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吉川浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である 増補新版』/ミシェル・フーコー『言葉と物』

☆mediopos2955  2022.12.20

『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』
という逆説的なタイトルは
マルクスが『資本論草稿』に書きつけた一節からのものらしい

猿のコミュニケーション行動(毛づくろい)を理解できるのは
人間がすでにそうしたコミュニケーション行動について
理解できるだけの理論と実践を身に着けているからで
そのように人間に関する知識は猿についての研究に役立つ
といった理由のようだが

著者はそれを少しうがって皮肉にとらえ
すでにロボットは人並み以上の能力をもっていて
人間の多くはむしろ猿に近いという意味にもなり

さらに猿は人間に進化すると決まっているわけではなく
人間から学ぶことのできる猿がいるとすれば
「人間の犯した誤りを回避し、もっとまともな世界を
築くことができるようになるかもしれない」
というさらに皮肉な意味も込めているようだ

そのようにこのタイトルは
「現在生じている人間観の変容」を
象徴的に表現しているのだといえる

ミシェル・フーコーは『言葉と物』において
フロイトにはじまる精神分析と
レヴィ=ストロースらの文化人類学が
それまでの主体性と合理性をもった存在としての
人間の終焉を告げていることを説いたが
そこでいう「人間」は勿論生物種としてのヒトではない
そこで「人間観」が変容したというのである

フーコーのいう人間の終焉はさらに進み
すでに現代においては
「認知革命と呼ばれる知的運動から生まれた
認知心理学、行動経済学、人工知能研究」
「遺伝子の観点から進化をみる血縁淘汰説(利己的遺伝子説)
によってアップデートされた社会生物学、進化心理学、
人間行動生態学」といった諸科学によって
これまでの人間観に大きな変容をがもたらされようとしている

つまりこれまで「人間」であるがゆえの
アイデンティティであったものが
必ずしもそうではなくなってきているということであり
「人間とは何なのか」がわからなくなってきているのである

「人間」から必ずしも人間でなくてもいいものを
ひとつずつ取り去っていくとしたら
人間には何が残るのだろう
そして未来の人間はどうなっていくのだろう
現代の科学と技術はそんな
人間の未来/未来の人間を想像させてしまう

人間が物質的な肉体だけの存在であるとして
肉体から部位をひとつずつ取り去っていっても
脳だけは残るのではないかとも思われるが
その脳さえもAIに代替されてしまうとしたらどうだろう

本書の最後「4 ─ 19 レプリカントに人間を学ぶ」には
映画『ブレードランナー』からの話があるが
そこで問われるのもまた
「人間であるとはどのようなことか」である
その問いはわたしたちに「人間」の先を示唆している

■吉川 浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である 増補新版』
 (ちくま文庫 筑摩書房 2022/11)
■ミシェル・フーコー(渡辺一民・佐々木明訳)
 『言葉と物 ―人文科学の考古学―』(新潮社 1974/6)

(吉川 浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』「0 ─ 1 まえがき」より)

「本書は、現在生じている人間観の変容にかんする調査報告である。
 そこで大きな役割を演じているのは、急速な発展をみせる認知と進化にかんする科学と技術である。認知革命と呼ばれる知的運動から生まれた認知心理学、行動経済学、人工知能研究。遺伝子の観点から進化をみる血縁淘汰説(利己的遺伝子説)によってアップデートされた社会生物学、進化心理学、人間行動生態学。こうした諸科学は、従来の人間観に改訂を迫るような知見をもたらしている。
 ここで人間観とは、人間にたいする見方という程度の意味だが、我々自身が人間であるために、それは自分に対する見方、つまり自己像でもある。だから人間観について考えることは、人間とはなにかだけでなく、我々は自分たちをなんだと思っているのかを考えることでもある。」

「私としては、まず、わかっていることとわかっていないことを区別したい。できればさらに、わかっていると思っていることのなかから本当はわかっていないことを、また、わからないと思っていることのなかから本当はわかっているはずのことを取りだしたい。うまくいけば、状況を適切に理解したうえで重要な問いに専念できるようになるだろう。」

「結果として、本書は人間にかかわる新しい科学と技術についての要約と評論を集めた一冊になった。私は、芸術や政治についてだけでなく。科学や技術についても評論や批評が必用だと考えている。人間本性の解明にかんして大きな成功を収めている認知と進化にかんする諸科学も、それ自体では一般的・抽象的なモデルにsぎないし、途方もない潜在能力をもつゲノム編集や人工知能のテクノロジーも、実際に人間社会にどのような影響を及ぼすのかは必ずしも明らかではない。科学や技術の内容を理解するだけでなく、それらが我々の社会や生活においてもちうる意義を考えたいのである。」

「この本のタイトルは『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』という。これは、カール・マルクスが『資本論草稿』に書きつけた「人間の解剖は、猿の解剖のための一つの嗅ぎである」という一節から借用したものだ。(…)いっけん逆説的である。逆ならまだしも、どうしてわざわざ人間を解剖して猿のことを知らなければならないのか、だが、これはマルクスの非凡な歴史観を示す見事な修辞である。」

(川 浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』「0 ─ 2 序章:人間(再)入門のために」より)

「人間とはなにか? 我々にとってつねに変わらぬ関心事である。だが、人間にどんな定義を与えるかは、時代や場所によってさまざまに変わる。(…)
 我々にとって人間とはなにか? 本章では、この問いにたいしてひとつに展望を与えてみたい。
 問いに「答えを与える」ではなく「展望を与える」などというまだるっこしい言い方をすることには理由がある。なにが熟考を要する事柄であるのかという問題構成そのものが変容しつつあるからだ。我々は問いの答えを探るだけでなく、問いの意味そのものを考え直す必用に迫られている。つまり、人間に(再)入門する必用がある。」

「大状況を理解するための導きの糸となるのは、二〇世紀のフランスの哲学者ミシェル・フーコーの『言葉と物』である。原著の刊行は一九六六年。「人間の死」を予告したとして大きな波紋を呼んだ現代の古典だ。
『言葉と物』は、ルネサンス以降のヨーロッパの諸学問(諸科学)が依拠するエピステーメーの変遷を描いた書物である。エピステーメーとは、フーコーの用語では、各時代に固有の知の枠組みを指す。ある時ある場所の人びとのものの考え方を規定する知的マトリックスだ。
 乱暴に要約するとこうなる。ヨーロッパのエピステーメーは、一七世紀と一九世紀に生じた断絶を挟んで、ルネサンス、古典主義時代、近代というように変遷してきた。いまあるような学問体系は、基本的には一九世紀にはじまる近代のエピステーメーの所産である。
 この近代の幕開けとともに誕生し、あらゆる学問の中心に位置したのが、フーコーのいう「人間」である。それは切れば血の出る具体的な人ではないし、大昔から存在してきた生物種としてのヒトでもない。一九世紀に生まれたばかりの歴史的観念である。
 人間は近代のエピステーメーにおいて特異な役割を演じた。あらゆる学問を可能にする条件であると同時に、そうした学問の研究対象でもあるという両義的な役割である。フーコーはこうした人間のあり方を「経験的=超越論的二重体」と呼んだ。超越論的というのは経験的の対義語で、経験に先立ち、経験そのものを可能とする条件という意味だ。
 近代の学問においては、経験に先立つ理想像としての人間があらかじめ想定されていた。学問的知識の源泉という意味で合理的で、自由と尊厳の源泉という意味で主体的な、啓蒙主義の理念的モデルである。この超越論的な存在としての人間は、学問の中心的位置を占めるにもかかわらず、というかそれゆえに、少なくとも当初はその内実が問われることはなかった。
(…)
 フーコーのいう人間の終焉とは、そうした人間の経験的=超越論的二重体としてのあり方が失効する事態を指している。(…)
 フーコーは、人間の終焉を告げる(当時の)新しい学問として、フロイトにはじまる精神分析とレヴィ=ストロースらの文化人類学とを挙げた。これらは近代における人間の定義であった合理性と主体性を切り崩す。(…)
 フーコーの予言は的中しただろうか。見方によって、そうともいえるし、そうでないともいえる。本稿の立場は、フーコーの予言はおおむね正しかったが、近代の人間観を終わらせるうえで大きな役割を演じたのは別のものである、というものだ。
 では、別のものとは何か。二〇世紀なかばに科学技術の世界で起こった生命科学の発展と認知革命の進行という出来事である。(…)
 これらは近代の啓蒙主義的な人間定義を怪しいものにしながら、社会制度や政策、そして人間の生物学的な行く末にまで大きなインパクトを与えつつある。まず、人間の超越論的なアイデンティティが大きく揺らいだ。ダーウィン以降の生物学の基本認識は、ヒトは他生物と連続的な存在だというものだが、生命科学の発展によって、実際、近縁ではあるが明確に多種であるチンパンジーとヒトの遺伝的相違がきわめて小さいという事実が明らかになった。さらには、移植用臓器の不足を解消するためにヒトとブタのキメラの作製が試行されるなど、文字どおり生物種の境界をまたぐようなテクノロジーも可能となっている。
 認知著科学の分野では、人間の誇る理性的能力が思っていたよりも限られたものであることが明らかになっている。」

(川 浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』「4 ─ 19 レプリカントに人間を学ぶ」より)

「『ブレードランナー』の世界における人間たちは、「人間であるとはどのようなことか」を忘れ、「だれが人間であるのか」に汲々としている。つまり、人間論的差異を忘却している。「人間であるとはどのようなことか」を問うとは、とりもなおさず、人間としてどのように生きるのか、人間にふさわしい生き方とはなにかという深刻かつ困難な課題に取り組むことにほかならない。しかし、通常の人間はその課題の重さに耐えられないのだ。」

「正編の事実上の主人公であったロイ・バッティは、デッカードとの死闘をとおして死への恐怖を克服し、あまつさえデッカードの命を救い、自らの運命を従容として受け入れて死んだ。「人間であるとはどのようなことか」にたいするハイデガー的な解答というべきロイの超人的な自己超克は、意志薄弱な弱き存在であることを自覚する我々を深く感動させたのだった。
 では、続編の主人公Kについてはどうだろうか。Kもまた他者の命を救い、人間以上に人間らしく死んでいく。だが、Kが提示した解答はロイとは異なる方向性を示している。ロイが激しい愛憎を梃子に死を賭すことで人間性を感性させたのにたいし、Kが物語の結末でみせたそれは、命の交換など必要としない、穏やかな共感と同情にもとづいた友への手助けだった。愛するジョイを失いながら、それでもなお、他者への好意と親切を示すことのできたKに、我々は静かな感動を覚えるのである。されにいえば、ロイによる自己超克は必然的に彼の死と結びついているのにたいし、Kによるデッカードへの助太刀は必ずしも彼の死を必要としない。Kが死んだのはシナリオ上の要請によるといってはいいすぎかもしれないが、少なくともデッカードへの助力行為とは偶然的なつながりしかもたないのである。
 私はここに、もうすぐやってくる本当の二〇四九年に向けた希望を認める。」

吉川 浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である 増補新版』
【目次】

0 ─ 1 まえがき
0 ─ 2 序章:人間(再)入門のために ─ 1989/2019/2049

1 認知革命
1 ─ 1 ヒトの過去・現在・未来 ─『サピエンス全史』とともに考える
1 ─ 2 合理性のマトリックスとロボットの戦い ─認知と進化の観点から
1 ─ 3 社会問題としての倫理学 ─道徳心理学、人工知能、功利主義
1 ─ 4 『ホモ・デウス』が語らなかったこと(山本貴光+吉川浩満)
1 ─ 5 人工知能と人文知を結ぶの必読書(山本貴光+吉川浩満)
1 ─ 6 人間の〈未来〉/未来の〈人間〉 ─産業社会論、SF、共和主義(稲葉振一郎+吉川浩満)

2 進化と絶滅
2 ─ 1 「生きづらいのは進化論のせいですか?」 ─進化論と現代社会
2 ─ 2 人類の起源という考えそのものについて ─起源神話のふたつのドグマ
2 ─ 3 人新世における人間 ─ヒトのつくった地質年代
2 ─ 4 人間拡張 ─進化の相の下に
2 ─ 5 〈自然な科学〉としての進化論
2 ─ 6 絶滅とともに哲学は可能か──思弁的実在論、未来の他者、女性の公式(大澤真幸+千葉雅也+吉川浩満)

3 人物
3 ─ 1 リチャード・ドーキンス ─文明史におけるドーキンス
3 ─ 2 アンリ・ファーブル ─進化論ぎらい
3 ─ 3 多田富雄 ─自然科学とリベラルアーツ
3 ─ 4 見田宗介 ─大人の青年
3 ─ 5 バーナード・ウィリアムズ ─道徳における運

4 作品
4 ─ 1 二一世紀の〈人間〉のための二一冊 ─フーコーからポストヒューマンSFまで
4 ─ 2 『利己的な遺伝子』からはじまる一〇冊 ─刊行四〇周年を機に(橘玲+吉川浩満)
4 ─ 3 人間本性から出発する ─『啓蒙思想2・0』『心は遺伝子の論理で決まるのか』(山本貴光+吉川浩満)
4 ─ 4 メタ道徳としての功利主義 グリーン『モラル・トライブズ』
4 ─ 5 リベラル派は保守派に学べ? ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』 
4 ─ 6 リバタリアン・パターナリズムの可能性 サンスティーン『選択しないという選択』 
4 ─ 7 チューリングの革命と変容するリアリティ フロリディ『第四の革命』
4 ─ 8 ポジティヴ・コンピューティングの挑戦 カルヴォ他『ウェルビーイングの設計論』
4 ─ 9 汎用人工知能の文明史的意義 シャナハン『シンギュラリティ』 
4 ─ 10 ゲノム編集技術はなにをもたらすか ダウドナ他『CRISPR/クリスパー』
4 ─ 11 インターフェースをたどる哲学的実践 プレヒト『哲学オデュッセイ』
4 ─ 12 ビッグデータを見て我が振り直せ ダヴィドウィッツ『誰もが噓をついている』 
4 ─ 13 永遠の〈危機の書〉 ウィリアム・H・マクニール『疫病と世界史』 
4 ─ 14 後ろ向きの予言書 大澤真幸『〈世界史〉の哲学 近代篇』 
4 ─ 15 フロム・カタストロフ・ティル・ドーン 島田雅彦『カタストロフ・マニア』 
4 ─ 16 伊藤計劃のポストヒューマンSF 伊藤計劃『虐殺器官』・『ハーモニー』 
4 ─ 17 犬は防衛されなければならない 映画『犬ヶ島』 
4 ─ 18危険な知識をめぐる二つの問い 映画『猿の惑星』シリーズ 
4 ─ 19 レプリカントに人間を学ぶ 映画『ブレードランナー』・『ブレードランナー2049』 

単行本あとがき
文庫版あとがき
解説 溢れる〈喜び〉と散りばめられた〈ためらい〉  大澤真幸

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