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セバスチャン・ボー, コリーヌ・ソンブラン『シャーマン 霊的世界の探求者』

☆mediopos2657 2022.2.24

シャーマンとは
トランス状態になることで
霊的存在や超自然的存在と
直接接触・交流・交信する呪術者のことだが
そうしたシャーマニズムはこれまで
非西洋における伝統的な実践だとされてきた

しかし本書の著者である人類学者のセバスチャン・ボーは
西洋と非西洋といった二項対立を超えたものとして
シャーマニズムを再構想しようとしている

監修の島村一平は1970年代においてすでに
宗教学者の堀一郎が提示したシャーマニズム観は
シャーマンを「呪的カリスマ」と捉え
シャーマニズムを時空を超えた宗教の本質であると見なし
卑弥呼・神道の巫女・密教・修験道の行者から
近現代における新宗教の教祖たちまでも
シャーマンとしてとらえていたというが
ボーはそうした視点からシャーマニズムの現象をとらえている

しかもボーは本書の第1部で世界の諸地域の
めくるめくシャーマニズムの世界を紹介しているだけではなく
第2部の「シャーマンになること」において
「観察者の目線ではなく、
シャーマンや精霊、動物といった非人間からの目線で」
シャーマンはどのようにして誕生しているのか
シャーマンがトランス状態になったときに
どのような身心変容を体験しているのかにアプローチしている

さらに付論として収められているエッセイ
ソンブランの「トランスと神経科学」では
ソンブランみずからモンゴルの北部において
ドラミングを通じてトランス状態に陥り
自身が動物へと変わっていく感覚を得たことから
そうしたトランス状態を「認知トランス」と名づけ
「変性意識状態」における脳神経科学的特徴や
医学的な効能を探求する視点を示唆している

そして私たちの社会が目ざしているような
「知識のある人間」だけではなく
伝統社会が目ざしてきたであろう「意識のある人間」を
「トランスの技術」によってむすぼうとしている

わたしたちの意識は通常のばあい
物質的に認知できる世界のなかで働いているが
意識を変成・拡張することで
シャーマンのように
霊的存在や超自然的存在にふれ交流することができる

しかしながらシャーマンがシャーマンであるためには
たしかな技術を習得するために必要な技術があるように
現代のわたしたちがそうした「意識」を身につけるためには
そのために必要な技術があることを踏まえなければならない
交流する霊的存在はどんな存在であってもいいわけではない

かつて古代の神道の祭祀において神託を受ける
審神者という存在がいたが
そのためにはそれにふさわしい修行と場所を必要としたが
そのような「トランスの技術」が必要であるのはもちろん

しかも現代においては
「トランス」という受動的な方法ではなく
神秘学的な知覚・認識等を身につけるための
能動的な方法のほうが重要だと思われる
すでにわたしたちは古代に生きているのではなく
新たな意識の在り方を身につける必要があるからである

■セバスチャン・ボー, コリーヌ・ソンブラン
 (島村 一平・監修/ダコスタ 吉村 花子・翻訳)
 『シャーマン 霊的世界の探求者』(グラフィック社 2022/1)

(島村 一平「解題 シャーマニズム研究の夜明けに向けて」より)

「本書では、シャーマニズムを単なる非西洋の伝統的な実践に限定していない。図版の構成を見るだけでも、伝統的吾シャーマニズムとネオ・シャーマニズム、芸術的なインスピレーションと霊の憑依、あるいは西洋と非西洋といった二項対立を超えた存在としてシャーマニズムを再構想しようとする著者の強い意志が感じられる。

 実はこうした“新しい”シャーマニズム観は、1970年代、宗教学者の堀一郎が提示したそれに親和的だといえる。掘は、シャーマンを大きく「呪的カリスマ」と捉えることで、シャーマニズムを、時空を超えた宗教の本質であると見なした。したがって掘の手にかかれば、卑弥呼にはじまり、神道の巫女や密教・修験道の行者はもちろん、近現代における社会不安を背景に誕生した新宗教の教祖たちもシャーマンだということになる。さらに一遍の踊り念仏や平安朝の遊女「うかれ女」などについても「芸能化したシャーマニズム」だとする。

 これに対して、類型化を厳密に行う欧米の学問的伝統では、堀のような総合的な、あるいは「あれもこれもシャーマン」とも取れる捉え方はしてこなかった。そういった意味において本書のシャーマニズム観は、50年の時空を経て堀一郎のシャーマニズム観と共鳴をするものだと言えるかもしれない。

 さて本書を執筆したのは、セバスチャン・ボーというフランスの気鋭の人類学者である。ボーは、南米のアンデス高地やアマゾン河流域の先住民社会で豊富なフィールド経験を有している。彼自身が紹介する、該博な知識と最新の人類学理論に裏づけされた、めくるめく世界の諸地域のシャーマニズムの世界も本書の大きな魅力であろう。また本書は、モンゴルで実際にシャーマンになる経験をした旅行作家、コリーヌ・ソンブランのエッセイも付論としてつけられている。このエッセイも従来のニューエイジ的なものではなく、トランスを巡る神経科学的な探求となっており、いい意味で我々の期待を裏切ってくれるものだ。」

「本書の最も核心となるのが、第2部の「シャーマンになること」である。様々な地域で、いかにしてシャーマンが誕生しているのか、その成巫のプロセスがシャーマン側の目線から紹介されている。

 その際、重要なのは、トランス状態に入った見習シャーマンたちは、認知レベルで自らの身体がバラバラになったり、動物に変身したりといった身心変容を実際に経験しているということだ。本書では、世界各地のシャーマンたちのトランスの中で経験する、様々な“魔術的”世界が、メタファー(暗喩)としてではなく実際に知覚されているものとして紹介されている。

 こうした新しい記述の背景には、フランスを舞台に展開されてきた新しい人類学の潮流がある。本書でも引用されているフィリップ・デスコーラは、アマゾン河流域のアニミズムの研究を通じて人間と自然を対立的に区分して考える従来の西欧の人間論的発想を「自然主義」と呼んで批判した。またブラジル出身の人類学者エドゥアルド=ヴィヴェロエス・デ・カストロも、人と動物の視点を双方の関係性の中で捉え直すパースペクティブ主義や、従来の単一の自然観ではなく視点が変わることで多様に変貌する自然主義を唱えた。このような新しい理論を参照しながら、本書では観察者の目線ではなく、シャーマンや精霊、動物といった非人間からの目線で書く、ある種の眼差しの展開が企図されているのである。

 そして最後に旅行作家ソンブランの付論「トランスと神経科学」だ。ソンブランは、2000年代の初頭、モンゴルの北部に住むダルハドと呼ばれるマイノリティを通じてトランス状態になるという経験をした。ドラミングを通じてトランス状態に陥った彼女は、自身があたかも動物へと変わっていく感覚を得る。これをきっかけに彼女はドラミングによって人間は誰でもトランス状態に入ることができると考えた。ソンブランはこれを「認知トランス」と名づけ、その脳神経科学的特徴や医学的な効能を探求していく。」

「近年、アメリカでも認知科学の発達に伴い、シャーマンの「トランス現象」に迫るような研究が増えている。すでに80年代、精神分析学者のリチャード・ノルは、シャーマンが認知レベルで精霊を見たり、声を聴いたりできるとし、「メンタル・イメージ能力の開発 mental imagery cultivation」と名づけている。また、その影響を受けた心理人類学者のターニャ・ラーマンは、アメリカのキリスト教原理主義者の一派であるペンテコステ派の人々が神の声を聴いているのは、認知レベルの事実であるとし、その技法を「内的感覚の開発 inner sense cultivation」と呼んだ。シャーマニズムやトランス現象は、人間の内的世界を明らかにする上で、極めて重要な研究領域であると考えてまちがいないだろう。

 これに対して日本では、90年代半ば以降、シャーマニズムを研究する人類学者の数は非常に少なくなった。90年代末から2000年代にかけてモンゴルのシャーマニズムが人類学上のホットスポットになっていた欧米の人類学とは真逆の傾向である。当然にして、シャーマンのトランス現象に対して、人類学者が神経科学や精神医学と協働して新しい領域を開拓する動きもほとんど見られない。そう考えると、トランス現象の解明のために、神経化学者を巻き込んで研究所を設立するまでに至ったソンブランの蛮勇に対して、畏敬の念を抱かざるをえないのである。」

(『シャーマン 霊的世界の探求者』〜「第2部 シャーマンになること」より)

「シャーマンがいる社会では、一般の人々とシャーマンの双方にとって、人間とエコロジカルな価値を維持することは常に重要な問題です。と言うのも、環境のバランスは脆弱さゆえに、常に脅威にさらされているからです。したがって以下のような三つのバランスを保全、実現していくこともシャーマンの多様な機能の一つです。

 人間が個人や集団として、動物や精霊といった可視・不可視の非人間と築いてきた関係のバランス

 共同体内や共同体間の人間関係のバランス

 一個人の内部のバランス」

「シャーマニズムは、他の文化から借用したものや偶然の一致の結果だとするには、あまりに広い領域に展開されています。確かにシャーマニズムは、多様な形態や想像物、美学や動態を有しています。しかしその一方で、明カノ独自と言える特徴も備えています。つまり、シャーマニズムとは、一種の倫理学であるということです。シャーマニックな社会では、多くの非人間が含まれるため、共通の次元は大きな広がりを持ちます。シャーマニズムは、こうした現実に対する共通のアプローチを取るだけでなく、一つの修練法/学問分野なのです。その共通して修練法とは、精神/精霊たちの実在を知った上で、非人間にも開かれた空間で警戒心を持つことです。」

(コリーヌ・ソンブラン「付論 トランスと神経科学」より)

「変性意識状態とは異なる意識の連続体なのではないか、という考えに、私たちは近づきつつあります。脳の各領域観の共鳴や相互作用に応じて、それぞれの意識状態が少しずつ混じり合い、特徴が出てきます。このような意味において、トランス状態で知覚が増幅するということは、意識による精神のコントロールが抑制されることで、極めて精巧に潜在意識が働き出すことを意味しています。したがって、トランス状態から通常の意識状態への帰還は、意識的なコントロールを抑制するプロセスが段階的に停止していくことに他なりません。

 もちろん、こうしたトランスのプロセスを理解し、人間の脳やその能力を解明するには、まだ長い道のりが必要です。しかし伝統文化が実践、継承、発見してきたことを研究することで、科学はすべてを手に入れることができるに違いありません。なぜなら私たちの社会や人類の未来は、高度なテクノロジーを運用するだけではなく、脳の潜在的な知覚能力をもっと理解して運用できるかにかかっているからです。

 もちろん、脳だけで人間存在の複雑さをすべて説明することはできません。脳は私たちと世界をつなぐインターフェイスにすぎません。現時点で我々が知るところでは、生命や意識、感情の謎を完全に説明できる科学的な研究はありません。しかし少なくともトランスの技術は、生命・意識・感情にかかる諸現象の謎に対して安心材料を提供してくれます。こうしたトランスの技術は、シャーマニズムの伝統を通して私たちの先祖が残してくれた宝物だといえるでしょう。それは、作家のアントナン・アルトーの言葉を借りるならば、「私たちがつかみきれない現実に少しでも近づくための手段」なのです。

 仮に私たちの社会が「知識のある人間」を目指してきたのだとするならば、伝統社会は「意識のある人間」を目指してきたと言えるでしょう。私たちが生きている現代は、危機的な状況にあります。そうした中、先祖から受け継がれたトランスの技術に対して、関心が世界的に高まっています。これは、知識のある人と意識のある人が一つの「私たち」として団結すべき時がきていることを示していると思われます。

 教養人と意識人、そして知識人「知覚人」。これらが一つになり、私たちの未来のために奉仕しなくてはなりません。決断することにより注意を向けていく社会。それこそが今、私たちに求められている真にエコロジカルな取り組みなのではないでしょうか。」

《目次》

解題 シャーマニズム研究の夜明けに向けて/
はじめに/
第1部 シャーマンの地理学 「中央・北アジア」「シベリア」「霊的な世界の旅」「生命の力を吹き込まれた者」「シャーマンからシャーマニズムへ」など/
第2部シャーマンになるということ 「はじめに兆しがあった」「精霊に選ばれる」「トランス状態に入る」など/
付論 トランスと神経科学 「変性意識状態」「トランスは精神病?」「治療への応用に関する研究」など

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