見出し画像

ヘレン・ピルチャ『Life Changing/ヒトが生命進化を加速する』

☆mediopos-2468  2021.8.19

蒔いた種は刈り取らねばならない
もしくは
与えたものが与えられる

地球上の生命も環境も
それに関与してきた責任は
人類そのものが引き受けることになる

「自分たちよりも他種の生物の利益を優先」し
「野生動物が何を必要としているか」といった
「自然保護思想」をもった科学者
そしてその活動を理解する人たちは
その責任に対して可能なかぎりの方法で応えることで
「ポスト自然史」をつくっていこうとすることになるだろうが
問題となるのはその方法を実際に行使できるかどうかだろう

本書の著者のヘレン・ピルチャは
「わたしたちは不穏な時代を生きているが、
奇妙なことに、生物多様性の喪失を食い止める手段は
かつてないほど手元に揃っている」という

その手段を認めるか認めないかは別として
それを行使できなければ責任に応えることはできない
おそらくその力を現実のものとして持ちえるかどうか
それがもっとも困難な課題となるだろう
政治や経済を主導する者の多くが
むしろその壁ともなっていくだろうから

さらにいえば
ヒトはみずからと異なったとみなすヒトに対しても
ヒト以外の生物や環境に対してと同様な態度で
その力を行使しつづけている
かつてヒトでありながら
同じヒトとはみなされなかったヒトがあり
現在でもその差別意識は強く残っている
そして国と国・民族と民族・富裕層とそれ以外の人たち
それらのあいだのさまざまな力関係のなかで
問題は絡み合いながら現実をつくりだしている

現代はヒトがヒトを管理するシステムによって
全人類のコントールを強化しようとしている時代である

蒔いた種は刈り取らねばならない
もしくは
与えたものが与えられる
そして
人はみずからを変えていく

力を行使する者も
みずからが蒔いた種は
なんらかのかたちで
いずれはみずから刈り取ることになるのだが
問題はいま行っていることが自覚されているかどうかだ

「父よ、彼らをおゆるしください。
自分が何をしているのか知らないのです」
というキリスト・イエスの十字架上でのことばが
ルカ福音書に記されているように多くの場合
わたしたちは「自分が何をしているのか知らない」ままだ

なにかを変えようとするとき
変えようとするのはその対象だが
それは同時にみずからをも変えていく
管理する者さえほんとうはみずからをも管理し
みずからの自由を失くしてしまうことにもなるように

■ヘレン・ピルチャ(的場 知之 訳)
 『Life Changing/ヒトが生命進化を加速する』
 (化学同人  2021/8)

「本書は、地球のポスト自然史についての本だ。ヒトとほかの生物種がどんな関係にあり、その関係が時とともにどう変化してきたかを取り上げる。アフリカでつつましく誕生したヒトは、やがて地球を支配する巨大勢力へとのし上がった。その途中で、わたしたちはテクノロジーを発明し、生物の生理や行動を変化させた。新たに手にした力を駆使して、わたしたちは動物や植物、その他の生物を再設計し、彼らを進化の旅路から脱線させて、ポスト自然の未踏の航路へと導いた。
 家畜、すなわちイヌ、ウシ、ヒツジ、ブタなどは、どれもこの物語にかかわっている。わたしたちはいまや、クローン化されたウマがポロのトーナメントに出場し、ウシが遺伝子操作によって病気への抵抗力を獲得し、ブタがヒトの移植用臓器の生きた培養装置に変えられる世界に生きている。DNAを余分に備えたサケは成長の速い新品種としてもてはやされる。多指症のニワトリは、肉、卵、サイズ、羽色、あるいは単なる新奇性を目的に次つぎに生みだされる、途方もなく多様な家禽品種のひとつにすぎない。絶滅種を蘇らせる試みも進んでいる。(…)わたしたちは生きた動物を遺伝子操作し、新素材や新薬をつくらせている。畜産農家が珍しい毛色の野生動物を選択交配し、顧客は大枚をはたいてそれらを撃ち殺す。ペットのイヌやネコのクローンをつくるサービスが実用化され、アメリカではクラゲの遺伝子を導入した蛍光を放つ熱帯魚も販売されている。一方、ジミー・キャット・カーターの哀れな生殖腺からは、ひとつの教訓が得られる。わたしたちは、生命の未来をこれまでにないレベルでコントロールする能力を手に入れると同時に、死の未来をも左右する存在になったのだ。(…)いまや研究者たちはひとつの種をまるごと絶滅に追いやる方法を開発している。
 これらはみな意図的な設計の産物だ。けれどもヒトによる地球の支配は未曾有の段階に達し、その影響はわたしたちが直接操作する生物にとどまらず、はるかに広範囲に及んでいる。ヒトが森林を伐採し、海を汚染し、大気を加熱し、生物圏を壁的に改変するなか、いまや身近な種から遠く地の果てに棲む種まで、すべての生物の進化がその影響下にある。こうした生物に起こる変化は計算づくの意図的なものではないが、ヒトが舵取りをしているという意味で、やはりポスト自然といえる。わたしたちの活動は自然界を危機に曝していて、無数の野生生物が不確かな未来に直面している。もはや絶滅は日常茶飯事で、時には安泰だと思われていた普通種でさえ大打撃を受ける。
 環境変化のペースが速まれば、進化も加速する。奇妙な雑種が出現し、新種の進化も起こりはじめている。ホッキョクグマとグリズリー(ヒグマ)が交雑して生まれた子は「ピズリー」と呼ばれる。イッカクはシロイルカと交尾する。ニューヨークのセントラルパークのネズミはピザを消化する能力を進化させ、プエルトリコのアノールトカゲは指の接着力を強化して、ビルの壁面に棲みつく。狩猟のせいでゾウの牙はますます小さくなり、水質汚染に対抗して毒物に耐性をもつ魚が誕生し、気候変動に応じて鳥たちはあらたな羽色を進化させた。
 こうした現象が起こるタイミングは偶然ではない。どれもみな、わたしたちの行為に対する反動なのだ。想定外の影響は、はるか先にまで波及する。いまやヒトは、地球上の進化を方向づける主要因となった。自然界がこれほど大規模な進化的変化を経験するのは、恐竜絶滅以来のことだ。生命は変わりつつある。人類のせいで。」

「150年ほど前、自然保護思想が体系化されはじめたことで、人類の自然への向き合い方は根本的な変化をとげた。ヒトが自分たちよりも他種の生物の利益を優先したのは、これが初めてだった。わたしたちは自然にどんな価値があり、野生動物が何を必要としているかに思いを馳せるようになった。1880年代後半、ニュージーランドの自然保護活動家リチャード・ヘンリーは、愛するカカポを離島の保護区に移した。彼がそうしたのは自分のためではなかった。この鳥たちは助けがなければ生きられないと、彼は気づいたのだ。彼と同じ利他的精神が、現代のカカポ回復プログラムのメンバーをはじめ、世界中で自然保護に携わるすべての人を動機づけている。
 わたしたちは不穏な時代を生きているが、奇妙なことに、生物多様性の喪失を食い止める手段はかつてないほど手元に揃っている。再野生化は選択肢のひとつでしかない。ウマのクローンをつくり、サンゴの人工授精をおこない、カカポの全個体のゲノムを解読できるなら、近い将来、ほかに何が可能になるか、想像してみてほしい。わたしたちは科学界の巨人の肩に立っている。技術が進歩すれば、いまは手の施しようがない環境問題にも、きっと解決策が見つかるはずだ。研究者たちは分子的手法を用いて家畜の遺伝子を組み換え、おおいに成果をあげてきた。どうしてここで止めるのか? 人類の利益のために動物を改変する代わりに、そろそろ動物自身に利益をもたらす改変をはじめてもいいのではないだろうか? だいそれた考えだといわれるかもしれないが、状況次第では野生動物の遺伝子に手を加えることも認められると、私は思う。」
「確かに注意は必要で、軽々しく扱える技術ではない。これは保全のトリアージだ。わたしたちが初めから自然界を気にかけてさえいれば、こんな議論はただの蛇足でしかなかった。だが、現実は現実だ。遺伝子編集はそれだけで生物多様性の衰退を食い止める手段にはなり得ないが、解決策の一部にはなるかもしれない。自然保護にはもっとたくさんのツールが必要なのだから、少なくとも考えてみる価値はある。再野生化、援助つき進化、集中管理といった戦略も、すべて全体像の一部だ。ヒトがもたらす進化的圧力のひとつを別の圧力に置き換えるだけに見えるかもしれない。それでも、裏にある意図と同じくらい、結果もポジティブなものになったら、喜ばしいことだ。
 「手つかずの」野生動物に遺伝子操作を施すというアイデアにまだ抵抗があるという人も、考えてみてほしい。わたしたちは何万年も前から、野生動物の遺伝子操作をおこなってきた。(…)家畜動物はすべて野生種の遺伝子組み換え版であり、違いはハイテックな分子的手法ではなく、アナログな選択交配で生まれたことだけだ。それに、人間活動が地球を支配するこの人新世においては、身近なものから縁遠いものまで、ありとあらゆる生物のDNAにヒトの影響が及ぶ。(…)「手つかずの」種など存在しない。すべての生命に、なんらかの形でヒトの痕跡が残されている。
 わたしたちは家畜に過度に依存し、野生動物を過小評価するようになった。わたしの考えでは、こうした傾向が進むほどに。ヒトとそれ以外の動物の二項対立が煽られた。家畜は商品となる、売買され、移出入され、操作された。野生動物は資源となり、無私され、乱獲され、すみかを追われた。ヴィクトリア時代の人びとは、自らを野蛮で信仰をもたない自然界の生きものよりも上位の存在と位置づけた。こうした価値観は現代まで生き延び、自然界を軽視し、放ったらかす風潮を助長している。おかげでわたしたちは、極端な選択交配や、それにともなう家畜の遺伝子プールの劣化に鈍感でいられる。家畜を興行的肥育場に閉じ込めることや、それに付随するさまざまな動物福祉上の問題に抵抗を覚えないのも、残された自然を資源とみなし、誰にとがめられることなく濫用できると信じているのも、こうした価値観が原因だ。
 ヒトは自然界から切り離された特別な存在だと、わたしたちは信じたがる。だが実際には、すべての生物は絡み合うひとつの系統樹の小枝にすぎない。みなが同じ空気を吸い、同じ惑星で共同生活をしている。自然界なくしてヒトという種は存続できないが、わたしたちの活動はその存在基盤を脅かしている。ヒトは長い間、家畜にばかり注目してきたが、いま家畜と野生動物の両方がわたしたちの助けを必要としている。好むと好まざるにかかわらず、わたしあtちはこの惑星の支配者兼管理者の立場にある。地球はわたしたちの星であり、維持管理はわたしたちの責任だ。生命は常に変化している。だが、その舵取りをするわたしたちが、豊富な知見にもとづき、科学を指針として、自分たちが生きていける唯一の環境を守り抜くという揺るぎない意志をもって取り組むなら、生命をいい方向に変えていく手助けができるはずだ。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?