。」
「二〇一三年に刊行された講談社文藝文庫版の『マス・イメージ論』に鹿島茂さんが解説を書いているのですが、鹿島さんはこの著作をベンヤミンの『パサージュ論』と比較していて、僕はなるほどと膝を打ちました。ベンヤミンは「一九世紀とは、個人的意識は反省的な態度を取りつつ、そういうものとしてますます保持されるのに対して、集団的意識の方はますます深い眠りに落ちてゆくような時代である」と言っている。眠りのなかにまどろむ一九世紀の集団的意識を、目覚めの時期としての二〇世紀初めの時点で蘇らせようとしたのが『パサージュ論』ですね。一方、『マス・イメージ論』もまた一九八〇年代に開花しようとしていた新時代の「共同幻想」を探ろうという試みで、それはベンヤミンが「集団的意識」と呼んだものとほぼ同じものだった。」
「鹿島茂さんはもうひとこと付け加えています。「ベンヤミンは、たとえてみれば、夢としての十九世紀に目覚めとして立ち会えばよかったのだが、吉本は夢としての二十一世紀に入眠時の反覚醒状態で立ち会おうとしていたのである。両者を比較すれば、吉本の方がはるかに困難な試みに挑んでいることは明らかである」と。それは「必敗の試み」だったとも言っている。」
(「「文化革命の時代」より)
「田中/今のことに続けて言うと、鹿島さんによる吉本隆明の『マス・イメージ論』の評価がものすごく当たっていると思うのです。モンタージュという手法もそうだけれども、目覚めを求めているというところも実は共通していて、吉本はやはり革命をサブカル的なものに託したんだと思います。決して八〇年代文化の現状追認ではない。当時、吉本はそういう批判をさんざん受けましたけれども、私自身の個人的な印象も含めて言うと、八〇年代はある種の文化革命を志向した時代だということが言えると思うのです。」
(「村上春樹と野坂昭如」より)
「松浦/八〇年代の文学の舞台で言うと、村上春樹がデビューし、上昇気流に乗って、これからどんどん大きな作品を書いていこうとしていた、その一方で、下降局面というか衰弱のフェーズに入っていた野坂昭如は、暗い奈落の底にどんどんイマジネーションを沈降させていこうとしていた。その上昇と下降が危うい釣り合いを保っていたのが、八〇年代という時代なのではないか。批評的な直感で言うと、村上/野坂という二つの名前を突き合わせてみると「空白のエイティーズ」の特質が見えてクるような気がするんです。村上/中上というには見え易い対立項なんだけど、それよりもむしろ、ということです。
沼野/野坂について一言だけ、松浦さんが絶賛されていたので、私もつねづね、吉田健一と蓮実重彦と野坂昭如の三人は、ちょっとでも読んだらこの人だとわかるすごい文体をつくったということで、日本の現代文学が誇る参内文体家だと思います。もちろん、文体だけの問題じゃなくて、それぞれ重要な作家だということですが。
松浦/それで言うと、村上春樹はすぐそれとわかる文体の個性をむしろ消そうとした気配がある。
沼野/消そうとしたし、すぐまねができる。誰でもああいう文章が書けるんじゃないかと思わせる文体ですね。野坂の文体をまねしたって、たぶん同じようにはならないでしょう。
松浦/村上春樹は今や世界的名声を得ることになったわけだけど、その理由の一つとして、あのふらっとで無個性的な文体というのも、ポジティヴに作用したところがあるんじゃないですか・
沼野/翻訳によって失われない文体ですね。」
「田中/終末論というのは、むしろ「終わり」を「終わり」でありつづけさせる言説でしょう。それに対して「ポスト」は、「終わり」をできるだけ早く確定しようとする接頭辞だと思うんです。ポストモダニズムとか。だから「ポスト」をつけたがる「終わり」の言説にむしろ対置されるものとして、終末論的な言説があるとも言えるのかなと思います。」
(「アポカリプス的な想像力」より)
「松浦/田中さんの言われたアポカリプティックな言説の問題ですけど、今、時代の流れとしては結局、歴史は決して終わらないことが露呈してしまった。むしろ歴史の激動、流動化、液状化の時代に入っていて、一寸先は闇みたいなことになっている。
(…)
そうなって来ると、七〇年代半ばあたりから野坂昭如などが精錬していたアポカリプス的な想像力のほうが、「ポスト」何やらという「終わり」をめぐる言説をむしろ凌駕して、ずっとなまなましいリアリティを帯びつつあるように見える。それが現在の状況なのではないか。そういうことで、稀代のトリックスターだった野坂昭如の名前を出してみたくなったんです。」
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